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イエス・キリストの容貌
宗教画ではたいてい 「面長で、口ひげがあり、長髪を真ん中分けしている」 になっていますが、そういう記録は聖書にはないと聞きます。 では、このような容貌は、いつ誰によって成立したのでしょうか。
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ヴェロニカのベール、マンディリオン、聖骸布が起源かと思います。 ヴェロニカのベール(もしくは布) イエスがゴルゴタの刑場の向かう途中、ヴェロニカという女性が駆け寄って自分のベールでイエスの顔をぬぐった時、ベールにイエスの顔が浮かび上がった、とされるものです。このエピソードは聖書には登場していません。7世紀頃から話題になり、8世紀に教会に飾られましたが、今は一般公開されていません。 マンディリオン 聖骸布と同一だともいわれている「手書きではないイエスの顔の像」です。正教会のイコンはこれを元に書かれているそうです。6世紀頃から保管され、現在は行方不明です。 聖骸布 イエスの埋葬時、イエスの身体をつつんだ布といわれており、全身が写し撮られています。その顔はヴェロニカのベール、マンディリオンと同じく、真ん中分けで長めのカールした髪形、口ひげとあごひげがあって、あごひげも真ん中分け(?)になっているそうです。1357年頃に展示公開されました。今はイタリアのトリノに保管されています。 なので、6世紀のマンディリオンのあたりから、そのような容貌として描かれることが多くなったのではないでしょうか。最初に保管されていたのはエデッサ、現在のトルコです。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ja.wikipediaによると前4年頃 - 紀元後28年頃の人で、紀元1世紀初頭にパレスティナで活動し人物である。母語はアフロ・アジア語族の西アラム語もしくはヘブライ語であり、アラム語とヘブライ語、両方を話すことができたという説もある。 とすると大体の出身が想像できますね。曽って商業新聞(朝日かな)でそういうことから、お顔の復元をしてみた写真報道がありました。 日本の出身なら、聖徳太子とか何とかの顔になるでしょうね。 多分ローマの国教になって、ヨーロッパ人の聖者のイメージとなって画かれているのでしょう。 所謂る教えもそのようになっていて、ファー・イーストの私には失礼だがどうも馴染み難い。 多分法王庁などの絵になるときのころ、そしてヨーロッパ人として画かれているのではないでしょうか? 本当のイエスの人柄とお教え、そしてご相貌にはなかなかお会いできないですね。
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ありがとうございました。
- nsoderland
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もし 聖人がインドから出たならインド人の姿をしているとみなされるでしょう。画家、彫刻家は 彼の作品がその社会に受け入れられるように 製作するでしょう。イエスはローマ帝国から広められたので、ユダヤ人イエスはローマ法王の気に入るように描かれています。
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ありがとうございました。
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