• ベストアンサー

アドラー心理学で、わからない点がある

アドラー心理学『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読みましたが、何点かよく分からないところがあります。 特に「どんな相手でも尊敬を寄せ、信じることができる」という点です。 ①私が一方的に苦手な人 ②私のことを嫌っている人(例 いじめをしてきた人) ③私に直接害がなくても犯罪行為などをした人物 などに対しても尊敬を寄せることができるということですか? また、「そういった人たち(特に①②)にも尊敬や信頼を寄せ、交友関係を結んでみよう」ということですか? どうしても今の私(の理解)では、尊敬を寄せたり信じたりはできないのですが…

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • HeyXey
  • ベストアンサー率27% (142/520)
回答No.3

 『信じます』とか『裏切られた』とか、これってどういう意味なのかと深く考えると分ってくると思います。あるイベントで16歳の芦田愛菜さんが「信じる」ことについて聞かれたときのコメントが参考になります。 「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」 「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」 「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」  嫁姑問題で姑の肩を持つばかりの夫を『信用を裏切った』と言うのも自分の身勝手な想像が間違っていただけですよね(笑)。

icecreamsuki
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございました。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

  • HeyXey
  • ベストアンサー率27% (142/520)
回答No.2

 分かりにくかったですか?  この本はアドラー自身が書いた本ではなく、アドラー研究者と物書き(ライター)の共著(=掛け合い)です。翻訳ではないのですが、おそらく尊敬は respect を翻訳したのでしょう。K1とかの格闘技団体では対戦相手をリスペクトすることを選手に要求します。あのリスペクトです。相手を上に見ているわけではありません。尊重と訳してもよかったのでしょうけど、欧米での尊敬の概念なので、そのまま尊敬としたのでしょう。  信用には条件が付きます。お金を借りる時の信用情報には年収とか職業とかの条件があります。それに対して信頼は無条件です。心理的なことであって、お金を貸す貸さないのような具体性はありません。なので信頼した証拠にお金を貸したり機密情報を流したりする必要はありません。無条件に信頼するけど信用には条件を付けて相手を値踏みすることもあるのです。とにかく相手を信頼することからはじめようという意図です。その信頼を裏切るかどうかは相手の課題です。  ここには、相手のことをどういう人だとか決めつけない、自分の物差しで測ることをしない、自分の考えを押し付けない、という姿勢が貫かれています。それを尊敬と呼んでいる節もあります。  『自分は正しい』と思っているのを批判しない、そういうのも感じられます。人はだれでも「自分は正しい」「正しいことをしている」と思っているのがふつうだからです。「…をするには」の部分が違うだけで、イジメや犯罪する人も正しいことをしていると思っているのです。家族を養うためには正しくても、世の中的には窃盗は犯罪です。イジメのテクニックを使えば自分の立場は良くなる点で正しかったとしても、イジメに合う人にすれば正しいはずがありません。かと言って、いつまでもイジメっ子がそのままずっとイジメっ子でもないでしょう。目的が変われば人は変わるのですから。  『おやっ!』と思わせて、著者の意図を汲み取ろうと深く考えさせる、そのような効果を狙っているのが真実かもしれません。『ここで言う尊敬は respect を翻訳した欧米流の尊敬で』とは書かないのです。つまんなくするからです。  物事を表面だけみて1つの要素だけとして捉えないことです。「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」なんかもそうです。人はいつでも変われる、性善説に近い立場という感じもします。人は「何かにとって」正しいことしかしないのです。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • HeyXey
  • ベストアンサー率27% (142/520)
回答No.1

 ごもっともな疑問です。まず、本を要約します。  『嫌われる勇気』の結論:承認欲求を捨てることが幸せになるための一つの方法になる。そのためには 課題の分離 という手法が有効だ。 1.なぜ承認欲求を捨てるべきなのか?  承認欲求だけに支配される人生は他人の人生を生きることと同じである。たしかに人間は社会的な生き物で、共同体の一員である必要があり、この欲求があるのは当然だ。その中にあっても自分らしさを重視する生き方が幸せにつながる。 2.承認欲求を捨てる方法!  自分の課題と他者の課題とを分けて考える「課題の分離」が有効である。自分が承認されるかどうかは他者の課題である。だから自分でコントロール出来る部分に焦点を当てるべきだ。(課題=コントロール出来る命題) 3.目指すべき人間関係とは?  それは 共同体感覚 である。  ・他者は仲間である(敵/競争ではない)  ・みんなそれぞれの自分の目標に向かって成長している(自分の価値観を押し付けない)  ・みんなで協力したりアドバイスしたり励まし合い成長していく(幸福とは仲間に貢献だきる感覚)  ここからは私の見解です。私たちは、ある人の行動はその人の人格と結びついて起こると考えがちです。例えば、約束の時間に遅れた人を「だらしない人」と考えます。しかし、その本人に言わせれば道が予想外に混んでいた、途中でトイレに行きたくなった等の外部の要因が原因だと考えます(原因帰属理論)。イジメや犯罪といった「行動」をその人そのものである「人格」と切り離して捉えれば、行動を否定するだけで事足ります。根底には、 人間はいつでも変われる という人間観があります。ある行動の『…だから』を考えるとき、原因で考えるとそれは過去の出来事になるので人間は変われないと思ってしまいます。しかし、目的で考えるとそれは未来にも当てはまるので変われるのです。その意味でアドラー心理学は「希望の心理学」と呼べるでしょう。  行動と人格を切り離して捉えられるようになれば、どんな人でも受け入れられます。欠点も含めて「その人をそのままで受容する」ことが出来ます。これは「自己受容」を可能にする考え方でもあります。人間は他者と自分とに対して、器用にルールを使い分けできないのです。  ふつう「尊敬」という言葉のウラには上下があって、尊敬される人が上、尊敬している人が下という感覚が付き纏います。ただし、この共同体感覚を(幸せになるために)重視する本著のなかでは、上下ではなく横横の関係で用いています。相手の立場に立って、情報を得る努力をして理解しようとし、想像力を働かせて「仲間」として受容すること、それが本著での「尊敬」の意味だと思います。  同じ言葉を使っていても、違う意味で理解されれば誤解が生じます。ここでは上下関係が存在しない「尊敬」なのです。同じように言葉については、自己受容≠自己肯定、他者信頼≠信用、であることに注意しましょう。『あの人は信用できる』の信用とは、「自分にとって都合のいい人」という意味では本来ないのです。  回答に対するご感想をお待ちします。  

すると、全ての回答が全文表示されます。