• 締切済み

創価学会の人教えて下さい

私は学会2世でご本尊様はいただいていますが会合にたまに出るくらいであまり熱心ではありません。ただ母親はとても熱心ですのでよくいろんな話を聞きます。ご本尊様を粗末にすると変なことが起きるようですが、実は先日気づいたら1歳の娘がご本尊様を勝手にいじっていて札?というんですか?それをねじってしまいました。切れてもいないし少し縁が言われてみると波打ってしまいました。うちの娘はよく頭を打ちます。その事件以後、特に頭をよく打つようになった気がします。今日もコンクリートのところに頭から落ちました。呪われているかのように打ちます。ご本尊様をいじったからそういうことがおきているんでしょうか? また別の話しですが創価学会で活動するようになると何か嫌なことがおきるんですか?体験談とかでよく何かが起きて勝利したと言っていますが。。。任用試験を受ける予定で勉強中です。そこにも色んな魔というのがあるらしくそのように受け止めてしまうのですが。学会に入っていなくてもそういうことは起きるんだから、とは言われますが周りの学会員の方を見ていると必ず何か起きている気がします。娘がよく頭を打つのはそのせいかな?とか考えてしまいます。教えて下さい。

みんなの回答

  • hirakawa
  • ベストアンサー率27% (509/1821)
回答No.4

学会員ではありませんが… 我が子(5歳)も、良く転びました。おやつの後、スプーンをくわえたまま走り回り、転んでのどの奥に刺さって女子医大に緊急で連れていったこともあります。 このような事は、宗教に関係なく起こることで、本人や親の注意や努力によってなんとでもなると思います。 信心すれば救われる、しなければバチが当たる。「バチが当たる」と言うことは、多かれ少なかれ、どんな宗教にもついて回ることですね。しかし、結局は、本人の努力や注意、忍耐が最初で、すがりどころと言う立場に宗教があると思います。 信心が一番だとしたら、時と場合によりますが、問題が起こることもありますよ。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#21649
noname#21649
回答No.3

1歳というと.転ばないで歩けるかどうかの年齢ですから. ひっくり返って頭を打たない(!)方が異常です。 この時期に.歩き方を覚えることで運動神経が発達して行くのです。ですから.通常は.「転んでも怪我しないような場所で遊ぶ」事が中心になります。 学会の教えの通りにしたがっていると.学会の関係者の中でしか生活ができない閉塞的な考え方になってしまいます(学会の子供と他の宗派の子供が殴り合いの大喧嘩をするなど)ので.注意してください。 複数のでどこが異なる情報を突き合わせて考えることを覚えないと.自分の意志で何かをするということが.できなくなりますから。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • mujinkun
  • ベストアンサー率16% (336/1986)
回答No.2

現役(?)の学会員です。 そんな呪いとか罰などはありませんよ。 勿論、仏法の考えでは、どんな現象にも偶然はない、ということですが、たとえば、学会員だからいろんなことが起きるとか、逆に病気をしないということは絶対になく、すべてに堂々と立ち向かっていく精神を養おう!という教えです。 物事はすべて、気持ち次第で、凹むときもあれば、「なにくそ!」と奮起できるときもあります。 それを「勝負」と表現するのであって、自分の心を鍛えることを意味します。 魔というのも、なにかに動かされているのではなく、病気などになって「もうダメだ・・・」と思ってしまい、生きる力を無くしていく様を「魔」というのです。 ご本尊は自分の命を映したものとして向かい合って題目を唱えるのに必要なものです。 信仰のすべてではありませんが、大切に扱うのも、適当に扱うのも、気持ちの問題です。 学会員は自分の命の中の仏を信じていますので、ご本尊を大切に扱いますが、本来、曼荼羅だけでは仏様ではないのです。 よく「勤行をさぼっていて罰があたった」とか「会合に出ようと思ったら魔がはいった」とか言いますが、明確には、その人が「最近さぼっててヤバいかな~。」と思ってるところにたまたま転んだことによって「やっぱり!」自分の信仰を振り返ったり、「題目あげたくないな~。」と思ってるところへ、面白いテレビが始まっちゃった、とかいう状況であり、転んだこと、テレビが始まったことが「罰」や「魔」ではないのであって、その人の「心の動き」によって、そう表現するのです。 くだらないけど重要な例えをひとつ。 仕事に集中したかったのに、彼女から電話がかかってきてデートに誘われ、「魔がはいって仕事できなかった」ということがありますが、決して彼女が魔なのではなく、彼女からの電話でうかれてしまって今日仕上げなければいけない仕事ができなくなった自分の心が魔なのです。 彼女からの電話で「よっしゃ!早く仕事仕上げてデートだ!」と奮い立ってさっさと仕事を仕上げ、デートを満喫する人こそが、魔に打ち勝って、何事にも勝利する生き方と言えるでしょうね。 何事も「いいきっかけ」にしていくのが、仏法の縁の考えだと思いますよ。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

こんには。気になさらないでいいと思います「1歳位のお子さんが頭打つことはよくききます。まだ頭の方が重たいし歩きもしっかりしてないし創価学会とは関係はないと思います。私も15年前から学会員ですが勤行もあげずご本尊様は埃がかぶってますし大事に扱ってませんが子供はすくすく育ってます。学会員じゃなくてもそうでも人生なにかしらのハプニングはあります。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A