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生身の観音とはどういうものですか。
生身の観音とはどういうものですか。 お寺めぐりを趣味にしていますが パンフレットなどによくそう書いてあります。 よろしくお願いします。
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仏教用語の辞典によれば、 生身(しょうじん) 諸仏、菩薩が衆生済度のため父母に託して胎生する肉身のこと。また、神通力をもって一時化現する肉身をも指す。 つまり、仏や菩薩が衆生を救うために、人間の姿となってこの世に現われたのが「生身」です。 ですから、「生身の観音」というのは、そのように人間の姿となってこの世に現われた観音さまのことです。 お寺のパンフレットに書かれていたのなら、たぶん観音像の説明だと思いますが、「人間の姿で現われた観音さまを、そのまま彫刻したのがこの観音像ですよ(つまりは、我々を救うためにこの世に現われた、とてもありがたい観音さまですよ)」ということだと思います。
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観音様に出会いたいと思われるのは、ごく自然な心ですね。 これほど親しまれている仏様は、他にいないと思います。 でも実際に観音様って何なの、どこにいるの、と誰もが思ってしまいます。 観音様の姿をした石像や木像だけではないと言われると分からなくなってしまいます。 ここで、観音様についてどうしても知っておく必要がある事が大切になってきます。 それは、観音様は智慧と慈悲の象徴である、という事です。 象徴というのは抽象的な言い方なので、智慧と慈悲の働きそのもの、という解釈でも構いません。 分かり易く言うと、深い智慧と深い慈悲の心です。 この智慧と慈悲の心が観音様です。 また、この心の働きが観音様です。 観音経の末尾に書いてあります すべての良きはたらきを身に備えて諸人を凝視したもう 幸せは海のごとく無量である このゆえに謹みて礼拝するがよい(訳文) 諸人を凝視したもう・・・というところに観音様の真実があると思います。 この智慧と慈悲心のはたらきが、周りのすべてにあります。 気がつけば、いつでも、どこでも観音様に巡り会えるのです。 あなたのすぐ脇にいる人も、その隣の人も観音様です。 動物や植物でさえ、そう見えなくもありません。 もちろん、ご自分もそうです。 生身の観音様に見られ、見つめられ・・・ 信心を深められ、幸せを培って行かれますようにお祈りいたします。
お礼
回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。 申しわけありません、私には信仰心はありませんで。。。 お寺めぐりをしているのは 信仰のためではなく、古の人々の心に触れたいと思うためです。 信仰心はないけれど、古の人々の信仰心に興味があるといいますか。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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お寺のパンフレットを作文した人にお聞きになられることです。 生きている、観音ということでしょう。実在の観音さまということでしょう。 観音の音はオームとかアーメンという宇宙創造の音を対する行作からきています。 そういうことが出来る人は観音です。 そういう意味の限りでは私も観音です。常に万物に慈悲深いかどうかはものすごく疑問ですが。
お礼
>お寺のパンフレットを作文した人にお聞きになられることです。 これって回答なんですか。 誰が書かれたかわからないので質問しているんですが。 これが観音さまの回答とは! 驚くばかりです。
補足
少々感情的なことを書いてしまいすいませんでした。 ただ、 >お寺のパンフレットを作文した人にお聞きになられることです。 というのは回答だとは思えません。 今後このような回答はおやめくださるよう、お願い申し上げます。 回答ありがとうございました。
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お礼
回答ありがとうございます。 回答を参考にして、 【生身 仏教用語】でググってみたら出てきました。 >人間の姿となってこの世に現われた観音さまのことです 京都・北野天満宮の神宮寺である東向観音寺の門前には 「天満宮御本地仏・十一面観世音菩薩」と書かれた碑が建てられており 道真公が刻んだと伝わる十一面観音像があります。 道真公は生身の観音様だということになりますね。 奈良・二月堂の小観音は銅製7寸の生身の観音様なのだそうですが 小さくて銅の体をしているけれど、生きておられる観音様ということでしょうか。 あるいは道真公のように、実在した人物を象った観音様ということなのかもしれませんね。 大変参考になりました。