よくよく考えると分らなくなりますので、思いついた事を、思いついたままに書いてみます。尊敬されると言う事は、尊敬に値するものを持っている事だと思います。それは感じた人にとっては、出来にくい事をやった人というものかも知れません。自分が持っていないもの、或いは自分が欲しいものをその人が持っていると言う意味になるかも知れません。
尊敬される人 と 嫉妬される人とは、自分が持っていないものを持っている事が共通点になると思いますが、その違いは、ひけらかす事と、隠したがるところにあるかも知れません。
或いは手に入れるための過程を問題にしているのかも知れません。
その対象となるものが何であっても、尊敬される人は自分で望んでそうなった訳ではなくて、周りから与えられて今があるという言い方が出来るかも知れません。言い方を替えたなら自分の計らいを捨てた形で行動をしてきた結果が今此処に出ているという事になります。
もっと言うなら、尊敬される事は何も望んではいないと言う言い方が適当かもしれません。お金を望んでいるわけではないのにお金が入ってくる場合等にも言えると思います。或いは地位や名声を望んでいなくて、やるべきと思う事を、やるべきと言う方法でやってゆく事が分っている人という意味においてです。
と言う事はやるべき事と、やるべき方法が分っている人という事になります。そこに『自分の思惑が入らない人』という事になります。私利私欲が自分の行動の動機に成らなくとも出来る人という言い方になるかも知れません。
その反対が、嫉妬される人という事になります。何事においてもその動機が何らかの形において『自分の私利私欲が』絡んでいると言う事です。それは、どう巧妙に立ち回っても、どこかにその『心が』他の人には見えている事をいいます。
人間のする行為と言うものは、どういう形であっても、その人以外のほうが正直に見えているということかもしれません。自分は良い人と思っていても、他人の評価は分らないと言う事を物語っています。そうして生きている生き様の中に、尊敬される人 と 嫉妬される人とが分かれてゆきます。自分が何を考えて生きているのかが長い人生の中で自然と出ています。
人間は何のために生きているのか?と言う答えの中に本当の答えはあるかも知れません。お金や地位や名誉の為に生きてゆく事が、どんなに虚しい事かを物語っています。自分の欲を捨てて生きた生き様の中にこそ本当に望むものが手にはいる事を言います。
それは『欲しいと言う欲を捨てて』手に入れろ!と言う事になります。
欲しいと言う欲が『欲しいものを返って遠ざけてしまう』と言う法則があるのかもしれません。
お礼
分かりやすい解答有難うございました。 大変恐縮ですが、もうひとつ質問にお答え頂けますでしょうか。 自分の手の届く範囲のライバルで、自分の方が劣っていると自認した時も嫉妬 になるのでしょうか? 嫉妬の対象になっている上司は、私から見ると、嫉妬している側は上司の能力を 認めて、優れているところ認めているのに自認したくないから単にやっかんでいるとしか 見えないのです。こんな場合、能力を見せ付けると嫉妬から尊敬に変わるのでしょうか? 教えて頂けますでしょうか?