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あらゆる不信がうずまく世の中
現在の世の中は、政治への不信、検察への不信、民度への不信が渦巻いているように思えます。 ただ、個人の人生と仕事を振り返ってみれば、簡単に解決したり、完全に信じたり、完全に相手に信じられたりすることは少ないのではないでしょうか。 私なんか「三日坊主だよな」とか「甘いもの食べ過ぎるな」とか反省の日々の連続です。悪気が無くてもうまくいかないことはざらです。 それなのに、なぜ他人に対しては不信感を感じ幻滅するのでしょう?
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noname#122427
回答No.1
補足
回答ありがとうございます。 No.1,No.4 様の意見とも関わってきますが、まったくの直感ですが、ご意見は鋭いような気がします。 私の意識では道徳的に良い方向へ変えれるのは自分と身近な人間のみという気がしております。では、その意識はどこから生まれたかというと、身近な人間との直接的な交流の中においてです。 そして、その経験によりメリハリと距離感のある人間関係観を得た思います。 その人間関係観とは、如何に身近に思える芸能人や政治家だろうが直接話し合えないならば何の影響も与えられないということです。 これは当然のように思うでしょうが、芸能人や政治家の不祥事に対し不必要なまでの感情をぶつける現状は夢をみているとしか思えません。 この大いなる夢から醒めることによって、自分達が置かれた寒々とした状況に気づき、家族的なものと地域に原点回帰し、遠くなった政治家との距離を感じることで投票や情報ツールなどの価値を再発見し冷静に使用していくことができるような気がします。 本当の意味で今よりも会話のある社会になるのではないでしょうか。