へびがわたしを噛むのか わたしが蛇を迎えにいくのか
へびがわたしを噛むのか わたしが蛇を迎えにいくのか
たぶん《へび》は 《デーモン(鬼)》と呼べるのではないか。
そして このデーモン作用は 人間にとって社会的な関係において起こる。
(α) このデーモンは 縁起共生の空観において消えるというのか?
(β) 人生においてそのへびに噛まれつづけている(もしくは みづからすすんで迎えている)頃を前史とすれば 果たして このへびなるデーモン作用が消えた後史に ひとは入ることができるか?
(γ) 人間(現実)は変わるか?
○ 《へび》についての参考資料:~~~~~~
星を散りばめたこんな時間に 独りして
そこで
もし風の音でないとすれば 泣いて
いるのは 誰かしら
今にも泣こうとしているわたしのこんなにそばで
いったい 誰が 泣いているの?
何か心の深い意図に対して憑かれたかのように
わたしは わたしのこの手は そっと 目鼻をかすめて
わたしの中から 多分それは わたしの弱さの中から
一滴のしづくがこぼれるのに
触れたように思っている。
〔わたしは〕わたしの運命をおもむろに超えて
《もっとも純粋なるもの》が
静寂のかなたから
この傷ついた心を照らし出してくれることを
待っている。
〔大波は〕大波のうねりは わたしの耳に〔は〕
咎めのうねりを囁いている。――
岩礁の喉の方へと 欺かれた藻くずを
ものを苦々しくも呑むことになったような
心を締めつける嘆きをざわめかせ
送りやっている。
髪を逆立て 凍ったような手をかざして おまえは
何をしているの?
あらわな胸の谷間を抜ける こんなに執拗な
風に吹かれた落ち葉がざわめき
つづけるのは
何故なの?
この未知の天空につながれて
わたしは きらめいている。
災厄を求めているわたしの渇きに 限りない天体は
輝いている。
・・・
わたしは ここまで
わたしを噛むあの蛇を追ってきてしまったのかしら。
・・・
(ポル・ワ゛レリ:若いパルク La Jeune Parque )
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* あるいはつまり
(δ) 将来への展望といったたぐいの主題は 哲学にならないか?