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日本人はなぜ日本語を苦手とするのですか

普段会話の中で、しばしば意味不明の言葉を聞き、大変不快なのですが、大人げないので耳障りでも我慢しています。(ときどき「耳障りがよい」という方がいますが、 まずい酒はうまいと言っているようなものです)しかしこれでは日本語は、22世紀を待たずして、滅びてしまいます。先のことですから構いませんが。 どうして日本人はなぜ日本語を苦手とするのですか。

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  • t_n
  • ベストアンサー率21% (28/132)
回答No.3

確かに、今の日本語は随分と気持ちの良い響きを失ってきていますね。 僕としても非常に残念な事です。 何故、こうなってしまったか、という事がご質問の主旨ですよね。 それはもう「時代」と言うしかないのではないでしょうか。 他の方もお答えになっておられますが、言葉は常に進化し続けます。 何故今「古典」という授業があるかと言えば、それは昔の言葉と今の言葉 が違っているからですよね。長年、少しずつ変化し、それがいつか 根っこの方まで変化させてしまった・・・・。 それを良いと考えるか、不快と考えるかは個人の感性の問題ですよね。 もし、hirohito さんが不快とお思いになるのであれば、hirohito さん はあなたなりの日本語で話してみて下さい。きっと、センスのある人なら 本来の日本語の良い響きに気付き、感化されるでしょう。 もし、良い響きの日本語を聞いてもなんとも思わない人ならそれはもう 無理です。時代だと思って諦めましょう (^_^;) 。 P.S. 個人的に思いますが、手塚治虫さん作の BLACK JACK の日本語には    時々いい響きがありますよ。あくまで、僕の感性ですが。

noname#472
質問者

お礼

ありがとうございます。よい響きを持った日本語、センスある語彙の選択、減少の一途をたどっていますね。不快な言葉を使う方と会話するのはかなりのストレスになります。激励ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.7

NO6での回答とだぶりますが。 >どうして日本人はなぜ日本語を苦手とするのですか。 案外と言語の文法に関しては母国語の方が無頓着になりますよ。アメリカ人が日本の受験英語(特に前置詞関連)に挑戦してもまったく歯がたたないなんてのは有名な話ですが、これとは逆の例で、海外で真面目に日本語を勉強した人なんかは既に日本は誰も使わないような言い回しをよく使いますね。「武士は食わねど・・・」なんて言ったりするフィリピン人が知り合いにいます(笑

  • denden_kei
  • ベストアンサー率23% (542/2278)
回答No.6

突き詰めていくと、他の方々がおっしゃっているように、「何をもって正しい日本語とするか?」という問題に最終的には直面します。 >しかしこれでは日本語は、22世紀を待たずして、滅びてしまいます。 言語学的な意味での日本語が滅びることは、社会において日本語を積極的に排斥しないかぎりないと思います。 それとは別に、 >どうして日本人はなぜ日本語を苦手とするのですか。 それは母国語ゆえに外国語に比べ、厳密な正確さを要求するからだと思います。おそらく他の言語もそうなのではないでしょうか。 母国語の場合、体系的に学習していないため、文法に弱いという理由も考えられます。(中学で国文法を学習するとき、英語の文法で考えたのは私だけでしょうか?)

noname#472
質問者

お礼

ではお聞きします。あなたは常に変化する日本語にどう適応していらっしゃるですか?辞書のような改訂作業の難しいものはもちろんお使いにならないでしょう。「社会において日本語を積極的に排斥」されていると思いませんか? 無国籍語の跋扈している現状認識はお持ちですか? もうすこし論理的な考え方を身に付けた方がよろしいのでは? あと関係ありませんけど、私は「若者が」とは一言も申しておりません。老若男女を問わずです。ひとを小馬鹿にするの結構ですが、ちゃんと日本語の文章読んでから回答してくださいね。

  • sayu
  • ベストアンサー率11% (4/35)
回答No.5

「耳障りがよい」といっている人は「耳触り」(肌触りのように)の意味で 言っているのでしょう。 nabayoshさんも言っていらっしゃいますが、言葉は変化するものです。 「言葉が乱れている」等と良くおっしゃる方は『君、僕と一緒の考えだね』 とか『とても綺麗な月だ』等とは絶対に言わないのでしょうか? どこがおかしいのか分らない人も恐らくいっぱい居ると思います。

noname#472
質問者

お礼

耳障りの「障り」と肌触りの「触り」、一緒にしたら漢字で書く意味がなくなります。こちらが敬語を使っているのに分からないひともたくさんいます。 最後の一節は、常に感じることです。 「言葉の変化」実に正論ですが、それだけですべてを説明でき、解決できるのでしょうか? 言葉は関係性の中での意思疎通の一手段であるわけですから、すべてを「変化」で正当化したら秩序が失われてしまうのではないかと感じたわけです。

  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.4

1つには、教育の問題があるかと思われます。そもそも、正しい日本語ってなんでしょう。それは文部省(今は違う名称ですが)が決めるものです。標準語だとか共通語だとかいうものですね。この「正しい」日本語を使うことができないのを憂えていらっしゃるのなら、少し考えなくてはいけません。日本語を決めるのは国語審議委員会のお偉方ではなく、我々自身ではないでしょうか。 もう1つ、社会の変化という問題があると思います。今の若者には標準日本語が苦手なのは確かです。例えば敬語など、若者にわかろうはずがないのです。なぜなら、社会の秩序が変動しているからです。この変化に応じて言語にはいろいろな役割が要求されてきます。当然、敬語などが退化していくこともあるでしょう。しかし、同様に文化や社会に根差した日本語の文法体系が生じることだってありうるわけです。 誤った用法が現在では主流になってしまったという例もあります。例えば独壇場。これは、もともと独擅場(どくせんじょう)が正しかったのに、いつの間にか慣用によって変わってしまいました。hirohitoさんは「どくせんじょう」と言わなくては気が済まない方ですか? そういう人は少数だと思います。多数決の原理ではありませんが、日本語に限らず、言語はそうやって淘汰されてきているのです。 さらに3点目、話し言葉というのは、時間軸上に沿って流れていきます。ところが書く言葉というのは、後から前に書いたことを消して書き加える、すなわち推敲することが可能です。学校教育では書き言葉を基準にして「これが日本語」とのたまわっていますから、書くように話せば立派な日本語である、という価値観が蔓延してしまったきらいがあります。しかし、人間は誰しも立て板に水のごとく、爽やかな弁舌を披瀝することはできないのです。「会話」において間違っている日本語というのは、書き言葉の基準で間違っている日本語であってはならない、と僕は思うのですが、いかがでしょう。 呵々大笑すべきは、「日本語が22世紀を待たずして滅ぶ」という言説だと思います。確かに日本語の頽廃は嘆かわしいとおっしゃる方のお気持ちはわかりますが、その方が若者だった時の老人も、やはり言語の乱れは気にしていたと思います。ときに、オリエント文明で最初に書かれた文章が「最近の若い者はなっていない」というものだったと噂に聞こえています。そのくらい昔から遍在している問題ですから、「先のことですから構わない」としても、これはやはり杞憂というしかないと思います。 【まとめ】 ・正しい日本語は→日本人が創る。 ・日本語に限らず、言語は社会のニーズによって変形していく。 ・話し言葉を書き言葉同等に捉えるのは問題がある。 小生、弱輩ではございますが、上のように私見を陳述させて頂きました。参考になりますれば幸甚でございます。

noname#472
質問者

お礼

「最近の若者は...。」が人類の誕生とともに古いことは仄聞しております。私が申し上げたかったのは、日本語は体系を持たないことになるのではないかということです。年代の離れた人たちが会話した際、「変化」で意思疎通ができなくなってもよろしいのでしょうかね。

回答No.2

まず あなたがどういう日常生活を送っておられるのか不明ですのでなんとも言えませんが 例えばどういう言葉が「不快」なのでしょう? 文法的なもの? 単語レベル? わたしが考えるには そもそも日本語自体が発生から、外国語を輸入して加工したものであるに過ぎないと思ってますのでこれから何百年経とうが その時点であるものが「日本語」じゃないでしょうか まず滅びることは無いでしょう

noname#472
質問者

お礼

「容針小地」この名文句は日本古代のものですが、何とお読みになるかご存じですか。「針指すばかりのところもなし」と読みますね。この読み、輸入品でしょうか。

  • cricket
  • ベストアンサー率22% (107/466)
回答No.1

ご質問の焦点が分からないのですが、 日本語がどんどん砕けた表現になっていくことにお嘆きのことと推察しますと、 まず、どこの国の言葉でも時代と共に変遷します。 「正しい日本語」と言いましても、現在の標準語さえ明治時代に東京弁を元に「作った」言葉ですから、それを正しいとするべきなのか、もっと前に基準を持つべきなのか、誰も決められない事と思います。 これは罪ではないと思います。 次ぎに最近の非常に極端に崩れた日本語に関しては 小説や映画や漫画やアニメ等の表現手法の過激化と、 それを助長し続けてきたマスコミに責任があると思います。 それが何故かと言いますと、信じていただけるかは分かりませんが、 戦後まもなく、「コンロン計画」と言う陰謀がありまして、「日本人総白痴化計画」とでも言う内容なのですが、 長期計画で若者に娯楽をたくさん与え続け、 まともに考える事が出来ない民族に改造しようというものです。 原爆で日本人を皆殺しにする計画もあったそうですし、 そうしたくなるほど日本軍の戦い方は驚異だったんですね。 その計画のために政党のトップと新聞社や放送局のトップは全て入れ替えられたのです。 彼等は皆、計画の加担者でした。 僕はこのことを昔、本で読んだのですが、 最近、終戦時に新聞社に勤めていた男性の昔話として、その娘さん(も、既に年寄りですが)から聞きました。 「新聞社も放送局も全てトップが入れ替えられた、あんな奴らがトップになったら日本はおしまいだ」で、上記の計画について語ったそうです。 従ってそんな計画はあったんでしょうし、 その効果が見事に成就していることはご覧の通りです。 証拠がないのが残念。

noname#472
質問者

お礼

「コンロン計画」早速調べてみます。大変貴重なアドバイス、ありがとうございました。

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