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由美かおるのような女性が入浴していたでしょうか
由美かおるのような女性が入浴していたでしょうか 江戸時代には、由美かおるのような女性が入浴していたのでしょうか。
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>江戸時代には、由美かおるのような女性が入浴していたのでしょうか。 面白い質問なので・・・。 50歳を過ぎたのに、あの美貌?と体系・・・。 江戸を例にとって、湯屋にまつわる話を述べてみましょう。 (1)江戸では、武家屋敷や町家が密集しており、一旦、火事になると広範囲に焼失してしまいましたので、防火の観点から庶民の家では風呂を造ることは厳禁でした。あの豪商の三井越後屋(現:三越)の店員でさえ、湯屋にかよいました。 (2)ただし、およそ町内には1ケ所位は湯屋がありました。湯銭は8文(約100円)、蕎麦の16文の半分でしたので、暇な大家などは、朝晩通ったりしました。 (3)湯屋を開業するには、勘定奉行所の許可が必要でした。 (4)町家の女性は、すべて湯屋に行くか、夏であれば自宅で「行水」をしました。 (5)江戸時代の初期は、浮世絵にもあるように、やや面長の女性が人気でした。しかし、宝暦年間(1751~)頃からは、丸顔で腰のドッシリした「安産型」が人気となりました。 (6)由美かおるのような丸顔は好まれたでしょうね。町家には風呂がありませんから、由美かおるのような美人もそうでない美人も湯屋に通ったことでしょう。 (7)NO1の方が、あのような風呂桶はなかった・・・と、言われていますが、確かにそうです。木の風呂は、武家屋敷などでしかありませんでした。 (8)木の風呂桶なのに、外から火炊きをして「お客さん、湯加減はどうですか?」は、実際にはおかしな情景ですよね。風呂桶ごと燃えてしまいますよね。 (9)旅籠には風呂がありましたが、「五右衛門風呂」でした。 (10)江戸の街での湯屋では、男女共に洗髪は厳禁でした。これには、湯をたくさん使いすぎるからでした。水も神田上水などが開通して、ある程度は自由に使うことができましたが、薪は近隣の農家から買いました。しかし、大変に高価だったため、湯をたくさん使用しては困ることから、洗髪はNOでした。唯一頭を洗えたのは、坊主頭の「あんま」くらいでした。 (11)では、洗髪は・・・と言うと、自宅で湯を沸かしての洗髪。夏であれば、行水の水で洗髪でした。シャンプーの代わりとしては、「ふのり」「うどん粉」「卵の白味」椿油の「絞りかす」などでした。 (12)そして、女性の洗髪はおよそ1ケ月に1回位でした。 (13)2~3日もすれば「匂いが・・・」となるのですが、庶民は「五味子」(ごみし)という、大変匂いの強い整髪剤を付けて隠していました。裕福な商人などでは「伽羅油」などで、こちらは芳しい匂いの整髪剤でした。 少し脱線した部分もありますが、あなたのお役に立てば・・・。
その他の回答 (1)
先ず、あのメイクは100%ないです。また江戸時代辺りで、「美人」とされていた基準は、例えば浮世絵などを見ても全く違います。 ・・と言うことで、「ない」ですね。 参考補足:あの入浴シーンで使われている8割の風呂は、江戸時代には無いタイプらしいです。
お礼
ご回答どうもありがとうございました。 大変参考になりました。
お礼
詳しいご回答をありがとうございました。 大変参考になりました。