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《ガラパゴス化》の正しい定義とは?
- 《ガラパゴス化》とは、ある対象の特異な進化や発展が閉じられた環境で進んだ結果、他の環境との互換性が低くなる現象を指します。
- 現代ではあまり見られない《ガラパゴス化》の例としては、過去の遺物や文化が特定の地域や集団に固まって存在していることが挙げられます。
- 縄文人の生活態度は経験合理性を通じて互いに説得し合い、社会的な共生を図るという特徴があります。これが縄文人の生き方の一部であり、共生が重要な考え方とされています。
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「~化」は「~のようになる」の意であり、それ以上でも以下でもありません。 「ガラパゴス」が何を意味するか?がポイントになるのですが、 こういう表現というのはお互いの共通理解と文脈上の意味合いで使われるものですから、いわゆる「定義」は存在しません。 一般的には、隔絶されて独自進化を遂げた様を表すと思われます。 そういう意味では仰るような縄文人の例は異なると思います(間違っているとは言いませんが)。 日本の携帯電話なんかはその典型ですね。今や業界内では略されて「ガラケー(ガラパゴスケータイ)」などと称しております。
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- kurinal
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なんだこりゃ!? 「珍しい」のが居る!! スゴい! ってことかと。
お礼
うん? クリナルさんは いちど投稿をもらったようですが このご投稿はよく読みとれないんだけれど。・・・ 回答者の中に 《珍しい・スゴい》人がいるってことですか?
補足
お礼欄では よく読みとれませんでしたが けっきょく そういう反応を持つ場合の情況が それだということのようですね。 《珍しい》という感触が 中身のようです。 少し混乱しました。ご回答をありがとうございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
一定の存在形式になってしまっている状況を比喩的に表現するタームとしての定義ならば、交流や相互関係が切断状況になって、固守からでられない意識と生活状況ですよね。 多くの人は誰しも幾分かはこの仰せの《ガラパゴス化》を具有していると存じます。 そういうお互いが《ガラパゴス化》的とか投げあう事は無意味であるより、更に《ガラパゴス化》の深みに入っていくのでしょう。 あたかも暗く哲学もどきに自己性の存在を仮想している人や、他人を暗い哲学もどきとか、価値性や理念性のない意識、思考だとお札を貼ったり投げつける事の自体が価値性と理念性を放棄することと同じで、《ガラパゴス化》などということを思考することから脱け出る出口を探す事が大事だと存じます。 (人の存在の宿命的偽善性は価値理念を求めるが故の、そこにありてそこにいてはいけない宿命なんですが、そういう理念性なきあり方と思考くらい暗いものはないし、取り留めなさもない。人間の認識とその共通的言語化とは、理念的観念の認識の中で取り上げ、説明するべきであり、そうしてこそ認識となり説明となると存じます。そういうあり方のない生活と思考・説明くらい、空しく愚かしく、哀れだと存じます。)
もうずたずたに切り裂かれて立ち直れないwww というのが 前世紀の異物=時代遅れの縄文人ですwww
お礼
鯉は分かるのだけれど その背景は何だろう? ★ 世紀 ☆ ったら 百年を言うんだよ。縄文時代は どうでしょう 紀元前一万年から同じく三百年ごろまでを言います。 治療・休養に専念してください。
- juyjuy
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ガラパゴス化とは生物が孤島で外界から離れた進化が特殊化してその島だけでしか生きていけない事を意味します。 これは「過去の遺物」とは何の関係もなく、今現在の状態を言うのが正しい使い方です。 例のダーウィンがガラパゴス諸島の「フィンチ」(スズメのような鳥)がガラパゴスの個々の島で独立の進化を行い、食性や行動が特殊化している事を発見し、進化論の元になりました。この研究を引用して、グローバルな世界で自分の国(個人でも団体でも)だけにしか通用しない事を行う事が最近使われている「ガラパゴス化」の定義です。 質問者様の言われる《現代ではもう見られることの少ない言わば縄文人の人間類型(エートス)――つまりそういう過去の遺物です――がさまざまに集まる傾向》そのものは日本がガラパゴス化していない事を示しているようにおもいます。 つまり日本人(あるいは日本文化)は十分グローバルに進化してきたので(・・英語が出来ないと入社できない会社が増えてきました・・)日本人(日本文化)のアイデンティティ-を求めようとするのが 《縄文人の人間類型(エートス)がさまざまに集まる傾向》ではないでしょうか。 こういう「文化」「人間のあり方」といった問題は、グローバルに発信する事が出来るものです。 日本でしか動かない携帯電話の技術、もうじきなくなるアナログのBShiビジョンなどは、技術的に高度でも世界のだれもが使いません。これがガラパゴス化の典型です。 質問者様の言われる《現代ではもう見られることの少ない言わば縄文人の人間類型(エートス)――つまりそういう過去の遺物です――がさまざまに集まる傾向》を世界に発信して、他の世界から全く顧みられないのならその 《傾向》はガラパゴス化したことになります。 >縄文人の人間類型(エートス)<がどういうものか不勉強で存じ上げませんが、グローバルな人類に有益なものであれば必ず外国から賛同者が現れるでしょう。そうなればガラパゴス化ではありません。 剣道、柔道、お茶・・・歌舞伎等々・・相撲も・・かなりグローバルになりました。(これは弥生かな?) 質問者様のお考えから類推すれば、今一神教と多神教のあり方の論争などが当てはまると考えます。 日本は縄文時代から一度もガラパゴス化した事はありません。いずれも常にグローバル(初めは中国、朝鮮、シベリア、南洋諸島)な環境の中で生きてきました。「世界」を知らない事は縄文時代から無かった事は最近の研究からわかっています。 もちろん質問者様の「縄文人」というのは老子の考えた理想世界(隣村へも行かない)に類する事を比喩的に言っておられるものだと解釈します。 とりあえずガラパゴス化という意味は一般的に悪い意味に使っていますので、このような題材にはちょっと不向きと思い回答としました。 質問者様の質問の趣旨を十分組んでいないと思います。お許しください。
お礼
ううん そうですね。まづは じゅいじゅいさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 趣旨とちがうかも知れないとおっしゃっているので あとは 確認程度ですが。 つまり 《縄文人》の定義が互いにちがっているようですね。わたしは次のように捉えています。 ☆☆ (趣旨説明) ~~~~~~~~~~~~~~ 縄文人の生活態度というのは 経験合理性をとおして互いに説得し合いそれぞれが納得しつつ互いにそして世界とも社会的な共生を図るという生活態度 これを知らない場合を言います。 * 過去の遺物は決して生きた化石なんかではなく そうではなく われわれ現代人の或る種の仕方で根源であり それとの共生こそが大事だといった意味合いの批判を 上の応用版の定義に潜む考えに対して頂戴しています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 後半は 但し書きになっています。その意味では 悪い意味ではなくよい側面を引き出したいという意味あいです。 あるいはまた 悪い意味のほうでは こうです。 ☆☆ (No.3お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~ ヨリ(世界への憑り):原始心性(アニミズムおよびシャーマニズム) イリ(世界への入り):歴史知性(感性かつ経験合理性) ヨセ(世界を寄せる):超歴史知性(ヨリを束ねイリをなびかせる) ☆ このヨリなる原始心性を 縄文人の類型と呼んでいるのですが 日本ではこの前歴史知性が温存されているというかたちの独自の進化があったとも考えられます。あくまで飛躍をしてよければ だと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 以上 同じものを別々の角度から見ているその結果を 互いに出し合っているだけとも言えるかも知れないし あるいは 見方の違いは 考え方の違いにまで広がるのかも知れません。いづれにしても そのような全体としての見取り図の確認をしました。
- masa2211
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>《現代ではもう見られることの少ない言わば縄文人の人間類型(エートス)――つまりそういう過去の遺物です―― >がさまざまに集まる傾向》というふうに応用しては まちがっていますか 間違っているでしょう。 wikipediaの「ガラパゴス化」によれば、キモ部分は 「世界標準から外れた方向に変わる」の部分と私は読みます。 この部分をすっぽ抜いて、かつ別な意味を付加しているから、間違いでしょう。
お礼
まささん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ヰキぺをいま見ました。過去のいきさつのことがあったので いづれにしてもこの質問は挙げておこうと思ったものですから 解説やら参考記事などを事前には見ませんでした。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・キモ部分は / 「世界標準から外れた方向に変わる」の部分と私は読みます。 この部分をすっぽ抜いて、かつ別な意味を付加しているから、間違いでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ まづちなみに 《 Galápagos Syndrome 》と言うのですね。 たぶん基本的にわたしの応用の仕方は間違っていると見たほうがよいと思います。知らずに使ったのですし。 その上でですが この《世界標準から外れた》と言い次の記事における《日本の製品は日本市場に封じ込められ》という部分と言い 別の見方から見て 縄文人の類型の温存という事態は あたかもガラパゴス症候群であるようにも映ります。 ▲ (ヰキぺ:ガラパゴス化) ~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%91%E3%82%B4%E3%82%B9%E5%8C%96 § 例 全体の傾向として、日本独自(あるいは一社だけの)の規格を採用したり、日本人固有(日本語など)のニーズにもとづいて商品を開発したりすることで日本の消費者を囲い込む。日本という限られた市場での消費者を取り込んでいるという状況にあるので、顧客一人あたりの単価を上げることが追求され、高性能多機能高価格化が起こる。日本国外からの参入が阻まれ一定の利益はあがるが、同じ商品で世界市場に参入は困難になる。一方で、欧米あるいは世界市場で営業を展開する商品は、消費者のニーズの多様性から機能や品質は日本の製品に比べれば劣るが、生産規模が膨大であるため安価である。 日本の製品は日本市場に封じ込められ、高機能・高コスト化を強いられる中、海外製品は世界市場での切磋琢磨から徐々に高性能化し、最終的には基本性能も国内仕様の製品に並ぶか、上回るようになる。こうして、世界標準に基づいた低価格の海外勢が一気に日本国内に流入し、日本独自仕様製品の敗北という結末に結びつく。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ つまり前後の文脈は違っているわけなのですが です。 ヨリ(世界への憑り):原始心性(アニミズムおよびシャーマニズム) イリ(世界への入り):歴史知性(感性かつ経験合理性) ヨセ(世界を寄せる):超歴史知性(ヨリを束ねイリをなびかせる) ☆ このヨリなる原始心性を 縄文人の類型と呼んでいるのですが 日本ではこの前歴史知性が温存されているというかたちの独自の進化があったとも考えられます。あくまで飛躍をしてよければ だと思います。 その前提で別の意味で 《世界標準から外れた》というかたちになっているのかどうか。どうですかねぇ。 半分は遊び心でした。あしからず。
- tanuki4u
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島嶼化のキャッチーな言い方 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B6%BC%E5%8C%96 並行進化の一種であり、「過去の」という時間軸を想定しての考え方ではない。
お礼
えっ? ひととおりヰキぺは読んだのですが――おっと たぬきふぉーゆうさん こんばんは。ご回答をありがとうございます―― ピンと来ていません。 ★ 並行進化 ☆ は 巨大化と矮小化との共存を言うのでしょうか? ★ 「過去の」という時間軸を想定しての考え方ではない。 ☆ その過去と現在とのあいだに断絶や間隔があっては話が別だということでしょうか? ともかく精確には わたしの応用はだめだということですね。
お礼
エファケーンズエルさん こんにちは。ていねいにおしえてくださってありがとうございます。 ★ 一般的には、隔絶されて独自進化を遂げた様を表すと思われます。// 日本の携帯電話なんかはその典型ですね。 ☆ そういうふうでしたか。《隔絶されている》および《その状態において独自進化を遂げている》のふたつの要件ですね。 ぢゃあ ちょっと違っていましたね。 ★ そういう意味では仰るような縄文人の例は異なると思います(間違っているとは言いませんが)。 ☆ 《(間違っているとは言いませんが)》なんですか。ということは 印象や感触のもんだいとしてなら 或る程度は通じるかも知れない。といったところでしょうか? ふうむ。ぢゃあ 精確を期すためには あまり使わないほうがよいようです。 たぶん回答はいただけたと思います。 この質問じたいは 過去のいきさつも抱えていますので もう少し開いております。 重ねてありがとうございます。