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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:情動の発生について)

情動の発生について

このQ&Aのポイント
  • 脊椎動物の情動の発生について学びました。外部からの刺激が情動を引き起こし、適応的な情動行動を生じさせることが分かりました。
  • 外部からの刺激は敵や配偶者の存在から音や光まで、幅広いものが情動の対象となり、快情動や不快情動が生じます。
  • 一方、内部からの刺激によっても情動が惹起されます。例えば、神経痛の場合、痛みによって不快情動が引き起こされることがあります。情動の定義や分子生物学的な知見についても参考文献をご紹介します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ruehas
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回答No.1

こんにちは。 我々の脳内で「情動」を司るのは「大脳辺縁系」という旧皮質であり、発達の仕方に大きな違いはありますが、脊椎動物でその起源は魚類にまで遡ります。辺縁系における情動機能の中核は「偏桃体」であり、ここでは知覚刺激の入力に対しまして「利益・不利益の判定」を下し「情動反応」を発生させます。そして、この判定に従い、快情動では「接近行動」、不快情動には「回避行動」が選択されるわけですが、これによって引き起されるものを「情動行動」と言います。 質問者さんが疑問に思われます通り、ここで「外部からの刺激」といいますのはあまり正確な表現ではありません。偏桃体には身体内外のありとあらゆる知覚情報が入力されており、これには視覚や聴覚などの外部環境だけではなく、空腹や慰労、苦痛などといった内臓感覚や深部感覚も全て含まれます。 ですから、お腹が空いたり頭が痛かったりするならば当然それは不利益と判定され、辺縁系に不快情動が発生します。これは、我々身体の「内部環境に発生した変化」が内臓感覚として偏桃体に入力されたということです。 大脳辺縁系の情動反応とは接近行動か回避行動の何れかを選択するために発生するものです。そして、質問者さんがご指摘をなさいます通り、ここでは身体内外から入力されるあらゆる知覚情報の全てに判定が下されます。このため、我々動物は迷わず与えられた状況に対応した適切な行動を選択することができるというわけです。 従来の心理学における解釈を除きますならば、専門家の間でも扱いが様々に異なり、「情動」という言葉に学術用語としてのきちんとした定義はありません。ですが、現在ではそれが大脳辺縁系に発生する情動反応であることは解剖学的にはっきりと解明されています。 「情動」といいますのは環境からの入力に基づいて我々の脳内に発生する「心の動き」であります。では、「情動」と「感情」はいったい何処が違うのかと言いますと、まず情動反応には「利益・不利益、快、不快」の二種類しかないのに対しまして、感情には喜怒哀楽などより多彩な状態があるということです。そして、言うまでもなくこのようなものは全て「心の動き」として発生する情動反応によって生み出されるものであり、 果たして、 「情動とは反応」 「感情とは結果」 そこにはこのような線引きが成されることになります。 では、判定は二種類しかないのに何故結果が様々に異なるのかと言いますと、それはこの反応が身体に出力される過程でも与えられた状況に応じた更なる分岐を繰り返すからです。 例えば、「怒り」と「悲しみ」は異なる感情ですが、偏桃体の判定は何れも「不利益」です。ですから、不快情動が発生するならばこれに基づいて選択されるのは回避行動でなければなりません。ですが、回避行動といいますのは取り敢えず逃げる、避けるということですが、この場合「怒り」といいますのは「問題解決のための能動的な回避行動」というのに当たります。 問題の解決手段が見出せない場合は逃げるか諦めるしかありません。ところが、能動的な行動を起こすことによって解決の可能な状況であるならばここではそれが怒りに分岐するというわけです。このため、諦めるか抵抗するかでは身体に現れる反応は異なり、果たして、顔を真っ赤にして息を荒らげていれは「怒り」、涙を呑んで諦めればそれは「悲しみ」ということになります。 このように、情動といいますのは環境からの入力によって大脳辺縁系に発生する利益・不利益の反応です。対しまして、これによって発生した情動反応が我々の身体に表出され、その結果が喜怒哀楽など任意のパターンに「分類の可能となった状態」を我々は感情と呼んでいるわけです。

lack_of_af
質問者

お礼

丁寧な解説ありがとうございます。 やはり内部からの刺激に対しても情動は発生するのですね。 疑問が溶けてよかったです。 頂いた回答に連なって、疑問が湧いてきました。 時間がありましたら回答をお願いします。 まず、魚類は脳の発達が大きく異なるにも関わらず、情動があるのでしょうか? それは本当に脊椎動物間で保存されていると言えるのでしょうか? 発達が異なると、生じてくるものも違ってくると思います。 その差は情動という概念としては括っても良いのでしょうか? 質が全く違うものな気がします。 次に、情動発生の由来は解剖学的に大脳辺縁系によるとのことなのですが、 よく言葉のイメージがよくつかめません。 私は文系のため、解剖というと体を開いて構造を学ぶといったステレオタイプなイメージしか湧きません。 構造からその機能が分かるのでしょうか? よく分かりません。 また、情動と感情の違いなのですが、 情動に状況判断が加味されると感情として表出されるという解釈であっていますか? よく分かりません。 これだと、情動は状況によって引き起こされ、さらに状況によって修飾され感情になる事になりますよね。 変な状態な気がします。 ご教授お願いします。

その他の回答 (2)

  • ruehas
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回答No.3

#1です。 回答の続きです。2千文字で有無も言わさず締め切りでは世知辛いサイト運営になったものです。 情動反応といいますのは利益・不利益の判定によるものでありますから、まずその出力先は「報酬系路」と「嫌悪経路」の何れかに分岐することになります。 「嫌悪反応(不快情動)」の系統では「PAG:中脳中心灰白質」における「闘争と逃走」の判定機能が比較的早くから知られていました。ここには体内環境の情報が入力されており、突発的な外傷に対しては直ちに能動的な回避行動を選択することができますが、致命的な内臓疾患である場合は無闇に動き回らぬよう静止行動が選択されるようになっています。 情動反応が不快である場合は報酬系の活性化は起こらず、神経伝達物質や内分泌ホルモンは「ストレス対処物質」として分泌され、自律系では交感神経優位が選択されます。では、このとき体内環境を監視するPAGが能動状態であるか受動状態であるかによって身体出力は必然的に異なる結果に分岐することになります。 このように、感情の発生パターンが異なるのは情動性身体反応の表出経路が与えられた状況によって更に複雑な分岐を繰り返すからと考えられています。ですが、喜怒哀楽において何れがどのような経路を辿るのかといったことはまだほんの一部しか解明されていません。 >これだと、情動は状況によって引き起こされ、さらに状況によって修飾され感情になる事になりますよね。 そうですね、「感情として分類することが可能な状態になる」ということです。 情動反応といいますのは環境からの入力によって発生するものです。ですから、この時点でまず「利益・不利益の状況判断」が行われたということです。ですが、これだけではまだそれを感情として扱うことはできません。何故かと言いますと、情動反応といいますのは発生しただけでは知覚することはできないからです。では、我々はどうやってそれを自覚するのかと言いますと、これが情動性反応として身体に表出され、何らかの生理的変化や行動となって表れることにより、大脳皮質では初めてそれを感情の発生として知覚することが可能となります。一瞬の場合もありますし、無意識のうちに行動に及びながら当人まだ気付かないということもしばしばあります。 では、これが何らかの感情として分類されるためには、最低でも自分が今何に対してその反応を発生させているのかといった「状況の分析」が成されなければなりません。例えば、もし自分の身が危険に曝されているとしますならばその緊張状態は九分九厘「恐怖」です。ですが、他人から何か侮辱を受けたのだとしますならば分類は「屈辱」であり、自分に与えられた状況が正しく把握されるならばこれが恐怖として自覚されるということはまず起こらないわけです。これを大脳皮質における「情動の原因帰結」といい、情動の発生からこれに至るまでの間、脳内では必ずや複数に及ぶ状況判断が繰り返されています。 このように、情動が感情として扱われるということは、それが感情として分類の可能な状態になるということです。 「分類の可能な状態」というのも周りくどい話ですが、例えば、顔を真っ赤にして息を荒らげていればあのひとは怒っている、仮に本人がまだ気付いていなくともそれは怒りという感情として分類することが可能となります。そして、ここでそのような判断に用いられますのは果たしてそのひとの情動そのものではなく、情動反応の発生によって身体に表出された飽くまで「情動性身体反応の結果」であります。 帰って来た主人に向かってワンワンと吠えているならば犬は恐らく喜んでいます。ですが、餌を取り上げられて吠えているならばそれは「怒り」でなければなりません。果たして同じ動物なのですから、与えられた状況が分かりさえすれば我々にもちゃんと犬の感情を理解することができるというわけです。

lack_of_af
質問者

お礼

丁寧な解説本当にありがとうございます。

  • ruehas
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回答No.2

こんにちは。 #1です。回答をお読み頂きありがとうございます。 >まず、魚類は脳の発達が大きく異なるにも関わらず、情動があるのでしょうか? 「情動」といいますのはこれまで概念として扱われていたため、学術的にきちんとした定義いうものがありません。ですから、魚類にもそれと同じものがあるかどうかという問いに科学的な解釈を求めることはできないです。ですが、取りも直さずそれは環境からの入力に基づく神経系の反応であり、現在では我々の脳内で情動反応とは偏桃体を中核とする大脳辺縁系の中枢機能であることが取り敢えず解明されています――、ここまでは前回にご説明致しました通りです。 では、科学が指し示すのはそれが情動であるかどうかではありません。我々が理解すべきことは、それは、脊椎動物の脳内には「情動の発生機能」というものが「中枢神経系の解剖学的構造」として存在するということです。そして、これは我々動物が環境に対応した行動を選択するための機能であり、果たして、魚類に至るまで脳内に情動の発生機能を有する全ての脊椎動物においてその役割は共通であるということです。 >次に、情動発生の由来は解剖学的に大脳辺縁系によるとのことなのですが、よく言葉のイメージがよくつかめません。 従来心理学では、結果として外に現れる動物の反応や行動を実験や観察によって分類し、それを本能や感情、あるいは理性といった概念として扱っていました。これは、心理というものが神経系の働きであることは分っているのですが、実際に生きている脳の中を開いて見ることができなかったからです。 ですが、現在ではこれまでの解剖学や生理学における様々な知見を基に我々高等動物の中枢系は以下のような「三層構造」に機能分化しており、 「本能行動:生命中枢(脳幹以下脊髄まで)」 「情動行動:大脳辺縁系」 「理性行動:大脳皮質」 これまでは概念として扱われていた感情や理性といったものが実際の脳の構造と比較して概ね一致していることが分ってきました。ですから、解剖学的に解明されたということは、それは即ち我々の脳内に概念や仮説でしかなかった情動発生機能の存在が解剖学的な事実として裏付けられたということです。 >それは本当に脊椎動物間で保存されていると言えるのでしょうか? 最も早くから神経系を発達させてきた脊椎動物の脳は爬虫類の出現を以って一旦完成を見ました。「一旦完成」といいますのは、現存の爬虫類は生命機能と辺縁系という二つの旧皮質だけで巧みに自分たちの子孫を残し、十分に繁栄しているということです。では、それ以降に爬虫類から進化した鳥類と我々哺乳類は、この爬虫類の脳を基盤に、その上に更に大脳新皮質という新たな機能を発達させました。これが、我々高等動物の脳が上記のような三層構造に機能分化している理由です。 では、このような我々の脳の構造を見て明らかなように、その機能はほとんど変更されることなく爬虫類からそっくりそのまま引き継がれたことになります。そして、取りも直さずこれは、旧皮質に獲得されたものは何れもおいそれとは変更のできない最低限の機能であったからです。このため、高等動物はそこに大脳皮質という新たな機能を上乗せすることはできましたが、旧皮質の基本的な役割が変更されることはありませんでした。 我々動物にとって情動反応とは環境に適応した行動を選択するための術であり、それは魚類の時代から一貫して受け継がれてきた辺縁系の主要機能と考えるべきだと思います。脳の発達による行動様式の複雑さは確かに歴然としていますが、情動を発生させる機能や目的に本質的な違いはほとんどありません。 >また、情動と感情の違いなのですが、情動に状況判断が加味されると感情として表出されるという解釈であっていますか? 重箱の隅を突くわけは決してありませんが、情動といいますのは感情として表出されるわけではありません。厳密に言いますと、情動反応によって身体に表出されるのは感情ではなく「情動性身体反応」の方です。そして、この身体反応の表出パターンを喜怒哀楽に分類したものが我々の知る感情です。 感情を分類して自覚するのは大脳皮質ですが、辺縁系の情動反応は大脳皮質へは送られず、そのまま自律系や運動系を介して直接身体へ出力されます。 例えば「不快情動」、 自律系では心拍、呼吸の上昇、血管、立毛筋の筋縮。 運動系では足が竦む、身を竦める、表情が変わる。 このようなものがひっくるめて「情動性身体反応」であり、無意識の選択によって結果的には我々の感情を様々に形作るわけですが、ただ闇雲に発生するだけでは状況の変化に柔軟な対応はできません。ですが、これによって生み出される感情のタイプが異なるということは、取りも直さずそれは与えられた状況が違うということです。

lack_of_af
質問者

お礼

丁寧な解説ありがとうございます。 本当に勉強になりました。