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「ネイテブ感覚」で考える:考えが「入ってくる」vs「浮かぶ」
- 「enter」は、考えが「入ってくる」ものであり、「浮かぶ」ものではないと認識される。
- ネイテブ的に英文を捉えると、「enter」の意味は「浮かぶ」とは異なることがわかる。
- 聖書の逸話と「enter」には関係がある可能性がある。
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お久しぶりです。正確な理解かどうかは分かりませんが、面白そうだったので考えてみました。 mind は元々語源としては ギリシャ語の menos (spirit:精神)から来ています。欧米の理解として、精神とは、ある人の気性心根が詰まっている一つの球のようなものです。そこにある考えが浮かぶ場合、浮かんでくる「考え」は idea であったり thought であったりするわけで、 mind が浮かぶわけではありません。mind は「考えが浮かぶ場」という理解になります。 そのため、英語での言い方は enter one's mind だったり come to mind だったりします。この場合、考えた内容が主語になります。idea や thought が主語になる場合、 an idea occurs to someone というような形になりますね。mindと併用した言い方だと An idea flashes through his mind. というような形が考えられます。この場合、「浮かぶ」というより文字通り「閃く」ということになるでしょう。他には have an idea または get a thought と言った形が考えられます。これは人が主語になりますね。 日本語で「考えが浮かぶ」という言い方をする場合には、何か未知の空間があって、「そこにある一つの考えが浮かんでいる」という理解になる気がします。その考えは「個人の気性心根に左右されて形作られるもの」というよりも、「普遍で誰から見ても正しいもの」としての性質を「浮かんだ瞬間から」押しつけられて存在するような気がします。 英語での考え方と日本語での考え方の根底が違うため、表現の仕方も異なってくるのでしょう。しかし、一般に訳す場合にはそんな哲学的な意味を考慮せずに類似した言い方を充てるため、本来の意味とは異なった訳になるのだと思います。 何かこじつけのようになってしまいましたが、理解の援けになれば幸いです。
お礼
大達人、お久しぶりですね。御回答ありがとうございます。 >精神とは、ある人の気性心根が詰まっている一つの球のようなものです。 >浮かんでくる「考え」は idea であったり thought であったりするわけで、 mind が浮かぶわけではありません。 なるほど! Ideas floated thoruough my mind.と言ったら、浮かんでいるのはIdeaでした。 どうも、僕の中で「考え=idea」と「考え方=mind」がごっちゃになっていました。 >enter one's mind だったり come to mind ~、考えた内容が主語になります >idea や thought が主語になる場合、 an idea occurs to someone~。 やっぱり、流石、大達人ですね! こんな風に考えて見たこともありませんでした。主語によって、こう使い分けるんですね! また、そういえばcomeも、enterと似たような言葉ですね。 enterと言われると「どこから入ってきたの?」と気になっていましたが、「come to mind」だったら、「すっと、考えが思い浮かぶ」訳だから、この「すっといつの間にやら浮かんでいる(入ってきている)」の感覚が「come=来る」として使われているのだと思いますから、enterもそんな感じっだったのか! とやっと分かりました。 ここまで分かって、「どこから」を意識してのenterではなくて、兎に角「入ったからenter」なんだな~と分かりました。よくよく考えてみれば、「どこから?」なんて言い出したら、「考えが浮かぶ」も、「どこから?」になっちゃいますよね。 >英語での考え方と日本語での考え方の根底が違うため、表現の仕方も異なってくるのでしょう。 欧米での心の概念など、本当にお詳しいご解説ありがとうございます。 本当に大達人の頭の中は、一体どれだけの情報が詰まっているのでしょうね? すご過ぎます!!! 改めて、御回答に御礼申し上げます。
補足
質問文でのタイポの報告です。ANTHONY AND CLEOPATRAじゃなくて、ANTONY AND CLEOPATRAでした。