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イエス・キリストの平和観について

今授業でイエス・キリストの平和観について勉強しているんですが、一体どのようなものなんでしょうか?私は仏教徒なので全く知りません。誰か教えてください。参考になるホームページがあればそれも教えてください。お願いします。

みんなの回答

  • gobun
  • ベストアンサー率27% (12/44)
回答No.6

イエス様の実際の生涯を再現した映像を観ることが出来ます。 このHPを紹介致しますので参考にして下さい。

参考URL:
http://japan.onnuritv.com/web/entertainment/jesus/jesus.htm
  • JUN69
  • ベストアンサー率25% (21/82)
回答No.5

少々ルール違反ではありますが、ちょっと意見を。 残念ながらイエスは一人っ子ではありません。 イエスには兄弟と姉妹がいました。 しかし後世の神学者が、母マリアをイエスと同格の崇拝の対象としようとするあまり、 処女性の強調のため、兄弟・姉妹を「腹違いの兄弟・姉妹」という事にしてしまいました。 さらに後世にはマリアの夫ヨセフを再婚とし、「前妻の子」ということにしてしまった ということです。

  • toshi-boo
  • ベストアンサー率54% (19/35)
回答No.4

イエスの平和観とのことですが、私は聖書はロクに読んだことがないのでなんとも言えないのですが、キリスト教的な平和観なら若干やったことがあります。 キリスト教的平和観がもっともよく現れているのは、エラスムスの『平和の訴え』(岩波文庫)です。これは宗教改革前後の戦乱の時代の中で書かれたものですが、エラスムスはあくまで聖書にのっとって論じています。(ちなみに、聖書にのっとったキリスト教の立場に立つ彼はカトリックを批判する一方で、ルターに対してもキリスト教徒の間に分裂を生じさせたとして批判を展開しています) エラスムスは和合(平和)を自然のものとし、かつ人間同士の「相互の愛」による平和――これは仲間内だけではなく、敵とも平和を維持していくべきだということを聖書の端々を引用しつつ、展開しています。 そして、当時の教会が戦争をあおっていたのを批判しつつ、聖職者は戦争がおきたときに仲裁者となることを薦め、トルコ人(イスラム教徒)を改宗させるにも武力によるのではなく、「真のキリスト教徒」になることによって「和合の実を挙げ」てひきつけることなどを提案したりもしています。 『平和の訴え』を授業で行ったのもずいぶん前なので何分わかりにくいところもありますが、ご容赦ください。

  • Columbo21
  • ベストアンサー率15% (13/85)
回答No.3

#2です。補足にお答えします。 そのとおり!イエス・キリストは人間です。同時に神の子、しかも一人っ子です。(ちなみに、キリストという言葉の意味は「救世主」だそうです。イエスは救世主のわけがない、ただの預言者だ、と主張するのがユダヤ教です。) 神様が人類の罪(原罪を含めたあらゆる罪)をお許しになるためには、「完全な人間」の生贄が必要でした。所詮人間界に完全な人間がいるわけありません。そこで神様は苦渋の決断(これは人間的表現です)をされました。つまり、ご自身のご嫡男を“人間”として人間界に遣わされ、十字架の刑に処することで生贄にされました。その時点で、人類の罪はすべて許されました。 イエスは、「完全な人間」として、地球上で33年間生活しておられました。もともと神の子ですから、亡くなったあとは神の子へ戻るのが自然です。だから、たしか亡くなった3日後に天へ帰って神の子に戻られました。これがいわゆる「復活」で、だからイエスの墓はこの世に存在していないのです。(仏教との基本的な違いの一つですね。) 長々と申し訳ありませんでした。すべて聖書(新約)に書いてあることらしいです。

  • Columbo21
  • ベストアンサー率15% (13/85)
回答No.2

>今授業でイエス・キリストの平和観について勉強しているんですが、一体どのようなものなんでしょうか? イエスは神の子ってご存知ですよね。 だから、たぶん、平和観とか戦争観とか、人間レベルの考え方とは無縁なお人だと思います。 強いて人間レベルにこじつければ、「汝の敵を愛せよ」ってことじゃないんでしょうか?

manmanmanman
質問者

補足

えっ、キリストって人間ですよね?

noname#4429
noname#4429
回答No.1

こんにちは。 一応、怠け者のカトリックです(汗 難しい質問ですね。原則論と現実があまりにもちがいすぎますから。 とりあえず、キリストの平和観の基本は、 「人は神のもとに平等である」 「人は神の子であり、兄弟姉妹である」という 平等主義にあります。上から下にものを言ったり、 暴力によって屈服させるなどというのはもってのほかです。 さらに、聖書には「右の頬をたたかれたら左の頬を 差し出せ」という有名な聖句があります。 あるいは、人を許すのに何回許せばいいですか? という弟子に「7の70倍許せ」、つまり許しつづけなさい、 と語っています。 キリスト自身、無抵抗のまま十字架にかけられました。 つまりは非暴力・無抵抗主義です。「目には目を、歯には 歯を」という旧約聖書の言葉がよく引き合いに出されますが、 これは法律として「目には目で返さなくてはいけない」という刑罰を意識したものです。 ……ということで、キリスト教自体は徹底した平和主義を貫いています。 しかし、現実はというと……。 その問題の根深さは、ここでは語りつくせません。 しかもセクト間でさまざまな考え方があります。 参考サイトはそういった「さまぞまな考え方」を 紹介しています。 が、教えそのものは徹底した平和主義であることをご理解ください。

参考URL:
http://www.gospeljapan.com/skj/030310.htm

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