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地方議会の選挙についての質問です。
地方議会の選挙についての質問です。 現在、私の住む町で選挙戦が行われており、職場でその選挙の話をしていました。 すると一人が「入れたくない人を選べればいいのに」と言いました。 積極的に入れたいと思う人がいない私は、なるほどと思うと同時に、そんな消極的な、消去法の制度でいいものだろうかという疑問も湧きました。 候補者は、みんなやりたい人です。 その中で良いと思う人に票を入れる制度になってます。 駄目と思う人を選んで、得票数の少ない順に当選とした場合、どんな問題があるでしょう? またこのような制度だと民主主義に反することになりますか?
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候補者を除斥する選挙方法は、古代ギリシャの貝殻(陶片)追放に遡る由緒ある制度です。 まず、市長など、一人を選ぶ場合を考えてみます。ふつうは、候補者の政策を中心に、それを実現するための能力、実績、人柄などを考慮して投票します。選挙運動の目的は、候補者がこれらの情報を有権者に伝えることです。 ところが除斥投票の場合は、候補者が自分に不利な情報を流すとは考えられないので、競争相手のアラ探しや中傷が横行しかねません。まるでネット情報だけで投票するようなもので、選挙の本来の目的にそぐわないと考えられます。 もちろん、有権者の知識や情報が信頼できる場合には、こうしたネガティブ投票が有効かもしれません。古代ギリシャでは、有権者である市民は選ばれた人びとだったし、今日でも、いくつかの大学の学長選挙で職員や学生による除斥投票が行われています。ただ、投票率は情けないほど低率です。 つぎに、議会など当選者多数の場合はどうでしょうか。実績のある候補者は、サポーターも多いけれど敵も多いのが政治の世界です。無名の候補者は、味方も少ないが、敵も少ない。その結果、除斥投票では、無名の候補者ほと票が集まらず、当選する確率が高くなりかねません。これでは、民意を反映したことになりません。 小沢さんではないけれど、民主主義は有権者の支持をどれだけ集めるかに尽きるとすれば、除斥投票は問題だと言わざるをえないと思います。
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社会 ― 政府 人体に決定機関である脳があるように、社会にも、決定を下す政府というものは必要不可欠である。権力に知性を与えてくれる”天才政治”の原則を適用した政府をつくるために、あなたがたは最善を尽くさなくてはならない。前述した人道的人類主義と天才政治を主唱する人類主義世界政党の設立に参加しよう。そして、その候補者を支持しよう。天才政治だけが、人々を黄金時代に完全にいたらしめることができる。 完全民主々義はよいものではない。全細胞が命令を下すような体では、生存できないのと同じである。知性ある人々のみが、人類に関する決定を行えるようになるべきなのだ。天才政治と人道的人類主義を主唱する候補者が立候補する場合以外は、投票を拒否することである。 普通選挙も世論調査も、世界統治には有効ではない。統治することは先を見通すことであり、羊の群れのような民衆の反応に従うことではない。彼らの中には人々を指導し得るほど十分に覚醒されている者は、ごく一部しかいないからである。覚醒された人というのはきわめて少ないので、普通選挙や世論調査に基ずく決定は、大多数の民衆の、蒙昧主義的潜在意識による本能的反応の選択にしかいきつかないものである。 選択的民主主義である天才政治のみが、価値あるものなのだ。そして、公職に付くことができるのは、生まれながらの知性が平均よりも50パーセント以上優れた者にかぎるべきであり、それを選出できるのは、生来の知性が平均より10パーセント以上優れた者にかぎるべきである。 科学者たちはすでに、われわれの知性を計測する技術を完成しつつある。彼らの忠告に耳を傾け、人類の最も貴重な鉱脈である知性の優れた子供たちが、それにふさわしい教育を受けられるよう努力しよう。普通教育は結局、普通の子供たち、つまり平均的知性をもつ子供たちのために、つくり上げられたものにすぎないのである。重要なのは、獲得した資格の数ではない。資格証書が証明するあまりおもしろくもないない能力、記憶力などは、機械で代用することができる。生まれたままの知性こそ、農夫や労働者を技術者や大学教授以上にさせるものなのである。この生来の知性は、良識や創造の才能と同列に考えることができる。というのは、発明の大部分は良識の問題だからである。 原始的な民主主義すなわち平均政治 現在、人が民主主義と呼んでいるものは、実際は平均政治にすぎない。というのは、最も人数が多いのは、平均的知性を持った人びとであり、したがって、かれらの決定が投票のさいに勝利を得るからである。 非常に良く作られたテストのおかげで、ガウス曲線(1)を見てもらえばわかるように(注・貼っていない)、実際の人口のうち、わずか0.5パーセントがきわめて優秀、すなわち天才である。しかし、こうした天才たちの声は、同じく0.5パーセントを占める白痴的な人たちの声によって、投票の際に相殺されてしまうのだ! 優秀な人たちはわずか二パーセントしかおらず、かれらの声も、同じく二パーセントを占める知恵遅れの人たちの声によって相殺されてしまうのだ! 平均より十~三十パーセント高い知性を持つ人たち、つまり「平均以上」の人たちは、人口の二十五パーセントを占めているが、かれらの意見もやはり、同じく人口の二十五パーセントを占め、平均より十~三十パーセント低い知性を持つ人たち、つまり「平均以下」の人たちの意見によって相殺されてしまう。 結局、平均的知性を持つ人たち、つまり平均的な人たちが、投票の際に決定を下すことになる。なにしろ、かれらは四十五パーセントもいるのだから。以上、民主主義のこのような形態が、実際は平均政治にすぎないことの理由である。 天才政治に基づく世界政府の樹立 統治とは、先を見通すことである。したがって将来の見通しを全く持たない統治者は、統治する資格がない。 そういうわけで、先を見通すことのできる人びと、つまり天才たちによって構成される単一の世界政府を、早急に樹立する必要がある。 天才たちが人類全体の境遇を改善するために働くのに対し、政治家たちは自分自身が利権を得るために公約をする。どちらが統治に値するだろうか。(ラエル著)
駄目と思う人が選べれるということは、いいと思う人も選べれる分けですよね。 あの候補はだめこの候補もだめと考えた場合、残ったのが比較的だめでない候補なのだから。 いいと思う人が分からない人が駄目と思う人を選べれるということは道理に合いません。
- hekiyu
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今以上にマスコミに左右される 選挙になるでしょうね。 皆、スキャンダル探しに血道を挙げるようになるから 選挙は、限りなく下品になると思います。 民主主義に反する、ということはないでしょう。