※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:創価学会の御本尊について教えてください。)
創価学会の御本尊について教えてください。
このQ&Aのポイント
平成5年からの新しい日寛上人の修正御本尊について疑問があります。
学会員の間での開眼の解釈の違いについて教えてください。
創価学会の御本尊の選択にはどのような権限や判断が関与しているのでしょうか?
創価学会の御本尊について教えてください。
(1)平成5年からの新しい日寛上人の修正御本尊は誰の選択で、誰の判断で、誰の権威によって大量印刷されていっているのでしょうか?池田先生という会の実質トップではあるが、一在家の権威も能力もない一指導者による勝手な判断ということでしょうか?どうしてそれがオーケーなんでしょうか?学会は名誉会長になったら御本尊を「どれにしようかな~」って勝手に選べる権能がそなわると考えているんでしょうか?
(2)学会員の中で、(イ)開眼なんて全く不要なものだ、(ロ)開眼は各学会員個人の御題目でできる、(ハ)法主の開眼があったらあったでいいというだけ、(ニ)法主の開眼は望ましいがなくてもいい、(ホ)本当は法主の開眼は必要だができない現状なので仕方がない。など、人それぞれてんでバラバラの開眼解釈はどうしてなんでしょうか?こんな根本的なことがグラグラしているのはなぜなんでしょうか?それともきちんと確固たる開眼について、学会の考えはあるのでしょうか?
以上、教えてください。
補足
日蓮正宗への思いは、その通りだと思います。正宗は学会に対して少々感情的になってしまっていました。事実です。でもだからと言って、貧しいからと言って各家庭で1万円札をじゃんじゃか印刷することはよくないですよ、やっぱり。これは御書に反するかどうかというよりは、個人的な良心です。現に以前は、学会でじゃんじゃか刷ってなかったわけです。戸田先生も、身延が勝手に印刷配布していることに対して、それじゃあ、力があるはずない、とはっきりとおっしゃっているんです。正宗の日寛聖人のお手の本尊は正宗に著作権的な一種帰属しているわけですよね。それが学会名誉会長になったら、「次はどういうご本尊にしようかな」といって無断で好きなご本尊を拝借しても、別に問題ないじゃないか、というのは日蓮大聖人がお聞きになったら残念に思われると思いますよ。事実、今、脱会する人があとをたたないそうです。そして口々に言うのが平成五年から明らかに、不幸になっていく人が増えていると言うそうです。今までの功徳の残りと言ったら変ですが、それが作用して、大事故起こして助かって良かった。でも一生半身不随だとか。結婚できて良かった。でも喧嘩が絶えないようになったとか。学校に受かって良かった。でも不登校、引きこもりになってしまったとか。はじめ良くてあとで結局悪いほうに行くというパターンがあきらかにここ数年増えてきたそうですね。 できの悪い父親でも父親だと思います。両者感情的になっている部分があると思います。とくに今売り言葉に買い言葉になってしまっています。これは両者にとってとても残念なことです。 さて、質問内容なんですが、(1)名誉会長になったら好きな本尊が選べる権能が持てるようになる根拠はなにか?(2)開眼について学会の統一的見解はなにか?です。 議論の場でも意見の場でもありませんので質問にお答えねがいます。