安土桃山文化というのはその前後の室町・戦国時代と江戸時代の狭間にあるごく短い期間をさすものであって、時代区分という意味では採用できかねる期間でした。
またこの時代は混乱の戦国時代や中世から近世への変革期であって、西洋との接触もあり混乱というより混沌(カオス)といって良いくらい、文化・技術・思想が混在していたわけで質素を好む武家趣味と華美を好む貴族趣味が併在していてもおかしくはなかったのでしょう。
他の方も言っていますが、秀吉は農民の子として生まれ、侍として出世して天下人となり、源平藤橘の列に並ぼうとして豊臣の姓を賜ったわけですから、彼の人生にみられる貴賎や流転の価値観が時代にも現れていたのでしょう。