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江戸時代の人物を調べています

■所在地 :大田区蒲田3-25-6付近 ■交  通 :京急本線 京急蒲田駅又は梅屋敷駅より徒歩7分 上記場所に、梅屋敷と和中散売薬所あります。 この中に ←山本久蔵の句碑  この句碑は、天保五年(1834)にこの梅屋敷と関係の深い山本久蔵が建設立したものです。文面は、     神酒ささぐ間に鶯の初音かな              麦住亭梅久 とあります。 この山本久蔵を調査している者です。 どんな些細なことでも御存じな方は教えてください。                     

みんなの回答

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.1

まだ回答が無いようなので記載しただけです。 山本久三郎 梅久 この付近から埋めて行くのが良いと思います。

nem0sencho
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。ヒントの通りに”梅久”を調べたところ、”梅屋敷公園”開設者山本久三郎の雅号であることがわかりました。そこで”梅屋敷と関係の深い山本久蔵が建設立したものです” の”山本久蔵”は何者であるかになります。 引き続き鋭意調査をするつもりです。 とりあえず御礼申し上げます。

nem0sencho
質問者

補足

小林秀雄は、”想像力を働かせて、どういう人間であったかをみるのが歴史を知る眼目”と説き、学問は自分の実力で発明しなければならなかった。”学んで知る”にとどめるのではなく、”思って得る”ところまで進めなければ学問ではないと話したとあります。 この小林秀雄の言葉を、”山本久蔵”に応用すると、仮説の1.です。 ”江戸幕臣人名事典”にある”山本久蔵”は”御台様御膳所組頭申付候”とあり、”和中散売薬所”にて食中毒の対処法を研究していたのではないかと思われるのですが。どうでしょうか。

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