>彼らがどう考えていたかではなく、どう感じていたか
これは、思考と感情の違いでしょうけど、両者重なり合う部分が大きいと思うので、
普通はどちらにも触れていると思うのですが。
>体感するための方法論
つまり、「宇宙の音楽」や「人間の音楽」を実際に体験する方法論ってことですか?
それは、エクスタスの技術を身に付けているような神秘主義者でない限り、まず
無理かと。そもそも時代・地域・パラダイムが全然違いますからね(まあ、仏教と
古典古代の宇宙論は、多少類似性があるとは思いますが)。
そもそも、「天球の音楽」にせよ、「宇宙の音楽」、「人間の音楽」にせよ、果たして
彼らが実際に*耳に聞こえる*ものとして考えていたのか、私が調べた限りでは
疑わしいのです。例えば、あるピュタゴラス派の哲学者(名前失念)は、「ピュタゴラス
は実際に、『天球の音楽』を聞いていた」みたいなことを言っています。(彼は
同時に、今の人間はそういう完成が鈍ってしまったから、もう聞こえないのだ、
ということを言っているのですが。また、アリストテレスは明らかに物理的な音が
発生する「音楽」を想定していますが(「天体論」参照)ただし、アリストテレス
自身は、「天球の音楽」なる概念を否定していました(放送大学のテキストにも
言及されていたはず)。つまり、物理的に聞こえる音と考える人たちでさえ、
実際に自分で「聞いていた」わけではないのです。
一方、プラトンを見ると、どうもここでいう「音楽」とは、物理的な音ではなく、
対象が比例に支配されている状態を示す概念に敷衍されている感があります。
ボエティウスはプラトン派ですから、彼のいう「音楽」は、同じく一種の比例を
指す概念だったと思われます。実際、彼は「宇宙の音楽」も「人間の音楽」も
耳には聞こえない、と言ってますし。
まあ、それでもとお考えなら、ビンゲンのヒルデガルトあたりなら書いているかも
しれないので、そちらを読んでみたらいかがでしょうか?
>やはりこれはキリスト教系の宗教関連
確かにボエティウスはキリスト者ですけど、キリスト教ではなく、ヘレニスティック
な思想でしょう。私の知る限り、元来のユダヤ教やキリスト教には、このような
概念は全く見当たりません。あとあと、中世人が、聖書解釈などで適用して
いった、ということはありますが。音楽論において、キリスト教思想とヘレニズム
思想の融合が図られたとき(中世の後期)、ある理論家は、ボエティウスの
3分類のさらに上位に「天使の音楽」なる概念を付け加えたぐらいです。
(というか、この辺のことは、グローブの事典を丁寧に読めば、すべて書いて
あると思うのですが・・ 原版と日本語版だと、扱っている部分の比重が
違うのか知らん)
それでは、頑張ってください。
お礼
有難う御座います。大変お詳しいので感銘しております。 実はこの辺の感覚が東洋人が西洋音楽を演奏解釈する上でもっとも欠如、又は不可解に感じる部分でそれはスケール一つ音にした場合でも実際物理的に違いが出ているのではないかと考えて調べていました。 グローブの説明文は(もちろん邦訳ですが)この辺のところがどうしても「彼らはそう考えていた」という形に終わっている場合が多く、それらの感覚や考えが結果としてどういった行動(音の再生、作曲、理論の創造)につながるのかというところまでは至りませんので非常に興味深く読ませていただきました。