- ベストアンサー
創価学会のニセ本尊に対する学会の意見は?
- 現在の創価学会の本尊は無許可・無断で借用され、修正変更されているという指摘があります。
- 質問者は、学会の意見が真正かどうかを知りたいと述べています。
- また、質問者はこの修正された本尊の前で勤行したくないという意見を持っています。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
創価学会のものではありませんが、参考サイトを見て思いました。 創価学会は、ニセ本尊をこそこそとかつぎだすこと無く、名称を「池田教」或いは、「大作教」に改めるべきと思いました。
その他の回答 (1)
- nontro_08
- ベストアンサー率19% (33/173)
創価学会を憎み嫉妬する気持ちはわかりますが、「無許可無断使用」云々というのは、つまりは、御本尊には「法主の許可」「法主の開眼」が必要だというんでしょう? 御本尊に「法主の許可」がいるなどというのは、日蓮大聖人の御書の、どこにもない邪義です。また、「法主の許可」とは別に、すべての本尊は、法主による「開眼」を受けなければ功徳はないなどと論難していますが、「開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(本尊問答抄)と大聖人は仰せではないですか。「開眼は法主に限るべし」、これも御書のどこにも書かれていない邪義であり、我見です。 要するに、宗門が創価学会の本尊に難癖をつけるのは、宗門が、自分たち抜きで学会がどんどん発展していくことに対する「やっかみ」によるものではないのですか? ちょうどよいことに、あなたの疑問を晴らす資料が、今私の手元に存在しますので、ご披露いたしますね(笑)。 抱腹絶倒! こんな珍説も 珍説(1)本尊の「授与書き」を改ざんした? 「授与書き」とは、御本尊の端に、願主や授与者の氏名が綴られていること。 日興上人は「富士一跡門徒存知の事」で、「所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」(御書1606ページ)と説かれている。「所賜の本主の交名」つまり“御本尊の願主の名前”を書くのは、「後代の高名」その信徒の強盛な信心を讃えるためである。 つまり「授与書き」は、信仰の根本対象である御本尊の相貌や力用とは、まったく別次元のもの。 「授与書き」をどうこう言うのなら、願主である池田名誉会長の名前を削った末寺など、ことごとく堕地獄であろう。 珍説(2)学会が勝手にコピーした? バカげた誹謗中傷である。 そもそも「御形木御本尊」というのは、御本尊を木版や写真製版等にして印刷する御本尊のことを言う。無論、宗門でも、御形木御本尊を下付してきた経緯、事実が厳然とある。 末寺が“勝手に”印刷し、下付されてきた本尊は数多存在するが、この言い分は、自分たちがしてきたことを真っ向から否定しているのに等しい。 “悩乱極まれり”とはこのことだ。 (以上、創価新報9月15日付「創価完勝の旭日」より)
お礼
明快な回答大変ありがとうございました。 ただ、自分は日蓮正宗門徒その他学会に嫉妬しているものではなく、 宗門側からの中傷に対する学会の意見はどうなのか聞きたかったのです。 (1)無許可借用、無断撮影は、勝手にしてもいい。(理由:それがダメだとは御書にはどこにも書いてないという学会の御書解釈より) (2)授与書きの削除、改ざんは勝手にしてもいい。(理由:削除してもご本尊にはなんら影響しない。勝手な削除行為がダメという連中は、「池田」という名前を削った連中でもあり自己矛盾をおこしている) (3)その他、勝手な文字の修正はしてもいい。(理由:同上) (4)勝手なコピーの大量印刷はしてもいい。(理由:宗門でもやっている行為) ということですね。 本当にありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。そうでしょうね。戸田先生時代とは明らかに教義や解釈が変わり、池田先生という一個人の神格化が進んでいる今、明らかに以前の団体と違います。ただ名前を決めるのは団体の自由ですのでとやかくいうべきではありません。自衛隊を自衛軍という名前にしても意味がないのと同じで、池田教に名称変更しても意味はないでしょう。ちなみにニセ本尊というのは日蓮正宗側からの中傷であり、学会はニセというなんて嫉妬しているだけだという意見です。また日蓮正宗は学会だけではなく、ほかのすべての日蓮系諸宗派について同様に批判しています。他のグループを徹底的に批判するというのは日蓮大聖人の勧めたやり方です。 ありがとうございました。