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自由について

自由とはなんでしょうか?? 自由を得ようとすればするほど、同時に不安を抱え込まなくてはならない、逆に安定を求めれば不自由を覚悟しなくてはならないのである。 ナチス党は合法的に政権の座についた。ナチスドイツの社会心理を分析した『自由からの逃走』においてE.フロムは、人々の無意識に、与えられた自由を苦痛なものと感じ、自由を捨て権威に依存する欲求が存在していると指摘しました。 このように、社会学的に見た自由とは何かと言うことを教えて下さい。

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  • neil_2112
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回答No.5

自由というのは、大別すると「積極的な自由」と「消極的な自由」に分類できます。 前者はつまり「~への自由」という意味で、自分や自分の属する集団を自律的にコントロールしようとする意味です。一方これに対して「消極的な自由」というのは「~からの自由」ということで、他者の干渉や強制を排除したところに生まれる状態を指すものです。 例えば「信教の自由」などというようないわゆる自由権の概念がこの消極的自由にあたります。少し前までは、この「自由」の獲得はかつての国家や宗教、地域共同体などからの有形無形の抑圧から自己を解放することであり、すなわち進歩と同義と考えられていたわけです。 フロムの『自由からの逃走』は、この消極的自由が理念化されている現状を批判したわけです。読まれたのならおわかりのことと思いますが、彼はナチズムの勃興の背景に大衆運動としてのファシズムを見たわけで、その原因をこの「消極的自由」を手に入れた人々の不安と孤独に求めたのです。 いわゆる「第一次的絆」から離れた人々は、自由とはいいながら安定感、帰属感というものを感じられなくなります。自由と背中合わせに社会的不安が蔓延するわけです。また、自由というのは聞こえはいいけれども自己責任と自己決断を伴いますから、それは緊張の弛緩ではなくて、むしろ緊張状態の持続とも言えます。 そのような決断の重圧感から心理的に逃れようとして、結果的に考えることを放棄して権威に服従してしまったり、画一的な鋳型に自分をはめ込もうとしてしまった結果がナチズムの台頭の背景であった、というのがフロムの分析です。 結論的にフロムの言うのは、消極的自由は社会学で言う過剰同調をもたらしやすい、従って自律としての積極的自由がむしろ重要である、ということでしょう。 ※このようなことは、フロムを読めば平易に書いてあるのですから、求められる回答ではないのかも知れません。意味がないと思われれば無視して頂いて結構です。

その他の回答 (6)

noname#16795
noname#16795
回答No.7

 こんばんわ、私が思うには。。。 各々が両手を広げた時、他人に手が触れない範囲が社会学的自由なのではないでしょうか。隣接する他人に手が触れた時、それは相手の自由を侵すものだと言えます。抽象的ですが。  この場合(両手を広げた範囲)の自由には自己の判断と決断、責任が伴いますから、そのプレッシャーから逃れたい、すなわち『自由からの逃走』に繋がるのだと思われます。  その逃走の仕方も、各々が好き勝手に行動して他人の自由という権利を侵害すること。またはより大きな存在(権威など)に本来なら自己責任でしなければならない判断や決断を委ねてしまうこと。大きく分けるとこの2通りになります。  後者の場合、委ねた存在が社会通念から逸脱しなければあまり問題はないのかもしれませんが、最悪の場合ナチズムに見られるような悲惨な結果を招くこともあるでしょう。  前者、後者どちらにしろあまり選択したくない道です。  昨今嫌なニュースばかり耳にしますが、社会学的見地に立った自由を確立していくことが今の世の中必要ではないかと思います。

  • yamaya11
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回答No.6

>自由を得ようとすればするほど、同時に不安を抱え込まなくてはならない、  自由を求めると秩序の欠落となります。大げさに書きますが、殺人すら自由だろ、という風習となれば、自由とは、ある人によっては不安で苦痛なものです。となれば、まわりは秩序を求めるでしょう。    自由社会における被害者とか、他からの圧力というものが多くなるほど、ナチス党のような一見、団結、秩序のありそうな社会を求めるでしょう。ドイツの場合、ホロスコートによって、権威による束縛を他に目を向けさせる事ができました。ドイツ国民、国家が優位に立つようなふるまいで国民を動かしました。    でも 結局、国民は一丸となり、ドイツ国家を介して自由を求めていたわけです。当時のドイツは世界に対して自由奔放に振舞うため動いていました。自由というのは優位に立つ側の正当なる言い訳になりました。  そこで被害者である他国、ほおっておけば被害を受けるであろう国が、個人国家の自由を封じ込めたわけです。  日本を含め、当時の人たちは愛国心というのもありましたので。他国にとって自国が間違った方向に進もうが愛国心です。自分の国が正しいと思うでしょう。 (しょせん、これが正しい、これが悪いというのは人が決めたものですから。) >人々の無意識に、与えられた自由を苦痛なものと感じ、自由を捨て権威に依存する欲求が存在していると指摘しました。     もっと複雑なような気がします。 >人々の無意識に、与えられた自由を苦痛なものと感じ  今の日本がそうですが、  何をやろうが自由だろ。という感じですよね。特に若い世代、(私も若い頃そうでしたが)それがだんだんとエスカレートしてきています。それによって被害者も増えるわけです。     殺人や人に被害を与える事(これも自由です)がなぜ法によって封じ込められたか?    被害を受けたくない人の事前処置です。自由は求めますが、自分に被害がくるといやですから。秩序をもとめます。 秩序とは? 自分や身内に被害がこうむらないようにする事です。 (他人に被害、迷惑をかけないこと) 自由というのは人それぞれの解釈で違ってきます。 自由というのは優位に立つ側の正当なる言い訳にもなります。      人は生まれた時から自由です。何をするのも勝手です。人に迷惑をかけると、他から非難を受けることになりますが、自由なふるまいをする事はできます。 でも悪い事はしないでください。 秩序ある自由を求めるには人間はまだまだ未熟です。 なにせ弱肉強食を生き抜いてきた生物ですから。

  • been
  • ベストアンサー率39% (490/1243)
回答No.4

以下は単なる個人的意見です。 社会学的な見地からの自由とは、制度として認められた自由のうち、社会の肯定的評価を得られるものを指す、と思います。 例えば、結婚する・しないは、法的には、個人の自由です。しかし、わが国には、一定の年齢に達すれば男女とも結婚しているのが当然であり、独身であることを不自然な状態と考える風潮があります。結婚しない自由を行使することは、社会的には否定的な評価につながります。 一方、住居も個人の自由に属し、何処でも好きなところに住むことができます。また、毎年のように引っ越しても、逆に一つところに一生住んでも、誰からも非難されることはないでしょう。住居の選択について社会的に否定的な評価を受けることはないのです。 このことから、社会的には、結婚の自由は存在しないが、住居の自由は存在する、といえるのではないでしょうか? ナチスの例は、当時のドイツ社会では、個人の責任で判断し行動するよりも、社会一般の風潮や権威ある意見に従うことを良しとする価値観があったことを示しているのだと思います。

  • 100Gold
  • ベストアンサー率27% (284/1018)
回答No.3

「自由からの逃走」は昔もっていましたが、内容はさっぱり覚えてません。 でも、自由と安定にトレードオフ関係があるかどうかには疑問を感じます。 自由なときに感じる不安というのは実存的不安だと思います。 「ホントにこれでいいのかな~?」という不安です。 就職も結婚もせずにぶらぶらしていると、この不安におそわれます。 それで、就職したりしてみますが、変わりません。 それで、結婚したりしてみますが、変わりません。 このプロセスが自由からの逃走であり、多くの人がこんな人生を歩みます。 いつのまにか子供が生まれて、忙しいので、実存的不安は感じなくなります。 つまり、忙しいと不安がなくなるのだと思います。 と、いうか実存的不安というのが、かなりヒマな人間でないと感じないようなろくでもない不安なのです。 とすれば、フロムの指摘するような不安との対立関係にある自由とはヒマのことではないでしょうか。 つまり、社会学的に見た自由とは「ヒマ」のことです。

回答No.2

ありきたりな回答になってしまいますが、やはり解りやすい例えとして「自由とワガママの違い」とかでしょうか。 これは自分にとっての定義なんですが、ワガママとは無差別に無責任。利己的な自由です。 逆に自由とは自分の行動は自分の意思で決めつつその言動には責任を持つ、という事だと思っています。 権利を主張する前に義務を果たせ、ってやつですが。

  • taknt
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回答No.1

>社会学的に見た自由とは何か 自由だからといって、何をしてもいいわけではありません。 国の法律や、住んでいる地域の決まりなど 生活上、さまざまなルールに縛られて生きています。 その制限つきの自由が 社会学的にみた自由だと 思います。 なお、その自由からの逃走というのは、その強いしがらみから逃げ出すということでしょう。

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