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モーゼの十戒についての疑問
- モーゼの「十戒」について疑問があります。
- 「出エジプト記」20章の「十戒」には、第5節で「私は熱情の神である」という記述があります。
- しかし、他の聖書では「私は妬む神」となっているため、翻訳によって意味が異なることに疑問を感じています。
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質問者が選んだベストアンサー
jesusphileさん 出発点であるヘブライ語を書いて下さる方があって、わたしもごいっしょに喜んでおります。 〈神に関してのみ用いられる語で、「全き専心を要求する;妬む」(Exclusive Devotion ; Jealous)という意味があります。〉 神に関してのみ用いられる語を、神に関してのみ用いる語を持たない言語に訳したところから、しかも重訳されたりして、複数の表現になったということですね。 わたしの持っている(だけです)日本語聖書は二種ですが、どちらも「ねたむ神」となっています。 また、ドイツ語についてですが、わたしの持っている聖書は1984年発行と古いもので、「マルティン・ルター訳準拠」となっていますから、ルターの訳がほぼそのまま継承されていると思います。該当部分は最初の回答者さんが書かれたのと全く同じです。 ありがとうございました。
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- climber(@politeness)
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>出来れば原文(?)の意味を教えて頂ければ幸いです。 ヘブライ語は「カンナー」です。これは神に関してのみ用いられる語で、「全き専心を要求する;妬む」(Exclusive Devotion ; Jealous)という意味があります。 >何故訳によってこれほどの違いが出るのでしょうか。 字義訳するか意訳するかによって異なるからです。
- 3orihsoy
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こんにちは 興味が湧きましたので、もう一度書かせてください。 Dudenの語源辞典によれば、「Eifer」の主語としての初出はルターの聖書翻訳の、ラテン語zelus( eの上に横棒)からの訳語であり、この意味は「友好的な羨望」「愛をこめた怒り」「神の怒り」とあります。 また羅和辞典によれば、ラテン語zelusの意味は1.熱心、渇望 2.嫉妬で、すでに嫉妬の意味を含んでいます。 「人間を愛するが故に嫉妬せずにいられない、愛されていながら叛く人間には激しい怒りをぶちまけずにいられない」神の姿が浮かびあがってくる気がします。「ねたむ」だけでは愛が感じられない、「情熱」だけではその原因と激しさが表せない。質問者さんのように疑念を抱くところから、本当の意味への道が通じるのかもしれません。翻訳者の苦悩はこんな所にもあるのでしょう。 他宗教の神とはいえ、あまりに厳しいとばかり思っていましたが、ここで気持ちが少し変わりました。
お礼
再度にわたる懇切丁寧な回答(解説)有り難うございます。前回他の回答者へのコメントにも書きましたが,小生ドイツ語は良く判りませんので,中々理解するのが大変です。いずれにしてもモーゼの十戒は「ヘブライ聖書」(私は個人的には「旧約聖書」と言う表現は好きになれません。何故なら「旧約」とは「新約」に対する表現であり,キリスト教での勝手な表現であり,ユダヤ教徒にとっては「旧約」では無いと理解しています)が原典であり,やはりヘブライ語での表現がどのようになっているのかが一番の関心です。更にドイツ語による聖書に関して言えば,最初に聖書をドイツ語に翻訳したルターはどのような表現をしたのかも併せて教えて頂ければ幸いです。
- drmuraberg
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旧約聖書の原文はヘブライ語、新訳聖書の原文はギリシャ語です。 小生は残念ながら両方とも解りません。 以前ヘブライ語の聖句に付いてコナン的推理で回答したことが有りますが、 その時にヘブライ語と英語の対訳のHPを見つけました。 以下のURLがそのHPの該当部分です。 http://www.mechon-mamre.org/p/pt/pt0220.htm 英語もかなり古めかしい表現で、 thou shalt not bow down unto them, nor serve them; for I the LORD thy God am a jealous God, visiting the iniquity of the fathers upon the children unto the third and fourth generation of them that hate Me; とa jealous God と表されています。 旧訳聖書のユダヤ教の神に対する記述から「嫉む神」という訳は正しいと思います。 ただ、No.2の方の回答の中に「私は熱情の神である」という改訳への キーが有るように思います。 ドイツ語訳、英語訳、日本語訳聖書の変遷は大略次の通りです。 原典 旧訳はヘブライ語→ギリシャ語→ドイツ語(ルータはその際ヘブライ語に有り、 ギリシャ語に無い文は正典として採用しなかった)→英語(またはドイツ語訳と 同じ見直し過程を辿った) 日本語訳は、ポルトガル語→日本語→英語またはドイツ語からの改訳→現代語訳と 思われます。 英語のjealousからは熱情は出てきませんが、ドイツ語のeiferや古フランス語やラテン語 には「熱情」の意味が有ります。 *jeal・ous[ dls ] [形] 4 《聖》〈神が〉不信心や他神崇拝を許さない. [古フランス語←俗ラテン語zlsus (zlus熱意+-sus熱意のある→ねたむ). △ZEAL] したがって、「嫉む」を「熱情」と改訳することは誤訳とは言えませんが、前後の関連に 無理が有ります。 あの中東の熱砂地帯で3000年以上に渡り続いている宗教紛争の原因となっている「神」 の峻厳さを考えると、不信心で浮気者の人間に身を焦がすほど嫉妬し復讐もする神は 有る意味「人間的」にも思えます。
- 3orihsoy
- ベストアンサー率33% (3/9)
こんにちは 質問を拝読して、わたしも「熱情の神」ではあまりにも次に続く文句とかけはなれているのではないかと思い、先の回答者の方がすでにしていらっしゃるように、ドイツ語聖書をめくってみました。 問題になっている「情熱の神」「ねたむ神」・・・の部分は、ドイツ語では先の回答者が書いてみえるように[Denn ich, der Herr, dein Gott, bin ein eifernder Gott,]のein eifernder Gottです。 そこでドイツ語の辞書にあたってみました。 動詞eifern: 熱中する、かっかとなる、躍起になって尽くす、熱望する、など。 この動詞にdをつけ、語尾変化させれば、熱中する男(人)、かっかとなる男(人)・・・となるわけです。 それでこの動詞そのものからは、直接「ねたむ神」とは訳しにくいのですが、この動詞から派生した名詞Eifersuchtは嫉妬、やきもち、また形容詞eifersüchtigは嫉妬深い、やきもち焼きの、です。「嫉妬する神」「ねたむ神」はこちらの意味をくんでいるのでしょう。 動詞のeifernを文字通り訳せば、「情熱の」に通じないこともないので、「情熱の神」と訳した人はドイツ語の動詞にひきずられたのだろうと解釈できるのではありませんか。しかし、質問者さんが疑問に思われるように、これではあまりに甘く、それに続く激しい言葉とは結びつきませんね。 EichersucutのSuchtは麻薬の中毒など、病的な状態などを表すので、この神の三代四代まで祟るというのは、まことに尋常ではない感じですから、まさにa jealous Godであり、ein eifersüchtiger Gottです。 ご質問をきっかけに、一つ勉強させて頂きました。m(_ _)m
- drmuraberg
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手許の古い聖書では「ねたむ神であるから」となっています。 ドイツ語では Bete sie nicht an und diene ihnen nicht! Denn ich, der HERR, dein Gott,bin ein "eifernder Gott," der die Missetat der Vaeter heimsucht bis ins dritte und vierte Glied an den Kindern derer, die mich hassen,・・・・ となり以下の文に続きます。 原文に忠実に訳してみると以下のようになります。 「彼らを拝むことなかれそして彼らに使えることなかれ! と言うのは私、主、あなたの神は嫉む神であり、私を憎む 父親達の罪をその子供ら3,4代に渡り罰する神である・・」 日本語の聖書は「父の罪を子に報い」の様に表現は全体的に やや穏やかになっていますが、意味は同じです。 ユダヤ教では絶対唯一紳ですから、他の神や偶像崇拝を厳しく 禁じています。その度合いは、神で有る私は離反する者を嫉み、 復讐し根絶やしにさえもする強烈な神であることがここに 表現されています。 日本語の最近の訳は、文語調の訳が判りにくく現代にそぐわない と言うことで改訳されています。その際に「私は熱情の神である」 と言う具合にとんでも訳が出てきたのだと思います。 原文の持つ強烈な意味は全く消えています。 書き残された言葉を原意に即して苦労して訳し、その心を理解し ようとした古い訳の方が自然で「世界標準」です。
お礼
早速の回答有り難うございました。大変参考になりましたが,小生ドイツ語は判りませんので(大学時代2年間ドイツ語を選択しましたが,今ではすっかり忘れてしまいました)ドイツ語で表現されても余りピンと来ません。確かに貴方のおっしゃる通り元来は「妬む神」だったのだと思いますが,小生の関心は原文(原典),例えば「七十人訳聖書」(セプトゥアギンタ)や「ウルガータ」ではどのような表現になっているかです。ヘブライ語/ギリシャ語/ラテン語等の表現が判れば是非教えて下さい。更にドイツ語の表現に関してですが,聖書を最初にドイツ語に訳したのはルターであると認識していますが,ルターは「妬む神」をどのように翻訳したのでしょうか。以上宜しくお願いします。
お礼
再三に亘る回答(コメント)有り難うございました。今回の「熱情の神」・「妬む神」に関する質問に関しては多数の方から親切丁寧な回答(解説・コメント等)を頂き大変参考になりました。回答者の説明を総合すると新共同訳以外はやはり「妬む神」が主流を占めているようです。それにしても「熱情の神」と「妬む神」では余りにも神の性格が異なり,若干しっくりしないところが有りますが,信仰とは所詮学問ではなく,まず信じる事から始まると解釈すれば有る面では納得がいきます。小生「聖書」に本格的に興味を持ちだしてから7年以上になりますが,上記以外にも理解に苦しむ表現が多々有ります。聖書以外の参考文献も多く読んでいますが,一筋縄ではいかず,苦労も多いのですが,色々学ぶことが多くて一面では楽しんでいます。例えばユダヤ教は一般的には「唯一絶対神」と言われていますが,神は言われた「我々に似せて,人を造ろう」(We will make humanbeings )(創世記1章/26節)や「私以外の神を崇拝してはならない」(Worship no god but me )(出エジプト記20章)等を読むと,絶対神以外にも神がいる事を神自身が認めていることになり,若干矛盾しているように思えますが如何でしょうか。いずれにしても今後も「聖書」を良く学んで(信じて?)行きたいと思います。