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「蘆屋のをとめ」とは?そして平安時代の自死について
本居宣長「紫文要領」のなかでの浮舟評呼んでいましたら「薫のかたの哀しをしれば、匂宮の哀をしらぬ也、ゆえに思いわびたる也、かの蘆屋のをとめも、此心ばへにて、身を生田の川にしづめて、むなしうなれり・・・」とありました。この「蘆屋のをとめ」の出典がわかりません。ご存知の方がおりましたらお教え下さい。また、当時の人々は「自死」をどう考えていたのか(身分の高い人は出家する人が多いようですが)、高僧の入滅時の断食も間接的自死と思いますが仏教ではどのように教えていたのでしょうか? 欲張った質問で申し訳ありませんがよろしくお願い致します。
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こんにちは。何故か丸一日経過しても回答がありませんか。知っている人は少なくないと思うのですが。まあ、これはあの話のことでしょうね。 ただ、回答の前に一言言ってしまいます。そんな本を読むような人がどうしてとにもかくにもウェブを「芦屋 乙女」で検索してみないのかなあ。不思議です。私は現在軍記物の『室町殿物語』(東洋文庫版)をぽつぽつと読んでいます。ですがこの本居宣長の方が、ずっと古典的な文章で解りにくいと感じます。 この物語は言うまでもなく「うない乙女」の話です。滅多に見ないし使わない言葉ですからうないに漢字を当てていないのはご容赦。 http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM059.html あれ、それにしてもこの話こんな後段があったのか。私が読んだのは前段だけか、その梗概だったのかもしれません。 人形アニメーション作家の川本喜八郎さんがこの話を元に『火宅』という中篇を創っています。 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD29042/index.html これでは死んだ後も乙女は地獄の業火で焼かれて苦しむ、といった救いの無い結末になっています。 質問の後半は関連があるものであることは解りますが、私にはこちらは答えられるほどの知識はありません。別項にする方が良いかもしれません。
お礼
懇切丁寧なご回答有難うございました。実は、講座「源氏物語の死生観」の中での参考文献として宣長の浮舟評を読んだだけで「紫文要領」を読み通す力量も御座いません。また、横着して即、質問に走ったことを反省しています。 お陰さまで、万葉から後代に脚色され、大和物語、謡曲「求塚」、鴎外「生田川」からアニメの「火宅」にまでの流れも知ることができました。後半の質問については、ご指摘の通り別項で試みてみます。