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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:バスの不祥事に関連して)

バスの不祥事に関連して

このQ&Aのポイント
  • 地元の関係でしょうか、最近、営業バスの不祥事が気になります。
  • 今回、免許証の資格を更新せずに運転業務を行い、さらに会社として、隠蔽又は黙認の事実が発覚したようです。
  • 前回は、高速バス運転手の飲酒運転又は酒気帯び運転が問題となりました。どちらに対しても、一般的に直接の被害を受けなくとも、両者に対する怒りを表明することは当然のような気がします。この怒りに関して質問ですが、今回と前回を比較して、怒りの程度を比較することは可能でしょうか、又、怒りの程度に差異があるとすれば、その源泉はどこにあるのでしょうか?直接の被害を受けていない、一般の人の「義憤」も感情なのでしょうか、それとも、理性でしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • nubewo
  • ベストアンサー率24% (14/57)
回答No.1

まず「怒り」の強さを測る方法が何かによります。脳医学的に「怒ったとき出る物質」の量を測定して算出すれば比較も出来るでしょうけど、主観で「前よりひどい」とか思ったのを比較するのはナンセンスでしょう。「思ったこと(主観)」を「思ったよう(主観)」に比較してもあんまり意義のある結果は出ないでしょうから。 次に、「怒り」ってのは「おかしいと感じる理性+その日の気分」であると解釈します。虫の居所が悪い日とか、湿気が多くてイライラする日とか、事件に関係ないことでも感情は変わってくると思いますから、単純に「怒り」という感情を比較しても意味が無いかと。 また、一般の人の「義憤」ってのは「マスコミの煽りによる歪み+おかしいと感じる理性」だと思います。煽るのが好きなワイドショー見て感じた義憤って素直に理性と取っていいんですかねぇ?(笑) 義憤を煽ると番組売れますからね。そういう部分も考慮しないと。 ただ「これは社会倫理に反する」って論理的に考察する部分があるのも事実です。怒りや義憤を、理性か単なる主観かのどっちかに分類するのは変かな、と。

noname#15238
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 たとえの内容が、微妙な違いしかなく誤解を与えてしまったかもしれません。自身の行為にしろ、他人の行為の評価にしろ、決定に対して私たちは感情等を含めて、選択肢や評価を比較していると仮定し、その感情の程度の違いを考えてみたかったのです。 気分や情報の影響は確かに大きそうですね。 ただ、ワイドショーにおける感情移入の「義憤」は流行の類で、本質とは無縁と期待しています(苦笑 第三者的意味での共感による感情と当事者の感情を同等に考えてはいけないのかもしれません。

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