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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:小さい頃から家族にすら「愛された/受け入れられた」と言う実感がありませ)

愛されたい欲求と甘えたい気持ちについて

このQ&Aのポイント
  • 小さい頃から家族にすら「愛された/受け入れられた」と言う実感が無く、30過ぎた今も誰かに愛されたいと言う欲求が常にあります。
  • 甘え方が下手で周りから「シッカリしてる」印象を与えている一方、他人を信用できず、友達が居ません。
  • 頑張っても評価されず、誰かに手を差し伸べてもらえない人と、手を差し伸べてくれる人の違いについて疑問があります。また、子供みたいに甘えたくなる気持ちも抱えています。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

「ヤマアラシのジレンマ」ですね。 辛いお気持ち、お察し申し上げます。 私も子供の頃、父方の祖母、親戚から疎まれた経験があり、受け入れてもらいたいが故に無理をして剽軽者を演じたりした結果、受け入れてもらえない事実に絶望し、他人と距離を置くようになってしまいました。心に壁を作っているという表現が適切かもしれません。 寂しい、かまってもらいたい、でも傷つくのが怖い… 私も経験致しました。46歳になる今でも衝動的にその考えに囚われて、せつない夜を過ごすこともあります。(既婚、一子ありですが、少々訳ありなので…) 個人的な体験談からもの申し上げさせていただきますが、自分の「壁」を薄くしないと相手との距離が縮まりません。 辛い体験から経験的に自分を守るために構築した「壁」ですから、壊すことは困難かと存じますが、薄くしていくことは、心の持ち方で何とかなるのではと思います。 自分の気持ちに正直になりましょう。 背中をそっと押させて頂きます。

noname#162012
質問者

お礼

お礼が遅くなりました。 背中押して下さりありがとうございます。 やはり人は辛い経験を積むとこれ以上傷つきたくないと厚い壁作ってしまいますよね。 それが、少しでも薄くなれば…と自分なりにやってはいますが、頭で分かっていても今までの思考の癖があるのか、やはり今でも警戒心が強く他人と打ち解けるまではかなりの時間掛かります(そこまでいかない事の方が多いですが) ただ、これが自分なんだと受け入れることで、ほんの少しだけ気持ちが軽く楽になりました。 まだまだ長い道程ですが、少しずつでも自分の殻破っていきます。

その他の回答 (2)

noname#122302
noname#122302
回答No.2

わたしもそんな感じです。 ただ、わたしは気をつけてることが1つありますね。 やはり人に依存気味傾向だな、と思うと特定の人と親しくなったりするので、 そうならないように出来るだけ気をつけるようにしてます。 恋愛も、相手に負担をかけないように程よい程度、と心がけてます。 人だったら誰でもいいというわけでもないし、それでも甘えが出てきちゃうときは 自分でコントロールするように自制かけてます。つらいですが。 人間って同じ人が一人もいないように、世界は広いから似たような主観の人同士が どうしてもくっついて集団化しやすいんですよね。 だからそこで、自分との主観に合わなければ「頑張ってない」と見なされる。 変な空気が入ってきたと言わんばかりに「もっともっと」と求められる。 他の人を見れば自分より対して頑張ってないように見えるのに。 自分の居場所探しが難しいなーってつくづく思いますね。 わたしは自分に合う仕事がないかな、って思いますよ。自分に適正な仕事とかなら 似たような主観の人たちと出会えるんじゃないかなって。

noname#162012
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうなんですよね、私も若い頃は非常に相手に依存していたなと思います。 それに気付いてからは「適度な距離感」を心掛けていますが、そういうのも未だに解らず試行錯誤なんですよ。 なかなか「この人なら心開いても大丈夫」と思える人も出来ず…難しいです。 私も今自分の適正を調べる術はないか考えています。 年齢的にもちゃんと腰を据えて働ける職場、お互い見つかれば良いですよね。

noname#122302
noname#122302
回答No.1

分かりますよ、その気持ち。 愛されなかったから「自分がしっかりすれば」愛されると無意識に努力して 結果的に周囲から評価される人がいるんだと思います。 そういう人を見て自分も、と頑張ってるけどなんかずれてるところがあると認めてもらえない。 自分自身では100%の頑張りなのに認めてもらえない。 わたしは100%の頑張りを出しても職場で認められなかった仕事もしてました。 自分の考え方よりも全く逆の世界の人たちが集まったような職場でした。 なので会話にもついていけず、いつも一人でした。(一人は慣れているので苦ではありませんでした) それでも、たった一人だけ、「頑張ってね」と囁いてくれた人はいました。 精神疾患のせいで偏見がありその職場でいじめも遭ってたので影で支えてくれてた人もいました。 素直にうれしくて涙も出ました。そこを辞める際も、涙を流してくれてた人がいたことは わたしの一生の宝物です。(辞めた理由は社長の奥さんからのいじめで、耐えられなくなったからです) 今は仕事らしい仕事はしてないですが周囲の人からは「頑張り」を認めてもらえています。 だけど認めてもらっていても、一人なので寂しさはやはり感じますよ。 涙を流したいときに胸を貸してくれる人はいないかな、とか、もっと甘えたいな、とか。 周囲の人が知らない自分があるのに、出せないで過ごしてます。 多分それは幼少期からそういう生き方しか教えられないで分からないで生きてきた生き方だと わたしは最近、カウンセリングで気づきました。甘えることさえ許されなかった環境で。 だから大人になった今、人に甘えたくなったり依存したくなるんだと思います。 ひどくなってしまえばAC(アダルトチルドレン)になってしまいますが仕方ないことです。 少しずつでも、今までの生き方を変えて、もう少し周囲の人に甘える癖をつけてもいいような気がしますよ。

noname#162012
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も同じような経験を積んでいます。幾ら頑張っても(こちらが100%を出していても)相手からはもっと頑張れと要求される。 私より頑張ってない(様に見える)人に対しては何も言わないのに、どうして私だけ?と何度思ったか…。 私も現在社会に出る事に疲れてしまい仕事はしていなくて、カウンセリングを受けたり自分の過去を振り返ったりしながら過ごしています。 回答にもありましたが、私は恐らくACだと思います。 そしてカウンセリングを受けるうちに自分は人から愛されたい、受け入れられたい、甘えたいんだと思ってる事が分かってきました。恐らくそれは自分の中にいる小さな子供の心理なんだと思います。 私にはまだまだ愛が足りません。とは言ってもほしいからって買えるものではないんですよね。