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中華思想と桓檀古記
1. 東夷・南蛮・西戎・北狄は各方向の異民族を指すものですが、この場合それでは真ん中の漢民族はなんといういいかたなのでしょうか? 龍でしょうか。そうすると『中龍』とでもいうのでしょうか? 2. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9Eで、天の四方の方角を司る四神獣として 青龍・朱雀・白虎・玄武が説明されています。そして更に、「これは周天を4分割した四象に由来する。中央に黄龍を足して、五行説にも、取り入れられている」という説明があります。ここでは中央は黄龍ですが、桓檀古記とかには、「『黄熊』とある」と、聞いた記憶があるのですが、今はどうしても見つかりませんで、確認できないのです。 桓檀古記には『黄熊』とあるのでしょうか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%93%E6%AA%80%E5%8F%A4%E8%A8%98等ではそれが確認できませんでした。 3. 龍も熊も、いずれも黄色があてられているようです。そして黄色というのは神聖な色とされていると聞いたことがあります。 でも一方、黄泉(日本語では『よみ』と読まれている)に使われるように、不吉な色だという説明も見た記憶があります。 黄色は不吉な色とされているのでしょうか、神聖な色とされているのでしょうか? 4. 先日、あるご講演で千字文に敷衍されました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%AD%97%E6%96%87等でもう一度勉強しようと存じましたが、ここでも"天地玄黄"ということばで、"黄色"が出てまいります。 この文言では"天が玄"で、"地が黄"ということなのでしょうか? 5. その場合、"玄"とはどんな意味で、"黄"とはどんな意味として使われているのでしょうか? 6. なお、私は、いくつかの神話を見て、天は昼も夜もなく、光に満ちていたが、反射して照らすものもないので奥深く、"玄"であった。 そして地は地面などの物があり、光も照らし、反射するものがあるので、"黄色"であった。つまり"黄"とは、"光"のことであると理解したらどうかと存じました。 こういう読み方は正しいものではないでしょうか? 中国の"黄土"のことだ、という理解がやはりもっとも正しいでしょうか? ご説明いただけるところだけでも、どうかお教えくださいますように。お願い申しあげます。
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#4です。 五行の「木火土金水」は神聖度順ではありません。 相生相克の理を表す順番で、意味としては >相生 木は(燃えて)火を生み、火は(灰となって)土をなし、土(鉱山)から金が生まれ(産出され)、金は(その表面に結露として)水を生じ、水は木を生む(育てる)。 >相克 木(の根)は土(大地)を割り、火は金を溶かし、土は水をせき止め、金(金属製の斧)は木を切り倒し、水は火を消す。 といった風に相生相克ともにぐるぐる回りますのでどれが最初でどれが最後というのはありません。中国語の発音はわかりませんが、語呂がいいとかそういう理由で便宜上木から言っているだけではないでしょうか。
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- Antithese
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3について。 五行説では木火土金水それぞれに方角や色、神獣などが当てられています。それぞれ、 木→東・青・青龍 火→南・赤・朱雀 土→中央・黄・黄龍 金→西・白・白虎 水→北・黒・玄武 これら神獣のなかでは黄龍が最も貴いとされ、中国皇帝は黄龍の化身とされます。 つまり、世界で最も貴い黄龍の化身である皇帝を象徴する色が黄色なので、黄色は神聖な色なのです。 世界中の原始宗教の中にたいてい含まれる大地崇拝がおおもとでしょうが、そこに皇帝による権威付けが加わってだんだん神聖度を増してきたのではないでしょうか。 玄というのは何も見えない、真っ暗な状態を表します。「天地玄黄」という言葉は、何もない(見えない)中に、最初に大地(黄)ありといった、世界中の創世神話によくあるパターンなのではないでしょうか。 土=黄というのは中国の黄土ならではの着想だと考えるのが自然だと思います。
お礼
有難う御座いました。 中央はやはり黄龍が神獣で、皇帝はその化身なのですか。 天帝と地帝でしょうか。 何も見えない状況が、天玄ということで表現しているのですね。 最初に大地が光ってあったのですね。大地崇拝といえば、信州の生島足島神社も、ご神体というか、それは大地になっているそうですね。 こういう信仰が元にあって、段々権威が付加・深化して、神聖がましたのですね。 そうなんです。いろんな神話にこういう創世記があります。 近代科学でも辻褄が合うといえば合うようなのです。 よくわかりました。 有難う御座いました
補足
有難う御座います。 世界中の創世神話によくあるパターンとはいえ、何か不思議な念に打たれております。 木・火・土・金・水というと、神聖度順かと思いますが、神獣としては土の黄色、黄龍が新制度一番なのですね。 東ではないというのも印象深いところです。
- sudacyu
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1.のみですが。 そのままズバリ、『中華』です。 東西南北の真ん中の、華=花です。 参考:中華思想の基本について 中華思想には本来民族差別がないので、外国人でも優秀であれば、中国朝廷の要職に就けた。 というのも、地上の全ての民族に対して、中国皇帝は潜在的支配権が あるという考え方だから、民族差別はありえないのです。 ただし、文化レベルが低くて、自分達が中国皇帝の支配下にあることを知らない文化レベルの低い辺境の人は、徹底的に下に見るという考え方。 民族差別ではなく文化差別思想です。中国の唯我独尊思想でしかないですけれどね。
お礼
いや、有難う御座います。 そうですか。南蛮が動物かどうかは知らべていませんが、大体、東夷・南蛮・西戎・北狄・北狄はみな動物たちですね。 でも真ん中の華なんですね。真ん中ということにもう、唯我独尊の表れがでていますね。 民族の差別観念はない。文化、それも皇帝の支配の性格を理解しているかどう、理解できるどうか。そのくらいの常識とレベルでなければ、本当に已んぬる哉でしょうからね。 遣隋・唐使たちの中で、採用された方もいらっしゃるという話しだし。 有難う御座いました
補足
真ん中の華、そうなんですね。 私自身は、どの国も、そして更に、突き抜けることのできた人以外のどんな個人も、自己の確認、確保、そしてアイデンティのために、顕在か潜在かに関わらず、この中華思想は内有していると、おもっておりました。 他との比較や、見下げ、或は優越観念の維持という仕方で。 文化それも、中華性の理解レベル、ということになると、その構造も面白くなりそうです。
- at9_am
- ベストアンサー率40% (1540/3760)
1.何もないです。 蛮、夷などは異民族につけられる物です。漢民族にはそれぞれの国(燕、晋、魏など)をつかって呼ぶのが普通です。例えば有名なところでは「燕人張飛」などがありますね。 2.中国の神話で(黄熊)黄色い熊というと「鯀」くらいしか思いつきません。堯や舜の時代の人で、死後に黄色い熊になって祟った、とあります。 黄龍の代わりに黄熊というのは、聞いたことがありません。というか、中国では熊の位はそう高くはないです。 3.中国では、黄色は黄色です。五行説では土が当てられ、死者は地下へ行くことから死者の国は土の支配下、つまり黄色が当てられる、らしいです。 4.5.千字文について 実は、あれは本来の意味が分からないものです。 元々、竹簡に書かれていたのですが、ひもが腐ってバラバラになり、順番が分からなくなったことが原因です。その後に何となく意味が通るように復元して現在の形になっています。中国語というのは、一文字違うだけで全く意味が変化してしまうことがありますので、この4文字からだけで元々の正確な意味をとるのは難しいでしょう。 ただ、対訳本が岩波文庫から出ていますので、そちらを参考にするのも手かと思います。
お礼
有難う御座います。 とても参考になる、側面と、基盤のお話もあり、嬉しいです 有難う御座いました。
補足
『1.何もないです。』やはりそうですか。 自国の国名があえていえば、そういう誇りのものでもあるのでしょうね。 燕といえば、燕の卵を宿したかして、王となる子ども生んだ女性が居たと聞いたこともあり、燕は少し高等な観念を抱かれていたのですね。 『2.中国の神話で(黄熊)、、、』 熊が祟るような異類的な観念になるようであれば、それはあまり高い動物ではありませんね。 『4.5.千字文について』 に関するお話、有難う御座います。 漢文での一字というのは、大きな意味があるのでしょうね。 ばらばらなものだったのですか。よくまとめましたね。
- tanuki4u
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1:漢民族の自称 ない。 名付ける主体なので、名付けられることがない。 夏人かな?とも思ったのですが、白川静によれば、夏は中原の西部から興った国であり、中原の国ではない。とのこと。 2:黄熊 桓檀古記は事大思想によるパクリでないでしょうかね?黄色 3:黄 神聖なものは生と死を司るものですので、表裏一体ではないでしょうか。神聖の中に死も含まれると思います。 4、5不明 1,3は時代として紀元前程度を想定して答えています。千字文は紀元後の話なので、同一の発想では考察できないと思います。 6:黄 黄は、炎の燃えさかる様子らしいです。白川静によれば
お礼
有難う御座います。 素人門外漢の習ったことを一生懸命理解し、取り入れようとしての、憶測と推測でしたので、的外れのことなど相手にできるかと、あしらわれるかと存じおりました。 期待した側面でのお教示です。 よく理解したいと存じます
補足
1:漢民族の自称は“ない”が正解なのですね。 自らを高くする、比較の最高級があるかと存じましたが。 聞いた事もないですものね。勿論、私は浅学ですが。 2:黄熊と自称していたとの話を仄聞しておりましたが、どうも桓檀古記全体が、事大思想によるパクリみたいな印象とともに、いろんな古史古伝と同じように、新たな理解へといかれそうな部分もあるかとも聞いておりました。もちろん在野の勉強家からの仄聞ですが。 3:黄 神聖と穢れというのが、表裏一体の場合がよくあるものですね。 6:黄 そういう様子を象徴する観念を運んでいるわけですか。 本当に有難う御座いました、
お礼
有難う御座います。まことにたびたび。 無論、浅学ですが、ヒンドゥのサンキャなどでは、物質界(神から化生して、三重の界━サンガイ三界ではない)の要素(タットヴァ━どうもヨーロッパ語は何かと複数形にこだわりsを付加しているが)として、土要素から始まる五要素(日本語に直すと、土、水、火、プラナ-中国では、ちょっと違いますが“気”、そして空ですが、カントなどの空間やスペースでもないし、アカシャというものでしょうか。虚空でしょうか。)で説明しております。でもこれは希薄性と神聖性の順序でもあるのです。 このあたりは、宇宙の創造の説明として相違があるかの理解がもてます。 有難う御座います。またどうかお願い申し上げます。
補足
有難う御座います。相生相克は二つの相補い、反しあう原理とか、運動を示していることばでしたか。 このように説明していただき、洵によく飲み込める次第です。 創造や維持にはやはりどうしても、こういう二つの相補い、反しあう原理とか、運動が作用しなければならないのですね。 そして循環ですね。これも必要な原理なんですね。 相生相克自体のいうところは、近代西欧、物証科学では何か幼稚というか、お話のようにも採られるでしょうが、私は物証的な次元でのことではなく、ことばでの表現の難しい世界のことであると、考えております。 まことに有難う御座いました。またどうかご教示のほどをお願い申しあげます。