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中華思想では、周辺の異民族を東西南北それぞれに分けて、
中華思想では、周辺の異民族を東西南北それぞれに分けて、 東夷、西戎、南蛮、北狄と呼んでいます。 「夷、戎、蛮、狄」はどのような区別があって、そのように呼んだのでしょうか。 例えば、「夷」は狩猟を指すと、不確かですが記憶しています。 よろしくお願いします。
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夷と戎だけですが ◆『夷』 この文字の最初の形は、大きな人の右側に小さな人がいることを示すもので、 元々東に住んでいた民族が背が低かったためにこの字が作られた、 もしくは当てはめられたものと考えられます。 後漢時代(1世紀頃)になり、字形を説明した『説文解字』という書が登場し、 小さな人を示す字形ではなく、『大+弓=夷』という字形に変わりました。 『大』は大きいという意味ではなく、両手を広げた人の形なので、 (大きい弓と解釈されてたりもしますが、どっちが正しいかはお任せします) 『夷』という字は人と弓を示す字になっています。 No.1の回答者さんのリンク先を見ると、文字がどう変化していったかわかりやすいですね。 実際、『説文解字』が作られた時代の夷の方面(東側)の民族(高句麗など)は 弓に優れていたそうです。 ◆『戎』 『戈+十=戎』。十の元々の形は『甲』なので、武器と鎧を組み合わせた字です。 兵士とか戦争の意味があり、王朝に対して度々侵攻や略奪を行ったため、 武事に優れていたと見ていいと思います。 『戎』というのはずっと昔から中国の西方と北方に住んでいた遊牧民族の呼称で、 『西戎』と『北戎』の二つの呼び名がありました。 『西戎』の方が勢力的に大きかったみたいですのでこっちで定着したのかもしれません。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3 はもうお読みになりましたよね。 夷、戎、蛮、狄という語の意味は字書にありますね。 周りのバルバロイを何故こういう動物や海老、蟹などで表現したかは、イメージの問題ですよね。 その心性や心理が分ると、又面白いでしょうね。でもそれは分らないでしょうね。 蟻でも蚤でもダニでもよかったかもしれませんが、どうして夷、戎、蛮、狄なんでしょうね。
お礼
このwiki は読みました。 「その心性や心理が分ると、又面白いでしょうね。でもそれは分らないでしょうね。」 これを想像しています。 漢字の国ですから、ピッタリの漢字を当てたに違いないと思っています。 ご回答ありがとうございました。
- SPS700
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夷 http://www.chineseetymology.org/CharacterASP/CharacterEtymology.aspx?characterInput=%E5%A4%B7 戎 軍隊 http://www.chineseetymology.org/CharacterASP/CharacterEtymology.aspx?characterInput=%E6%88%8E 蛮 http://www.chineseetymology.org/CharacterASP/CharacterEtymology.aspx?characterInput=%E8%9B%AE 狄 http://www.chineseetymology.org/CharacterASP/CharacterEtymology.aspx?characterInput=%E7%8B%84 どうもそうでは無いかと思ったのですが、「夷」は東の方に住んでいる野蛮人、「戎」は西の方に住んでいる野蛮人、「蛮」は南の方に住んでいる野蛮人、「狄」は北の方に住んでいる野蛮人,という意味らしいです。
お礼
教えて頂いたサイトでおおよその見当はつきました。 漢民族は、周辺の異民族をよく観察して、それぞれの特徴から蔑称を付けたと思います。 夷は、「大」と「弓」からなるので、東方にいる弓の得意な民族を「夷」とした。 狩猟民族ではないかと想像しています。 「南蛮」の「蛮」が「水」に関係する民族で、ものすごく残忍だと見ていたということを知りました。 とても参考になりました。 ありがとうございました。
お礼
詳しく教えて下さってありがとうございます。 >夷の方面(東側)の民族(高句麗など)は、弓に優れていたそうです。 そうですか! 漢人は、よく観察していたのですね。 日本列島には狩猟採集民族が住んでいましたから、「夷」は弓を使う狩猟に長けた民族だ とする説もありますね。 >兵士とか戦争の意味があり、王朝に対して度々侵攻や略奪を行ったため、 「西戎」の意味もよく解りました。 残るは南蛮と北狄ですが、南蛮は「水」に関係がありそう、また北狄は、「犬」に似た集団ということらしいので、折をみて調べてみたいと思います。