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宇宙はいつ誕生したか、いつ消滅するかなど、「時間的」な疑問だけが問題に
宇宙はいつ誕生したか、いつ消滅するかなど、「時間的」な疑問だけが問題にされているように感じるのは私だけでしょうか?どこで宇宙は誕生したのか、どこで消滅するのかといった疑問と、それに対する解答などの事例がありましたら、教えて下さい。
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時間感覚に拘束されたままだと、宇宙がいつできたか、いつ消滅するかは決して解けません。 時間感覚は、人間特有の時間スケールにすぎないのではないでしょうか。 同様にどこに宇宙があるかも人間の空間感覚での事柄ですよね。 でも、もう一方の視点では、宇宙には、ことごとくなんにもないんですよね。 存在しないことこそが真に存在することであって、真に存在しないから存在しているようにしているということ。 結局、物事を存在させているのは、あなたなんですよね。 なので、いつ、どこに、という答えは、あなたの中にあります。
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- k_kota
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そもそも、宇宙が無い状態では空間がないので位置がありません。 また、宇宙は膨張しているのであり、空間が追加された訳では無いので最初の1点が現在でいうどこというのは定義できません。 全ての空間が宇宙誕生から存在していて、移動もしていない。 しかし、まわりを見ると離れていくように見えるのです。 人間はどこから人間になるのかという話にしてみましょう。 人間は定義によりますが、細胞の一部から人間になるのではなく、ある瞬間からその細胞全てが人間なのです。 場所全体の集合が宇宙なのであって、宇宙でない場所というのは無いのです。 ですので、はじまりは宇宙全体からスタートして宇宙全体の消滅で終ります。
補足
宇宙と云うのは、無くなったり、生まれたりするものなんでしょうか?人間なら、目先のことではありますが、生死があります、で、人間には居場所の座標が一応考えられます。なぜ生成消滅するといわれる宇宙に座標が無いのでしょう?また、「宇宙が生成消滅する」という結論は仮説なのでしょうか?哲学カテゴリの質問、回答はこのような愚問に、無い智恵を絞って出して欲しいと思うのですが、変でしょうか?宜しくお願いします!科学的思考は「観察できる事実、現象を条件に行う」ものですが、哲学は、「解らないことを論理的に全身全霊、体力と知力、直感で思索する」ものと思っている者としては、宇宙全体が消滅するという概念が、直感的に理解できないのですが・・・
- cowstep
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時間には、過去と現在と未来という概念があるので、現在を原点として表示すれば、何億年前とか何億年後ということを観念することができます。しかし、位置となると、原点は宇宙空間のどこにすれば良いのでしょうか。宇宙は膨張していると言われていますが、中心はどこにあるのか分かりません。また、宇宙空間は無限大と言われているのに、膨張という概念があることから、閉じられえた空間ではないかという疑問があります。時間だって、本当は幻想かも知れません。
補足
結局はよくわからないというか、答えの出しようのない愚問なんでしょうが、これぞ哲学の命題のひとつなのだと思いますので、一緒に今後も考えて下さい。宜しくお願いします。
- sotom
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例えが適切かどうかは分かりませんが、PCで考えてみましょう。 OSを再インストールする場合、起動しているPCのCドライブからは処理できません。 即ち、どこで宇宙が誕生したのかと考えるのであれば、今存在している宇宙は、 どこを(何を)ベースに存在しているのかを証明しなくてはいけません。 宇宙の内部からでは考えにくい事柄でしょう。 だからこそ、「どこ」という疑問は出てきにくいのではないでしょうか。 これは哲学のカテゴリではないですね。
補足
思索するための初期条件によって、回答が色々になるようです。その「初期条件」を定義するのが「ヒロソフィ 哲学」だと認識していますが間違っているでしょうか? これぞ哲学のカテゴリだと考えますが、哲学とは何かの共通認識がないと、かみ合わないですね。宜しくお願いします。
- rurubonpp
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仏教では「無始無終」と言いますね。「始まりも無ければ終わりも無い」ということです。 例えば、よく言われているビッグ・バンが本当にあったと仮定すると、そのビッグ・バン以前には宇宙はなかったのでしょうか?想像は出来ないけど、やはりあったと思います。暗黒の暗闇だけだったとしても、暗黒で暗闇の宇宙があったわけです。 宇宙が消滅するとは、どういう状態が宇宙が消滅した状態でしょうか?宇宙の星々が消滅して、暗黒の状態になっても、暗黒の状態の宇宙は存在するわけです。 また、宇宙の広さもわからないわけですから、星々が消滅しても、他の場所には星や生命がいるかも知れませんね。 宇宙の広さが有限だとしても、それではその宇宙の一番端のその先はどうなっているのかという疑問が出てきますね。 だから、「宇宙は始まりもわからなければ、終わりもわからないし、広さもわからない」と言うのが答えですね。 わからないことがあっても良いのではないでしょうか。わからないからロマンがあるのだと思います。
補足
無始無終を「始めも終わりもある!」と理解するようにしていますがいかがでしょう?終わりと始まりとが繋がっている「輪 循環」こそ無始無終の実体とみています。端っこは中心に繋がっていれば永久に存在が保証され矛盾しないと思います。解らないことを解ろうとするのが哲学だと思いますが如何でしょう。その際、ノイローゼにならない、堂々巡りにならないようにするために、冥想を心がけていますが。解らないものは解らないのですが、チャレンジを放棄したら哲学になりませんね。で、皆さんの教えが欲しいのです。
- 来生 自然(@k_jinen)
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天文学などでの質問が適切な問題でしょうね。 現在では、誕生と同時に膨張や収縮といった「一定の方向をもって相互に移動している」という仮説を立てているようです。 そうした場合に、現時点で観測可能な銀河同士が離れていく速度は、場所によって同じ程度だということが分かっているとのことです。 その結果、宇宙全体を空間として捉えるなら3次元ですが、2次元の様に捉えるなら、風船の様なものを膨らませた表面に貼り付いているといった説明が為されています。 即ち、「ある点から膨張している」としたとき、「今の」宇宙全体のあらゆるところが、その「ある点」になっているといった説明がなされているようです。 http://okwave.jp/qa/q2398960.html 「それ以前の空間のどこから?」といった疑問の場合には、「それ以前」には「空間」といった概念すらあるかどうか怪しいということになるでしょうから、「わからない」というのが正解かも知れません。
補足
時空の問題は「天文学」の範疇をこえる哲学的課題だと思うので、哲学カテゴリで質問しました。宇宙論を天文学とか物理学の範疇に押し込めて考えると、発想が貧弱になるようです。哲学カテこそ宇宙、生命を考えるセクションだと思いますがいかがでしょうか?色々な学説を知りたいと思っています。科学的方法では、未知なる現象を解明証明できません。数学的手法でも限界を感じます。病理のように生命現象についての専門家は「医者」ではありません。腸の中は暗闇です。光をあてて客観的に観察することは出来ません!科学者には腸の研究はできないのです。ただし、論理的想像の許される哲学的素養をあわせれば可能といえます。天文学という科学では「解らないことは研究の対象になりません」つまり、「宇宙の誕生の場所」のような証明不能のような考察はもっぱら「哲学的作業」なのだと思うわけです。 細かいことで恐縮ですが、哲学的思考の根幹に関わることと思いましたので、あえて述べさせて頂きますが、二次元とか三次元とかは数学的抽象概念で、実在しません。現実の世界では二次平面、三次曲面にしても、それらの表面は「量子的状態」で少なくとも「時空の4次元」の現象世界=宇宙だと考えるのです。この世の瞬間の切り口の状態も「つるりとした完全平面」では無いと考えていますがどうでしょう?リアス式に過去未来が相互に入りみ、空間的にも左右上下前後が互いに入り組んだ「4次元状態」と考えるのが妥当だと思います。 時空の常識的定義にこだわっていては、なかなか新しい宇宙論は思いつきません。それで、皆さんの斬新なアドバイス、アイデアを教えていただきたいのです。宜しくお願い致します。
おもしろい発想ですね。 改めて言われると何故でしょうかね。 ひとつは、例えば、この部屋と表現したときに、暗黙のうちに現在というのが前提にされているのと同じ理由からでしょう。 つまり、どの時間かが決定されて初めてどの場所かが決まってくるということでしょう。 回答としては、いつがわからないので、どこかという疑問は後回しにされているということでしょうか。
補足
グモーニン!愚問にご回答頂きありがとうございます。そうですね。一般的な思考では油断だらけで、哲学になりません。哲学カテゴリとして、斬新なアドバイス、解答を期待してます。 条件付きで結構ですので、色々な考えを知りたいと思います。教えて~の本来の目的は「現実的な事実、データ」の教え合いなのでしょうが、哲学のカテゴリでは、「解らない事に対する色々な考え方」の教え合いもありかと思う次第です。今後ともよろしくお願いします。 蛇足:当方は、時と空、時間と空間などそれぞれ別概念として扱って考えています。例えば、時は凝縮の象徴的極と考え、空は膨張拡散の極の象徴と定義します。「~間」は「それぞれ、大きさ」を表すための概念です。ですから、時と空はいわゆる時間、空間の概念つまり、見える宇宙の空間、見えない流れの時間というとらえ方をご破産にして、「時と空」は同質のもの「お互いが垂直関係にあるもの」と定義し直しています。自分で条件を設定して哲学するのです。そうすれば矛盾は出にくいのです。他人の考えは理解しにくいと思いますが参考にして下さい。一般に時間次元は4時限目にセットされますが、持論では、一次元目から時間概念が機能します。一次元に膨張収縮の両極を想定します。つまり、一次元とは「一回転 一サイクル」ということです。こうすると、宇宙論思考の矛盾がなくなります。
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補足
ご回答ありがとうございます。皆さんの回答を読み、見て考えさせられます。そもそも「絶対唯一の大宇宙」について、「いつ、何処で」という問題の答えは無くて正解なのでしょう。いつとか何処でというのは「相対的疑問」でしょうから、絶対なる大宇宙には無意味な疑問なのでしょう。個々に生きているものの都合で想定すればいいのかも知れませんね。斬新でユニークな「宇宙 時空論」が考えられたとして、ユニークなだけでは、ひとりよがりに過ぎません。 何故か皆がともに認める共通の答えを求めるのは、他の、社会の発展、平和繁栄などの役に立つ「技術」に結びつく原理などであれば、おおいなる喜びになると思うからでしょうか。一種の病気なのかも知れません。 究極の真理としての結論が出たとしても、それは「ただそれだけで価値があり絶対のもの」で、何かの役に立つとか平和に寄与するとかの「余分な相対的価値」は無いんでしょう。きっと。絶対なんですから!