総論・概論・各論 ~ Wanted Without Wikipedia ~
この設問は、どういう目的で知りたいかを、付け加えるべきですね。
質問者は、あらかじめ Wikipedia に目を通し、回答者は Wikipedia
を引用すべきではない、というのがわたしの持論です。
さらに「大雑把に10月だと聞いています」などの伝聞は無用です。
おそらく「アメリカの新学期は、ほとんど九月に始まる」ということ
でしょうが、州の教育委員会で、さまざまの事例があります。
わたしは、四半世紀も暦法を研究しているので、なにがしかの知識は
ありますが、それぞれ由来・起源が異なるので、ひとことで語ることは
できません。すべてを総括した文献も(現時点では)存在しません。
そこで、思いつくまま、主たる論点を列挙してみましょう。
年度の種類(現行法)
1.行政年度(官公庁の人事・日程・休日・予算をまとめる)
2.会計年度(企業の損益をまとめ、株主総会で公開する)
3.教育年度(学校の人事・就学・卒業・学期・学齢を定める)
年度の起源(人文学)
4.古代の年初(ローマ暦は三月、のちに一月、併用期あり)
5.中国の正月(陰暦十月・十一月、旧正月、現一月に変遷)
6.諸国の年度(秋分・春分から始まる暦法が現存している)
特殊な年度(国際法)
7.中世の英国(マリアの処女受胎=聖告3月25日から起算)
8.イスラム圏(古式イスラム太陰暦は年354or355日が連続)
9.ユリウス暦(東欧カトリック圏は13日おくれで継承する)
…… 内務省地理局・編《三正綜覧 188001‥ 1932‥‥ 帝都出版社 19650630 地人書館》
── 周の時代には子の月を正月とし、これを天正といった。暦法を用
いて計算をする時、前年の一一月の冬至から起算することに定まってお
り、この冬至のことを天正冬至というが、ここに由来している。
いずれにしても子の月、丑の月、責の月はいずれも正月になる資格が
あるというのである。この三つの正月の定め方を三正という。明治一三
年に出版された陰陽暦日対照表として有名な『三正綜覧』の三正はこれ
からとったものであるが、意味は違えて『三正綜覧』の三正は太陽暦・
太陰暦・回々暦の三つのことである。
── 内田 正男《暦と日本人 19921229-19940520 雄山閣出版》P54-55
お礼
過去の回答ともに、拝見しました。ありがとうございます。
補足
>ユリウス暦もグレゴリオ暦も「年初」は1月1日(Jan.1)です。 >>三月二十五日を一七五三年一月一日とした< >>当時、英国の1752年は、3月25日から翌3月24日だった。 >>改暦のため、1752年9月2日の翌日を9月14日(11日間を省略)、12月 >>31日の翌日を、1753年1月1日とした。(366-31-29-11-24=271) 「年初」とは年が変わる日です。 No.6でご説明いただいた内容だと、『1752年までは、一年はその暦の3月25日から始まり、改暦後は(9月が11日早まった後、)1752年12月31日の次の日が年初となった』と受け取れますが・・・。これと”ユリウス暦もグレゴリオ暦も「年初」は1月1日(Jan.1)です。”というのとはどういう関係にあるのでしょうか?混乱しています。 > 英国は、行政・会計・教育の「年度」の「初日」をカトリック教会 >暦の祝日:受胎の日(Mar.25)に定めたのです。 ありがとうございます。 教会がその地域を掌握する前の時代には、住民に1年の開始時期の意識(概念)はなかったのでしょうか? 何かご存知でしたらご教授お願いします。