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東京、埼玉、千葉にまたがる葛飾、宮崎と大分にまたがる臼杵の地名の由来を
東京、埼玉、千葉にまたがる葛飾、宮崎と大分にまたがる臼杵の地名の由来をおしえてください。 1.東京と埼玉は旧武蔵なのでわかりますが、千葉は下総です。武蔵と下総にまたがって葛飾という地名がある。 2.大分(豊後)、宮崎(日向)ににまたがって臼杵という地名がある。 3.ほかにも旧国をにまたぐ地名おしえてください。
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1.について 「かつ」は湿地帯をしめす。「しか・しが」は噛む(しがむ)で、浸食地形を示す言葉である。したがって砂や粘土からなる沖積低地(三角州)地域で、波により浸食されやすい場所をさす地名と考えられます。 2.について 「臼杵」はよく分からない地名です。ただし、周囲に佐伯(さいき)や戸次(へつぎ・べっき)など「き」がつく地名が点在していることから、砦を表す「城」に関連した地名とも考えられます。 3.について 「木曽」は、美濃と信濃の境にあり、元々は美濃国(岐阜県)に属すると考えられていたようですが、現在は信濃国(長野県)に大部分が属しています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%BE%E8%B0%B7 「遠山」は、美濃・三河・信濃南部にまたがる山中の総称であったとされています。 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/toyama_ina.html
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- wy1
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現在の両国から東の地域は元々下総の国に所属していました。葛飾はかなり広い地域の地名なので現在では県境を越えて存在しているのです。話は一寸違いますが、現在の東日本橋は30年ぐらい前には”日本橋両国”と呼ばれていました。まさに、大川を挟んで”両国”なのです。 歴史的説明としては、ウェブサイトで”葛飾”を検索すると詳しいものが出てくると思います。
- 4500rpm
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1.のみ 葛飾とはもともと下総国葛飾郡一帯の広大な地の総称であった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%BA#.E6.AD.B4.E5.8F.B2 また、明治元年に武蔵と下総の国境が変更されましたので、元々下総の国であったところが武蔵の国になった。 http://www.mars.dti.ne.jp/~opaku/hakken/06/ore24.html