- ベストアンサー
靴のサイズ、文からcmへの切り替え時期
ここのカテゴリーが良いかどうかは分かりませんが、一旦質問させていただきます。 靴のサイズが文からcmへ切り替えられたのはいつ頃でしょうか? 日本製の西洋靴の誕生は1870年だそうです。 それ以前は輸入物に対してのみのサイズ表記だと思うので、一般庶民は「文」を使っていたと思います。 しかし、1870年から製造された靴が、最初から「cm」表記だったか、というのはちょっと分かりませんでした。 ジャイアント馬場の「16文キック」という技名がそのまま庶民に定着したということは、つい40年前までは「文」と「cm」を併用していたのか?とも思いましたが、足袋など昔からある履物が「文」表記だったためであり、靴に対しての併用ではないのでは、と思います。 分かる方がいらっしゃればお教えください。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
建前の上では、 「1959年(昭和34年)1月1日尺貫法廃止、メートル法が施行」 によります。 江戸から明治の頃の輸入履物のサイズ表示は分かりませんが、 当時は西欧諸国も表示基準は統一されていなかったと思います。 更に履物は独自の表示基準がありますね。 現在も英・仏・米・欧と同じ号数でも差異があります。 1891年(明治24年)に施行された度量衡法でメートル法を尺貫法と併用。 1921年(大正10年)同法改正で尺貫法を廃したが強い抵抗で普及せず。 1951年(昭和26年)6月7日計量法施行、メートル法の使用を義務付けた。 1959年(昭和34年)1月1日尺貫法廃止、メートル法が施行された。 [日本の重さや長さの単位] はグラムやメートルなどに変更されたが、 庶民にも市場にも、抵抗大きく切り替え進まず。 1966年(昭和41年)には、取引や証明に尺貫法を使うと5万円以下の罰金。 ジャイアント馬場の十六文の経緯は、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%AF エピソード をご覧ください。cmと文の併用とは無縁の笑い話です。 *生活に根づいた尺貫法表記は現在も生きていますね。 文、坪、鯨尺、曲尺、合/升/斗etc. これらの軽量器具の製造も、取引での使用も法律違反ですが、 伝統的な業種では黙認されているのが実情です。
その他の回答 (1)
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
僕は1953年に海外に出、1962年に仁保に帰ってきました。 切り替えはその間に行われていました。#1さんの1959年あたりで、多くのメーカーが切り替えていたのではないかと思います。
お礼
あーー!すごい! その時代を実際に経験した方からの回答、大変ありがたいです! そうですね、やはり♯1さんの回答で正解!という感じでしょうか。 ありがとうございます!
お礼
詳しくありがとうございます!! 59年ですかあ。なるほど。 66年に罰金であれば、その頃には定着せざるを得なかったという感じでしょうね。 その他補足説明も分かりやすかったです! >ジャイアント馬場の十六文の経緯は、 あ、こちらは私も既読でした。 ただ、庶民に呼び名が通用するにはそれなりの下地があるはず=庶民の中では「文」という単位がまだまだ使われていた・・・?と考えたのです。 でも、59年に切り替えであるなら、馬場がプロレスに転向した72年以降はまだまだ「文世代」がたくさんいたのだろな、ということが理解できます。