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議会制民主主義にとって政党は必須でしょうか?
選挙公約を信じて議員の立候補者に投票する有権者と、当選後には立候補した選挙区のためではなく国全体のための政策を推進する議員がいれば、政党は議会制民主主義には不要なのではないでしょうか? 政党の存在が議員の自由な議会での議論を封殺しているように思います。 政党は議会制民主主義にとって必要な存在でしょうか?
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早稲田大学で”議会制民主主義と政党政治”(岡村先生だったかなぁ・・)という講義をとっていました(もう10年もまえです)。 著作(”政党政治とリーダーシップ”だったと思うのですが)でいいのが文庫でもありますので、一度ご覧ください。 要約すると、こんなんでした; ○政党は、議会制民主主義の必然である ・多数決投票をする限り、政党は必然として生まれる。 ・議員は利益代表のプロフェッショナルとして、多数決で勝つことが有能さの指標である。 ・故に、競争手段としての政党は必然として生まれる。 ○”議論するだけ”なら、超党派勉強会の存在から、政党による封殺は無いといえます。 ただ、議員は議論することが仕事ではありません。有権者の利益を獲得することが存在目的です。 ○政党政治は、嫌われることが多いです。それは、沢山の問題(有権者の興味や利益)に対する代表チャネルとして政党が少ないあるいは選択の機会が少ないためです。 逆にIT時代の今日、争点投票やWeb投票で、もっと有権者が直接議決参加するあるいは利益集団を形成することも可能と思います。 そう考えたら、政党や議員の代行議論も違って見えると思います。 利益代弁チャネルとしての政党活用の先進事例として、スウェーデンがあります。これも岡村教授の著作にありますので、ご一読下さい。 早稲田大社会学部のサイトをご覧ください
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補足見ました。 どうやら俺の理解が足りなかったようで、申しわけないです(^_^; まあ、これはすべての世の中に共通して言えることですが、「組織」は「個人」の活動を妨害するものです。その個人の活動が、組織の存続理由に則ったものだったとしても。 人間が2人いればしがらみとか、ルールとかありますからね。そういうのに縛られるのが嫌な政治家のために、無所属というものがあるんではないでしょうか。
補足見ました。 まあ、政治家が国民のためのロボットと化せば、それが理想なんでしょうね(笑) 政党とは誰かが作ったものではなく、自然と生まれてきたものです。まあ、日本のは明治時代にイギリスの政治を中心に作られたものですけどね。 ちなみに言うと、インターネットなんかを使って国民の意見をダイレクトに政治に採り入れると、政府は崩壊します。 なぜなら、政治ってのはやっぱり、なんだかんだ言って専門知識が必要な専門技能なんですよ。素人は「要望」はどんどん出すべきですが、口出しはすべきではないんです。 隣の喧嘩っ早いおっちゃんと、スーパーのおばちゃん。(そういう人がいるとして)この二人が国会に直接参加して、法律がまとまると思います?(笑) 今でさえ各議員が好き勝手やっちゃってしっちゃかめっちゃかなのに(^_^; 本当は、kamesenninさんみたく、こういう意見を持っている人が政治をやるべきなのかも知れません(笑)
- cricket
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民主主義こそ人類が手に入れた最高の政治制度だと信じています。 又、議会制民主主義には政党は必要だと思います。 多数決で決定する以上、数をまとめるためには同行の志が必要です。 議会の場で皆がバラバラに意見を出してワイワイやっていれば、 いつまで立っても議決が出来ません。 deagleさんの解説が詳しいですが、そう言うことです。 kamesenninさんの疑問が何故生じるかというと、 今の日本のサル議員たちがサルにも劣るような所業をするからでしょう。 以前、どこかに書いたと思いますが、大分県の高崎山に「国会」と看板を掛け替えるだけでも現状の国会の機能はまあまあ十分に果たすことが出来ると思います。 落合信彦の「恥と無駄の超大国・日本」と言う本があります。 ご一読をお勧めします。泣けますよ。
意図としては理にかなってはいますが、その質問には答えることはできません。 なぜなら政党が存在するのは「必要だから」ではなく、「必然だから」です。 本当にパーフェクトな政府たらん政治形態とは何かというと、これは絶対王政です。たった一人の人間が国を統治すればいいのです。なぜなら、人間の社会はピラミッド構造になっていて、最終的にはたった一人のリーダーが存在するということになるからです。 しかし、実際にはそのリーダーですら人間でしかなく、本当に「立派な政治」を行うためにはその国王は神様でなければいけません。人間が人間である以上、絶対王政が国を支えて問題なく運営されることはまずありえません。なぜなら、たった1回の過ちが致命的な方向へ国を押し進めることになるからです。 そこで、複数のリーダーによる政治という「議会制」が登場するわけです。複数の「議員」をもって、全体が1つの「国王」になろうというわけですね。 ところが、この「議員」ですら人間です。人間である以上、言い争いだって仲違いだってします。それを無理矢理1つに束ねたりしたって、喧嘩ばっかりでいい方向には進みませんし、だからと言って全体を1つの「単政党」にまとめたとしても、その単政党が誤った判断をすれば、けっきょくは王制と変わらない過ちを繰り返すことになってしまいます。 ならば、その喧嘩を「討論」という形に昇華させてはどうか、という考え方が「政党」です。喧嘩を重ねていくうちに、その中から良案を生み出そうという考え方で、これならばたかだか1人くらい過ちを犯しても、そいつ自身に責任をとらせれば事足りるので、国全体が傾くことはありませんし、たった1つの政党が過ちを犯しても、その政党を潰せばいいだけのこと。 ま、そんなわけで、現在の政党制度があるわけです。 もちろん、政党制度という考え方にも問題が山積みにあるからこそ、世界中には色々な政治形態があるわけですがね。 政党という考え方をなくせば、一見するとみんなが自由に議論できるように見えますが、実際にはおそらく「自由すぎて何もまとまらない国会」が出来るだけでしょう。 これを俗に小田原評定といいます。高校生が文化祭の出し物に関する会議を開くと、たいがいこうなりますよね(笑)
お礼
ありがとうございます。議員の意見集約をはかるためには、政党が必要だということですね。でも、政党がなくても、議会での議員の議論での意見集約は可能だと思います。 現在、議会では政策分野別に委員会があります。法務委員会、外交委員会、予算委員会などです。 これらの委員会での質疑を専門のテレビでノーカット、ノー編集で放映し、国民はそれを見てインターネット上の電子掲示板で議論したり、インターネット上の電子投票システムで賛否の意見を示すのです。国民の反応をインターネットを通じた知った議員は、国民の意見に影響を受けて、意見を集約させるでしょう。 このような方式での議論や意見集約の方が、党三役に一任などという密室談合方式よりも格段にいいと思います。 いかがでしょうか?
補足
完全に誤解されているようですね。政治家が政策を論じて、自分の意志で議会活動をできるようにするためには、政党が邪魔になっていると、私は指摘しています。国民による直接民主制を主張しているわけではありません。