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朝鮮通信使の宿泊先を訪ねた日本の文人の意思疎通方法は?

朝鮮通信使の宿泊先を訪ねた日本の文人の意思疎通方法は? 朝鮮通信使が日本に来たとき、その滞在先に日本の文人たちが訪問したらしいですが、朝鮮通信使とはどうやって意思疎通したのでしょうか? 朝鮮と貿易していた人たちならともかく、多くの日本の文人たちが朝鮮語に精通していたとは思えません。 自分なりの予想なのですが、多くの文人たちは儒教について朝鮮通信使に教えを請いたいと考えていたようなので、朝鮮通信使・日本の文人ともに漢文の素養があった可能性が高いので、漢文で筆談していたのではないかと思います。 実際はどうやっていたのでしょうか?

みんなの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

例えば上田秋成 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E7%A7%8B%E6%88%90 「1764年(明和元年)、大阪で朝鮮通信使一行との筆談に参加した。」以上引用

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.2

朝鮮の公式記録は漢文ですので、朝鮮の高級官僚はみな漢文できます。 一方日本側も武士の基本的な教養として皆論語を学びます。 上級武士は押しなべて漢文を理解します。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

漢文で筆談です。 なので、朝鮮通信使の記録では ○○はちゃんと漢文が出来る、□□はできない。 というように書かれています。 漢文に関しては、朝鮮の官僚は生半可でないです

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