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やる気がないときに死にたいと思うとやる気が湧いて

やる気がないときに死にたいと思うとやる気が湧いてくることがありますか? それと怒りや喜びの感情を出すと申し訳なくなるんですがこれはなぜでしょうか? 自分が感情を抑圧しているからです。ですが常に他力本願で心ここにあらずみたいに他人に自分を投影して 自分が自分じゃなく自分の考えが他人と同じと考え、自分が苦しいと思うとそれは他人が苦しいとなりえます それが人を見下すことになっていて馬鹿にすることになっていまして、人を馬鹿にしていると自分も苦しくなり絶望しています ですが心のどこかでまだ大丈夫と思っています。それは自分が親に依存しているからだと思います 自分の欲求を追求することに罪悪感があり欲求を追求するときには常に懐に誰かもしくは親がいてくれることを嫌々願っております 親はとてもやさしいのですが基本的に反省をしない人で謝ることをしません 見下されているように感じます 自分は相手の感情や嘘を読み取ることが苦手です それと自分の感情が人にバレるのが怖いんです 自分の感情をわかって欲しいですがわかってもらうことが怖いです 利益のために努力しても利益が得られずに努力が報われないことが怖いです 依存症ですか?ADHDでしょうか?

みんなの回答

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.5

うつ病の方が回復途上にあるときに、躁状態に持ち上げすぎて、活動性が上がることで、ふっとよぎった希死念慮を本当に実行してしまう、というのが、うつ病で一番怖い自殺理由だったりします。 知人の場合、結局看護疲れの奥様がなくなった後、それを追うようにうつ病の夫が亡くなりました。残されたお子様は祖父母のもとで育っていますが、青年期の心のケアが心配です。 そのように、躁状態になると、死んでやる!という元気の出方も、頑張ってやる!という元気の出方もします。インターネットに犯罪まがいのことを書き込んでしまうなど、制御が利かないくらいの躁状態にならないよう、早めに受診されることをオススメします。

回答No.4

余計なことになりますが、 ここの規約や医師法等の関連で、 ここでの診断は無理です。 こころの健康(相談)センター、 発達障害者支援センターを訪れて 相談してみてください。 更に余計なことになりますが、 The joy of living is the joy of giving. (『Lover Come Back』) のようなスタンスで暮らすようにしませんか。 givingを中心にしていれば、負の感情のジャグリングが 消滅するでしょうし、いまいま質問者さまが 拘りを感じていることが気にならなくなります。 加えて、自身の【利益】や、自身が【報われること】等のために アクションすることの虚しさを知ることで、 人間的に数段進化できるでしょう。質問者さまのインナーに、 暮らしの中での一方的な期待心、環境を考慮しない願望、 承認欲求、偏執的自己愛、自分本位、被害者意識、 被害妄想etc.が過剰に暴れていたり、暗躍していなければ、 救いがあります。 なお、最高の与え上手は、受け取り上手です。 受け取り上手は、人の気持ちを快くする 与え上手なのです。 質問者さまは高校生か若しかしたら中学生なのでしょうかまぁ それはともかく、質問者さまのお宅では親御さんが背中で導くといった 状況にはなっていないようですが……アレコレ葛藤のジャグリングなどは 無縁に、自身で描いたライフデザインの目標に向かって、 シャカリキにならず、あくまでも自然体で、気分本位ではなくコンスタントに 完全燃焼することに専心しませんか。 そうすることで(たとえば、全国模試でトップテンに入ったり、 スポーツで新記録を打ち立てたり、英語のスピーチコンクールで 全国優勝したり……などなど、快挙というか)目に見える活躍を しつづけていれば、親御さんが質問者さまを見下す といった状況等が消滅されてくるでしょうし、 他の人の感情や嘘を読もうとしたりする不毛なエネルギーの 使い方等とは無縁になるでしょう。 なお余計なこと序に、更なる付け加えを するとしますと……五木寛之さんの『他力』等で、 【他力本願】の真意を知ることを おススメします。 Good Luck! Ciao!

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.3

感情よりもやっていることに精神を集中してみたら。つまりできることを丁寧にやってみることを心掛ける。こうやっていると自分が出来てきます。できることをやっているのが自分なのです。逆に出来ないことをやろうと焦っているといつの間にか他人があなたの座っている椅子に腰かけてしまいます。いったん座られるとなKなかどいてもらいにくくなります。そういう時はぼーっと立っていないで自分が出来ることをやっているのです。そうするといつの間にか他人は席を立ちます。そうしたらあなたが座ればよいのです。

回答No.2

死を覚悟したとき、生命という名の神秘性を実感したり、世の中を広い目で見たりして、 それにより自身の悩みがちっぽけに見えて前向きになろうとするのはありえると思う。 質問者さんの葛藤はスケールは違えど多かれ少なけれ皆あるように思いますが、過敏症的になってるとしたら、どこまでも不に囚われて、あれやこれや考えるのではないだろうか。 不を見つめる事は同時に不にまつわる恐怖心を見てしまうだろうし、その恐怖は脳に記憶(蓄積)されていくでしょうから、「行動力」の観点においては消極的になるかもしれない。 行動力のある人は基本的には無神経でKYである場合が多いいですから、基本に努力してない 何も考えないのが正解かもしれないけど、でも何も考えないというのは難しいと思う。 気分を切り替える。遊びに積極的になるのを心がけてみるとか、どうですか? 試しに、このサイトで私がやってる遊び事を紹介してみようかと思う。 http://okwave.jp/okdreams/community/d8707809.html ↑は、みんなで夢を共有しあって実現しようとするサイトです。 クラウドファンティグでお金を集めたりスポンサーを集めたりが、最終目標ですが もし企業がアイデアを買うような事があれば、遊びを共有してるだけでビジネス的に金が儲かるという構造が実現するという事であり、凄いことであります。 あなたも一緒に私と夢を共有します? 良いアイデアくれたりして成功したら、報酬山分けしましょうよ。

回答No.1

あなたにピッタリの書物があります それは 「聖書」・・・・キリスト教に入りなさい・・とまでは言わないが 一度は読んでみて下さい