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蜻蛉日記の中に「大和だつ人」という言葉が何度か出てきます。どういう意味

蜻蛉日記の中に「大和だつ人」という言葉が何度か出てきます。どういう意味なのでしょうか。大和に行く(予定の)人なのでしょうか。あるいはそう呼ばれる人なのでしょうか。もしそうなら何故呼ばれるのでしょうか。「~だつ」というのはどういう意味があるのでしょうか。 古典には詳しくない者です。よろしくお願いします。

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回答No.2

 天禄3年4月の「知足院のわたりにものする日」に見かけた「よろしきさまに見えける女車」の女性ですね。道綱は、後をつけて(つけさせて?)家を突き止めて、次の日に「思ひそめ」の歌を贈り、続いて「三輪山」の歌をやりとりしているようです。  講談社文庫「蜻蛉日記(下)全訳注」で上村悦子氏は、この箇所の「大和だつ人なるべし」を「先方は大和の国に縁のある人なのでしょう」と訳し、「大和だつ人」の注として、「大和守の娘であろうか。もちろん道綱側では女車の女性の素性はすでにわかっていたから歌を贈ったのであろう。」と記しています。  「だつ」には、「名詞および形容詞・形容動詞の語幹に付いて、そのような様子を帯びる、そのような状態が現れる、などの意を表す。」接尾語(『大辞林』)としての用法がありますから、「大和」という地名について「大和に関する性質を持つ=大和に関係のある」という意味になるというのが、先の上村氏の考え方だと思います。  上村氏の言うように、大和の守の娘であるとすれば、光源氏が紀の守の屋敷を訪れて空蝉を見初めように、京都の町なかの屋敷に住んでいておかしくないし、道綱が「大和」に関連させて三輪山の故事を踏まえて歌を詠んでもおかしくないと思います。  女性が実際に奈良に住んでいるとすると、その日の内に家まで帰ったのを突き止めて、次の日に歌を贈るというのは少し無理があるように感じます。

spagon555
質問者

お礼

やはり単に大和に行く人という意味ではないのですか。 私の読んだのは角川文庫・現代語訳つきのものですが、「大和だつ人」の説明は特になかったと思います。 大和にたっていく人、という意味であろうと最初は思いましたが、そう解釈すると、そのあとでも出てきて、さっぱり大和に出向く気配もないようですから、京を去って大和に行くと解釈しては無理な感じがしました。それで、この「だつ」というのは何だろうと分からないままでいました。 これですっきりしました。ありがとうございました。

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その他の回答 (1)

noname#124369
noname#124369
回答No.1

「大和だつ人」とは、大和(今の奈良県)に向かう人という意味ですね^^ 「~だつ」とは、「旅立つ」の「立つ」と同じ使われ方です。

spagon555
質問者

お礼

そうですか。 おそらくは、そうではないかと考えていたのですが、なかなか大和に行かないで、いつまでも都に居るので、「大和だつ人」という呼び名、あるいは何かの所縁があってそう呼ばれている人なのであろうかと思ったりしていました。 しかも、作者はその「大和だつ人」は誰であるか、もう知っているのではないかと想像し、それならはっきりとその人の名あるいは通称を言うはずと考えました。 ありがとうございました。

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