ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」の最初の会話文について
ヘミングェーの短編「キリマンジャロの雪」の冒頭。
死の予感に包まれた主人公(傷を悪化させ片足が腐敗)が、女に向かって口を開きます。
"The marvellous thing is that it's painless." he said."That's how you know when it starts."
気になるのは、"it starts"という箇所です。
いったい何が「始まる」んでしょうか?
翻訳では「いよいよおさらばだ」(谷口陸男)、「いよいよおいでなすった」(龍口直太郎/大久保康雄)、「また来やがったな」(佐伯彰一)、「とうとうきたか」(高見浩)、という具合に、バラツキがある。
いっそう疑問が深まります。
解釈としては、いわば“死へのプロセス”とでもいうべきものが開始する、と読むか(谷口、龍口、大久保、高見)、あるいは、激痛が舞い戻ってくると理解するか(佐伯)、鋭く分かれそうです。
これが、すぐ後の部分、男が冗談半分に女に言うセリフの翻訳にも、影響してくる。
"You can take the leg off and that might stop it, though I doubt it."
つまりは、"stop it"です。
谷口訳「そうすりゃ、おしまいになるかもしれん」、龍口訳「そうすりゃ、それでおしまいになるかもしれんから」、高見訳「ケリがつくかもしれん」、この3者は、あくまで“死”を念頭に置いているようですが、大久保訳「そしたら、おさまるかもしれない」、佐伯訳「そうすりゃ痛みもおさまるぜ」は、激痛の存在を訳文に打ち出しています。
私個人としては、「激痛」で一貫させた佐伯彰一の訳に信頼を置きたい気がします。
みなさんのご意見をお聞かせください。
お礼
ありがとうございました。多分、これでいいのだと理解します。30年ばかし昔、読んだときは、なかなか、いい作品という印象だったのに、と思っていました。今回は海外旅行のヒマつぶしにポケットに入れてったもんで、ぶつきれのこまきれで、すっかり流れがと切れて、なんか悔しくて・・・・読み返すのもアホらしく、つい、他人さまの助けを、といったところで。 ありがとうございました。