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以前、ある本で歴史の先生が「過去に太陽が東から登って、西に沈んだと書き
以前、ある本で歴史の先生が「過去に太陽が東から登って、西に沈んだと書き残した歴史家はいない。」と書かれていました。 人間は常識的な事、解りきった事、当たり前な事、日常的な出来事に対して一々、言葉にして言ったり、文献に書き残したりしないと思います。 例えば、歴史文献に○○○年に飢饉があったと書いてあったとします。 それを読んで、この時代は結構、食べる物も豊富で豊かだったんだな。と思うべきでしょうか?それとも貧しかったんだと思うべきなんでしょうか? この場合、飢饉が起こる事が珍しいので記録として文献に残ったわけで、毎年、飢饉が起っていれば飢饉などは珍しくもなく文献には一々残りませんよね? どうなんでしょうか?
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- tanuki4u
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中国の正史だと 「そろそろ、この王様の徳は無くなった」 という意味で飢饉の記述がある。 ヨーロッパの協会のクロニクルなんかだと 「税金が集まらなかったのは、飢饉のため」 なんて意味で書いてあったりする。 なので、文献の背景がわからないと、何とも言えない
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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china薔薇さん、薔薇はイギリスなどあの白人たちかと思っていました。インドは蓮だとすれば、椿でしたろうか。 回答番号:No.3です。 (平和とは戦争のなきことにあらず、ではなく)完全な平穏を認識する事は不可能です。 私たちの誰しも、最も深奥の自分を意識する事はできません。 (目玉が目玉を見ることができない、ということではなく)。 自己の根底の意識は難しいです。 多少とも事件や波風があるものしか意識できません。 根拠にしてるし、意識しているのにそれに気付きません。 帝堯陶唐氏と老人の鼓腹撃壌の故事も伝わります。 しかしある歴史記述が突出だとするのは当然ですが、ではもっとも善であり、普通になっている帝堯陶唐氏の治世とは何か、どんな常態か。 突出の認識のための普通というものを、一定の観念や思い込みで紡ぎだすには最深の注意と、澄明にして清澄な意識が本当は欲しい。 それは難しいのです。それに当時の事情の知識情報も正確に欲しい。 豊か、そして普通の生活。飢饉のない状態。 この事実をどう基盤におけるか。事実と紡ぎの段差に私たちはどれほど躓いてきたことか。 インド、中国内陸、中国沿岸は私の好きな文化です。 そして早産で虚弱な私は、10上の姉、その8上の義兄にかわいがられました。 義兄は中国人でした。先年なくなり、分骨で中国に初めていきました。なんと田舎の方は日本の田舎と同じでした。 想像していたのと段差。そして親類付き合いは全く日本と同じ。 人情も。なんだ、ここなら住めるわい。と思いました。 私は水戸徳川の家臣の系統で東京生まれ、育ちで、従兄弟は茨城ですが、何と中国の人たちもみな茨城の従兄弟たちと同じでした。 そんなにあちこち、世界は変わらないものですね。
- isa-98
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少々雑な方に教えを受けていると思います。 いつも真東から上がると言うのは愚かな生き物です。 今日はお月様が真上にありました。 東雲、曙 暁 黎明。全て明け方の呼び名です。 時間で違います。 ここまで良く見ているわけです。 太陽が東から登ったなどと言う、幼い文章はまず望めないでしょう。 天文方では春分の日を決める為に毎日日の出を観測しています。 ですので、東から太陽が昇りました。 こう言う幼い記載はまず無いと認識すべきです。 平安時代などは日記の古文書などで当時を推測しています。 >いつも通りに~をする。 分かりきった日常的だと言う記載です。 >~帽を被り、~服で~門から宮廷に上がりなさいと藤原~が来た。 (本家から支流はこうしろとまた来たよ。) など。 こう言った古文書がなければ時代劇も大河ドラマも作成不可能です。 同時の服装や慣例など分からなくなってしまいます。 天明の大飢饉は11年続きました。 思わず、当時の庶民の生活などを勉強すれば良いだけです。 記録をどう生かすか殺すかは本人次第でしかありません。
- jkpawapuro
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そういう意図の質問でもないのでしょうが、日本で飢饉というと江戸時代のものが有名です。 この時代飢饉というのは東北地方で頻発しています。 (気温が低く冷害が多かった時代なんでしょう。) ただ逆に江戸時代もっとも余剰生産能力が高いのが東北地方で、江戸にコメを供給していたのが仙台を中心とした東北地方です。 つまり飢饉が頻発し大騒ぎしていた地方ではありますが、普段は人口に比してコメがよく取れていたんでしょうね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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◇:「過去に太陽が東から登って、西に沈んだと書き残した歴史家はいない。」と書かれていました。 ★:これは真理を示唆する穿ったセンテンスです。正にそのとおりでしょう。 ◇人間は常識的な事、解りきった事、当たり前な事、日常的な出来事に対して一々、言葉にして言ったり、文献に書き残したりしないと思います。 ★:もっとも当たり前の事はnot aggressiveですね。 ◇:例えば、歴史文献に○○○年に飢饉があったと書いてあったとします。それを読んで、この時代は結構、食べる物も豊富で豊かだったんだな。と思うべきでしょうか?それとも貧しかったんだと思うべきなんでしょうか? ★:例示の双方とも必ずしも正鵠とはいえないのは分りきったことですね。貧しいとか、豊富という観念も相対的ですからね。 そして更に飢饉のあった記事が仰せの例示双方を内容としているものではないですね。 ◇:飢饉が起こる事が珍しいので記録として文献に残ったわけで、毎年、飢饉が起っていれば飢饉などは珍しくもなく文献には一々残りませんよね? ★:飢饉は悲惨だからですね、そして年中行事だからではないからでしょうね。珍しくもなくても記録は残りうるでしょうね。 結論は、飢饉があったという内容の記録と受け取りですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。例に挙げた先生は中国学の教授で中国、台湾に渡り中国の歴史を勉強し、その後、アメリカに留学、そこで知り合った香港からの留学生が昔から中国には食べ物がなかった、今、アメリカでこんなに豊かな生活がが送れる私は幸せです。と言う言葉を聞いて強いショックを受けたそうです。 自分が中国、台湾で勉強してきた資料には香港からの留学生から聞いたような歴史的事実はまったく書かれていなかったそうです。 それで私も歴史の見方に興味を持ちました。
- Trick_art
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歴史はまったくの苦手ですが、たまたま、目にとまりました。 確か、こんなのを習った気がしますが、これは、違う意味でしょうか? 「日の出る国の天子より~日の入る国の天子」 でも、質問者さんの仰るように、普通に起こる事は、いちいち歴史に書きませんよね。紙も貴重だったでしょうし。
お礼
ご回答ありがとうございます。 紙は貴重だったと言う点は今まで気づきませんでした。 確かに貴重な紙を使うのですから重要な事しか書きませんよね。 私にとって新しい発見でした。 ありがとうございました。
- tadagenji
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そのようになぜこの文献が書いてあるのか?ということを考えなく、文字面のとおり考えるのが現在の歴史学者であり、欠陥です。 例えば綱吉はぼんくらで吉宗は偉い将軍と現在の評価があるのは、そのように書かれた文献がたくさんあることによるのですが、当時、文字を書けるのはほぼ武士階級に限られることを考えると、庶民にとっては違うのでは、と考える必要があります。 綱吉は浪費(公共投資)をして元禄時代を花開かせたが、享保の改革(投資削減)では米価を上げることを目的にしていることは、庶民にとって物価高、石高(米)を年棒給金としてもらう武士にとっては昇給になる。 利益を受けているものが持ち上げた文献の信憑性は、と思う。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはりその記録が書かれて背景を考えないといけないと言うことですね。 大体、歴史はその時の権力者の都合のようように書かれたり書き直されたりしますしね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 大変、勉強になりました。 ありがとうございました。