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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:この夢は何ですか??私の求めるものですか? )

夢の内容とは?私の求めるもの?

このQ&Aのポイント
  • 26歳の男性が死を覚悟した経験を持ち、以降幸せな家庭を夢見るようになる。
  • 夢の内容は毎回違うが、家族を養っている幸せな家庭を夢見る。
  • 夢を見なくする方法を知りたい。頭痛も酷くなっている。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#163132
noname#163132
回答No.5

No.4です。 ご返信、ありがとうございます。 貴方は、自分の生きたいように生きて良いと思います。 流産したり、早産したり、病気になったり、事故にあったりで、成人できない子供もいる中、不遇なことが続いても、ここまで生き抜いて来られたのは貴方に生き抜く力が備わっていたからだと思います。 だから、これからは、純粋に自分のための人生を生きて良いと思います。 御両親が何を思って自分が生まれてきたのか分からなくとも、これから何が起こるのか分からないまま生まれてきたのであっても、少なくとも、赤ん坊だった貴方は、外の世界が見たくて生まれてきたのだと私は思います。 男の人はお産が出来ないから分からないだろうけれど、出産をするときは、母親だけではなく赤ん坊も大変なんです。 私が長子を産んだときは初産だったので、槍が縦に突き刺さったように脳天からつま先まで、体の全てがメチャクチャ痛かったです。 陣痛の痛みは、電気が走ったようにビリビリと全身を駆け抜けて、絶対に槍が体を貫いているとしか思えませんでした。 拷問としか思えない痛みに苦しむ、その時間の多くは、体を九の字に曲げて、息も絶え絶えで、終わりなき道を瀕死状態で進むような心持ちでした。 よく、痛みに耐えかねて泣き叫ぶ人もいるけれど、私は気絶できるものなら気絶したいぐらい痛くて、振り絞るようにしないと声が出ませんでした。 そして、恥骨が押されているのが、はっきりと分かりました。 内側から、ハンマーで殴られているように激痛が走ったからです。 陣痛中は、全身が裂けそうに、稲妻に打たれたのか?と言うぐらいに痛いのですが、あれは赤ん坊にも それだけ負担が掛かっているはずなのです。 何故なら、母親の胎内から出ようと、赤ん坊も必死に満身の力を込めて骨盤を押しているからです。 赤ん坊が必死で、諦めないで外に出ようとしているから、その痛みが母親にも伝わるんです。 だから、赤ん坊はみんな、生まれたくて生まれて来たのだと私は信じています。 あんなに苦しい思いをしても誕生してくるのだから、生まれて来たくない赤ん坊はいないと思うのです。 >世の中に目を向ければ、無責任に生きる人たち多数。 生きるということは、こんなにも苦しく、しんどい事なのに、命を作る行為を責任も取れない状態で『愛だ』という人達。 御両親がどんな人であろうと、周りに値踏みするような女性しかいないとしても、貴方は誕生という難関をくぐり抜け、更に先を生き抜いて来たのだから、自分の価値観、世界観で生きて良いと思います。 自分で真実だと思えることを信じて良いと思います。 >夢の中でマッタリしている自分が嫌いで、起きた後、ゲッソリします。 ささやかな幸せの夢を見て、苦しむのは何故なのでしょう。 夢は覚めるものだから、嫌なのでしょうか。 それとも、夢を夢で見ていることが嫌なのでしょうか。 何故、必死で生き抜いて来た自分を軽蔑するのですか。 夢は罰じゃないですよ。 自分が見た夢は自分の一部だけれど、醜い夢ではないのに、子供を可愛がっているのに、何故自分を嫌うのでしょう。 どんな夢を見たって良いじゃないですか。 自分の夢なんですから。 子供は女性に産んで貰わなくとも、本当に子供が好きなら、里親や養親になることも出来ます。 子供と関わる仕事だってあります。 子供を責任を持って愛せるかどうか、そのことが不安なのですか? 無責任な人達の一人に自分がなりそうで不安なのですか? 子供を傷つけそうで不安なのですか? 世の中の良い父親母親と呼ばれている人だって、不安や疑問を抱きながら、手探りで子育てをしていると思います。 そのことは誰もが経験することだとで、最初から良い親にはなれないものだと思います。 でも、子供が好きか嫌いかは、どんな人でも初めから分かっていることだと思います。 子供が好きだという自信があるのなら、関わることを考えても良いと思います。 >ワンルームに一生暮らしながら、自分のためだけに海外旅行・1500万クラスの車を乗り回しているほうが、目の覚めた現実の幸せだと感じています。 現実の幸せが叶うと、夢に苦しむことはなくなるかもしれないですね。 夢をどの様に解釈したとしても、どんな夢を見たとしても、貴方が今の自分を認められれば、夢に苦しむこともなくなるのだと思います。 「ただ、今を好きなように生きる」で良いじゃないですか。 貴方は、貴方のために闘いながら生まれてきたのだし、親御さんにも御兄弟にも尽くして来たのだし、今は独身なんですから自由です。 これからは、「自分のために毎日を生きる」で良いと思います。 まだ、自分一人の生活を心の底から満喫したことはなかったんですよね? もう充分、御両親や御兄弟の力になったのだから、「伸び伸びと自分のために日々を生きて」ください。 まずは、自分のために。 一日でも長く人生を楽しめたら、それで良いと思います。

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noname#163132
noname#163132
回答No.4

No.3です。お礼をありがとうございました。 今回は長文です。偉そうに感じたらすみません。 出会いは無欲になったときに来るのじゃないかな…? などと思います。 自分自身を振り返ると。 忘れた頃にやってくる…みたいな。 家庭事情は人それぞれで、多分、私の育ってきた家庭の場合は中の下辺りだったと思います。 特別不幸だったということもないけれど、人に自慢できるほど幸福でもなかった…そんな感じです。 実家は子だくさんだったので、母は私が幼い頃は内職に励み、妹が幼稚園に入った頃からは、ずっとパートに出ていました。 物心ついた頃には、母は内職、家事と始終忙しくしていたので、私は幼い頃から母にはあまり遊んで貰った記憶がありません。 母は時間があれば、ともかく休息に当てることを優先して仮眠を取っていました。 だから、私は母と一緒に外で遊びたくても邪魔にならないよう、部屋で独り大人しくお絵かきをしていました。 というのも、家の引っ越し事情で私は幼稚園に年少、年中と入り損ね、近所にいる子供も年上の子ばかりで、私は体格も運動神経も追いつけず、姉たちが帰ってくるまでは母と家にいるか、買い物に付いていくぐらいしか時間のつぶし方が分からない様な子供でした。 そんなことも手伝って、私は幼い頃はお父さん子でした。 父親は童心のある人で、小さな子供みたいなところがあり、休みの日はよく一緒に遊んでくれたのです。 母に構って貰いたい分は、父が代わりかそれ以上に対応してくれていました。 三つ、四つぐらいまでは、割と普通の家庭だったと思います。 両親が不仲になったのは、妹が生まれる少し前辺りからだと思います。 丁度その頃から、父の仕事が忙しくなり、母も赤ん坊の妹を含めた4人の子供を育てていくのにはストレスが募っていったのだと思います。 父が子供達に構えなくなった分、母は忙しくなり、ヒステリックになっていきました。 当時、親離れが進んでいなかった下から二番目の私は特に手が掛かり、母にとっては、かなりのお荷物だったと思います。 父親は父親で、人が良いので手柄を横取りされて昇進を逃したり、母ともすれ違いが大きくなっていき、酒に酔って暴れることが増えていきました。 私は父にお腹を蹴られたり、殴られて体ごと飛ばされたこともあります。 また、父は食卓テーブルのような大きなものまで投げ飛ばすこともありました。 灰皿を床にたたき付けて割ったときなどは、破片が母の顔に刺さって、母はこれではパートに行けないと泣いていました。 夜中に私たち子供は母に連れられて、酒に酔って暴れる父から逃げ出したこともあります。 「あんた達がいるから、お父さんと別れられない」と泣き叫ぶ母に私は、別に産んでくれと頼んだ覚えはないし、殴られたり怒鳴られたりするぐらいなら、さっさと別れればいいのにと思っていました。 父からも母からも愛情を注がれて何の不安もなく育っていた時代と、二人を憎く思っていた時代とあるので、私は父と母のことを掘り下げて考えると、好きなのか嫌いなのか分からなくなる事がよくありました。 ただ、心の底から嫌いになれないし憎めない。 はっきりしているのは、そのことだけです。 感謝したり、懐かしく思う反面、消し去りたい記憶もあります。 二人を憎む気持ちよりも、慕う気持ちの方が強いので、自分を保てているのだろうと思います。 物心つく前から、両親の不仲が始まっていたら、私は今とはだいぶ違う価値観で生きてきたのかもしれません。 ともかく、両親が不仲だった期間が長かったし、引っ越しも多かったので転校も多く、幼い頃から自分のことも他人のことも嫌な部分を見ることが多かったので、自分でも結婚をしたことがとても不思議です。 結婚をする人は、絵に描いた様な幸せな人生を歩んできた人か、考え無しの人しかしないと思っていましたので。 だとすると、私の場合は後者ということになります。 今の夫には、あれをして欲しいだの、こうなって欲しいだの、そんな感覚のないまま一緒になりました。 全然なかったわけではないけれど、その前に別の人と付き合って、失恋済みだったので少しは学習できていたのが良かったのだと思います。 子供を産んでからは、父親としての希望や願望を押しつけてしまったことはありますが、結婚前は願望は特にありませんでした。 ただ、何となく、この人となら一緒に力を合わせて行ける。 見栄を張って自分を作り過ぎたり、依存するだけではなく、自分でも何か力になれるのでは、と感じさせられるものがありました。 特に格好いいとか(普通だと思います)、給料が良かったわけではないし、嫌いなところもあるのに、何故だかこの人だと思ってしまったのです。 また、私が夫が父親の借金を抱えている事情を知ったのは、結婚してからでした(これは夫本人も知らないことだったのですが…)。 金額もすごかったのでショックでしたが、これは本人には責任がないことなので仕方ないですよね。 夫から子供時代の話を聴くと共通した部分もありまして、似た者同士一緒になった感じです。 過去のことなど一切知らずに付き合うことになったのですが、どこか似たところがあったので、最初から話があったのかなと思ったりします。 私が両親が仲良く愛情一杯の家庭で育っていたら、夫の実家の事情を聞いてもイメージし辛くて、距離を感じたかも知れません。 実際に、夫には実家の話をして、それきりになってしまった人もいたそうです。 何処から何処までが生まれ付いての自分の性格なのか分かりませんが、実家の両親のもとに生まれたから、今の私があるわけで、夫の力になるどころか喧嘩もよくするし、今は夫も単身赴任中で、子供とも私とも離れて独り暮らしです(そんな生活ももうすぐ二年目に突入します)。 夫は丁度今、帰省中ですが、自分一人でも生きていける人なのが良く分かります。 最初は寂しかったようですが、今は家事を頑張って職場の仲間に手料理を振る舞ったり、博物館や映画、お祭りを見に行ったり、単身赴任生活を満喫しているようで、私よりもずっと適応能力のある人だったのだと感心してしまいます。 支えるつもりが支えられていたのだなと、夫が帰ってきてくれる度に思います。 夫が帰ってくると、子供たちの表情が、いつにもまして生き生きしています。  何で一緒になったのか、向こうも逃げ出さないのか良く分からないけれど、もしかしたら、子供が可愛いから今も家族でいてくれるのかもしれないけれど、恐らく夫は、あまり後悔しないで、もしくは囚われないようにして生きている人なのだと思います。 その感覚が私には足りないので、夫に惹かれたのかもしれません。 貴方には、どう声を掛けたら良いのか解らないし、この回答が貴方にとって意味があるのかも分かりません。 性別の違う私が言っても説得力はないと思いますが、やはり、出会いは計算とか働きかけとかは微力なもので、殆どがタイミングと感覚だと思います。 貴方は、まだ26歳なのに人より早く苦労を経験したからネガティブになることが多くて、自分らしさを出せないでいるのであって、たまたま、この人だという人に出会えていないだけだと思うんです。 それか、責任感が強いので、どうしてもセーブが掛かってしまうとか。 責任感が強いから、先の先まで気になって、予期不安から無意識に人を遠ざけてしまうとかはないですか? ネガティブになっていると、どうしても相手とも壁を作ってしまうものだと思います。 壁を作ってしまうと、向こうもそれを察知して壁を作ってしまいます。 無理にポジティブになっても、それはそれでわざとらしいので、これまた、壁になってしまいます。 素のままでいるようにすれば、自然と波長の合う人に出会えると思います。 そうでなくとも、波長が合う人と出会うと、取り繕う必要がないというか、いつの間にか素になってしまうものではないかと思うのです。 「終わりよければ全て良し」というけれど、これで良いとか悪いとかは、そう簡単には分からないものだと思うのです。 少なくとも死ぬときは、 「これで良かった。自分の人生は間違いではなかった」と思えたら、それで良いのかなと私は思っています。 私は怠惰な性格なので、何時死んでも悔いの無いように生きられたら、どれだけ良いだろうと思います。 父親は、酒乱で子供っぽいところがある人だったけれど、いつも全速力で走っているような人でした。 自分を誤魔化さずに、真っ直ぐに、力一杯生きていた人でした。 だから傷つくことも多くて、お酒の力を借りたくなってしまったのでしょう。 私は、お酒が入っていないときの父は大好きでした。 お酒が入っていないときの父のように、精一杯生きられたら、どれだけ良いかと思う反面、それでは父は聖人のようで、これまた遠い存在になってしまいそうで複雑な気持ちです。 あそこまで酒乱じゃなければ、本当に自慢の父だったのです。 暴れん坊な父でしたが、葬儀には沢山の人が来てくれました。 バランスが悪くても、魅力的な人、印象的な人であったのだと思います。 バランスが良い人は、誰とでも上手くやっていけるけれど、バランスが悪くても魅力がある人なら、辛いことも沢山あっただろうけれど、その分、輝くようなことも沢山あったのだろうと思うのです。 バランスが悪くても、あれだけ別れを惜しむ人が来てくれたのだから、父は幸せな人だったのだと思います。 本当に、上手く言えないけれど、 「人と屏風は直には立たず」です。 手前味噌のようだけれど、これは国語カテで回答をしようと調べているときに知った言葉です。 《人間はあまりに美しいと、これを保つことは出来ない。  少しかげりのある方が、ほんとうに美しい状態が保てる。》 現代の解釈は、これとは違っていますが、元々の意味はそう言う意味だったそうです。 そして現代では、「直(すぐ)」には、“真っ直ぐに”と“直ぐさまに”の両方の意味が含まれているということです。   元の解釈だと、病気がちな人は、病気をしている人の苦しみが分かったり、同じ悩みを持っている人が分かり合えるのと通じるものがあると私は思います。 何故なら、満たされていてあまりに完璧だと、物事に感情が湧きにくくなるのではないかと思うからです。 何か工夫したり、意欲を持ったりと、喜怒哀楽の感情が少なくなってしまうのではないかなと。 あまり期待せず、でも希望を失わずに生きていれば、良いことが突然、 「あれ?」という感じでやってくると思います。  では、長くなってしまいましたので、ここで失礼したいと思います。

noname#155710
質問者

お礼

私は、父親から大事にされた記憶が有りません。 物心付いた頃から、殴られて、食事抜きで育てられました。 生きるために、悪い事もしました。 大事にしてくれた祖父母に会いに行くことを強制的に禁止されていて、青春も楽しむ余裕が無く、学費は自分で作り、卒業後は兄弟のために、父親に金を沢山与えてました。 両親の離婚が進み、父親と別居を始めることになったのですが、私に引越し先を教えない始末(私が母にお金を貸しているのですが、返せといわれるのが嫌なのでしょう。) 結局、母の携帯電話の名義に私がなっていたのですが、そのお金も私が全部払うことになりました(解約済) 世の中に目を向ければ、無責任に生きる人たち多数。 生きるということは、こんなにも苦しく、しんどい事なのに、命を作る行為を責任も取れない状態で『愛だ』という人達。 こんな世界にいる女性に、何の魅力があるんですか?? 私の周りには『男は年収』という女性ばかりが居ます。 金は必要ですけど、態度に出す&質問してくる女たち。 だからこそ、正反対の事が実現する『人間本来の理想の夢』が、有るのかもしれませんね。。 ワンルームに一生暮らしながら、自分のためだけに海外旅行・1500万クラスの車を乗り回しているほうが、目の覚めた現実の幸せだと感じています。

noname#163132
noname#163132
回答No.3

私の勝手な解釈ですが、きっと、夢は貴方に「生きろ」と言っているのだと思います。 繰り返し、繰り返し、「諦めるな」と言っているのではないかと。 夢はまるで意味が分からない可笑しなものもあるけれど、貴方の夢はメッセージ性が濃いですよね。 お辛い過去を知った上で、誠に失礼ですが、優しい両親のもと幸せな家庭に育ちたかった願望を貴方は持っていらっしゃいますよね? これも私の勝手な解釈ですが、貴方には ご両親との辛い過去があって、子供時代を自分自身がやり直すことが出来ないので、ご自身が親になって子供達を幸せに出来たら、または、子供達に関わることが出来たなら、幸せになれるという予感が おありなのではないでしょうか。 少なくとも、無邪気な子供に囲まれたいという思いはありませんか? 子供の未来に関わりたいという欲求はありませんか? 貴方は、子供時代の大切さを痛感しているから、子供を守りたい気持ちがあるから、その様な夢をご覧になっているのではないのかと私は推察致しました。 >1.夢を見なくする方法は有りますか? 夢は熟睡できていると、内容は殆ど覚えていないものなのだそうです。 熟睡できるようになったり、何か強い関心事が出来ると、今見ている夢は見なくなるかも知れませんね。 私の場合、寝る前に見たテレビや本の内容の影響を強く受けた夢を見ることがよくあります。 そもそも、寝る直前の記憶は消えにくいそうです。 私の場合も眠る直前に見たことが記憶に残っていて、夢の内容に影響を与えていると言えると思います。 貴方にもこれが当てはまるとしたら、コメディーとか、エッセイとか、内容が軽快で刺激が強すぎないものを見たり読んだりすると、眠りや夢に好影響を与えることが期待できそうです。 寝る前にホットミルクを飲んだり、軽くストレッチをして体の緊張をほぐすのも良い眠りを誘う手助けになると思います。 ラベンダーのアロマオイルも鎮静作用があって、良い眠りを誘うと言われていて、脳波の検査をするときにも睡眠を促すために使われることがあります。実際に、私は息子の付き添いで同席したときに、気持ちが良くなって一緒に眠ってしまったことがあるんですよ。 ところで、夢をご覧になっているときは気分が悪いのでしょうか? それとも、夢の中では幸せだと感じていますか? 「また同じ夢だ。早く覚めてくれ!! みんな何処かに行ってくれ!!」 その様に感じることはありますか? それとも、目覚めるのは嫌ですか? 目が覚めたときに、がっかりだったとしても、夢の中で幸せなら無理に夢を否定しなくても良いと思います。 夢の中に出てくる子供達は、自分自身の分身だと思えば良いのではないでしょうか。 愛情一杯に子供達を育てれば、貴方の心の傷が癒えるのでは? 素人が勝手なことを言っているのですが、そんな夢ではないかと思いました。 夢は、やり残したことを見ることがあるそうです。 私は割とよく亡くなった父の夢を見るのですが、亡くなった人ときちんとお別れが出来なかった人は、その様にして夢で見ることがあるそうです。 ここで自分のことを書くのは反則だと思うので、詳しくは書けませんが、私は娘らしいことを父にしてあげられなかったと思っているので、夢で見てしまうのではないかと思っています。 最初の頃は父の夢を見ると悲しかったのですが、この頃は、夢を見ながら気持ちの整理をしているのだと思うようになりました。 ですから、今、貴方がご覧になっている子供達の夢も、気持ちの整理が着いたら頻繁には見なくなるのではないかと思うのです。 夢に現れる子供達は、貴方がやり残したことをもう一度やるために現れているのではないかと思います。 私は、貴方が貴方を育てるために見ているのだと思うのです。 だから、「あほか」だとか、たかが夢とは思わないで、夢の中の子供達に出会ったら大切に育ててください。 貴方の中の幼子が育ったら、その子達は現れなくなると思います。 それに、親とは違い子供は産まれてくるものです。 いつか現実になるかも知れませんよ。 夢の中で予行演習しているのだと思えば良いのではないでしょうか。

noname#155710
質問者

お礼

幼いころから、虐待されても『これが普通』と思っていたので、社会に出て『普通ではなかった』と後から知っても、どうやっても一般的な価値観が生まれません。 結婚願望も無くなり(私の家庭が酷すぎるとみんなは言いますが、こんな家庭例は、いつでも起こりえることですよね)、人の気持ちは時間とともに変わり、特に女性も信用できなくなり(金なし男=無視という態度を平気で取りますね)、そんな現実を痛いほど見てきたので、夢の中の事を、馬鹿らしいと思っています。 夢を見ている時は、のんびりしている自分が居ます。 たぶん、結婚した同級生の子供がかわいくて、同じような家庭が欲しいと夢の中でだけ、思うのかもしれません。 起きた時、泣いている時も有れば、鼻笑いするときもあります。 私には、不相応の一般的な幸せです。 人生の小さなトラブルというマラソン(裁判やいろんな金策など)をしてきましたが、結婚というマラソンには、リタイアや休憩はありません。 だから、夢の中でマッタリしている自分が嫌いで、起きた後、ゲッソリします。 この世に2つの性が有る限り、私は異性は一生信用しないので、夢の中のような未来は無いでしょう。。。 自分だけのために楽しんで死にたいのに、夢のせいで熟睡できないなんて、自分らしくなくて腹立たしいです。。。

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.2

夢ならば別に気にせずにいたらいいではありませんか、悪い夢でなし。その夢は心にあるあなたの望みといえそうです。温かい家庭を望んでいるのでしょう。いいことですので「アホくさ」などと思わずにいてはどうでしょう。 真面目に働いているなら見合いで結婚することもできますので希望は捨ててはいけません。いくらでも出会う方法はあります。 借金も200万くらいなら普通で、返済できない金額ではないので返していきましょう。まずはきちんとした生活を始めてください。 まだまだ若いのですし、希望を捨てるには早すぎます。生きている限り希望はあります。ただ悩みの解決法を知らないためにいやになっているだけでしょう。 全ての悩みには答えがあります。必ず解決できるのです。

noname#155710
質問者

お礼

真面目に働いても、見合いに来る女性なんて、理想しか押し付けてこないイメージがあります。 合コンに行っても、男をステータスでしか見ませんし。。 自殺する能力は無いので、静かに年をさっさと取ってしまいたいです。。

回答No.1

>両親が離婚して、私とも仲が悪く、虐待・裁判など これを読むと、かなり辛い人生を歩いてこられたように思います。 しかしそれだからこそ、あなたの中に強い自分が形成されているのではないかと思われます。 結婚の放棄、女性への興味の薄れとは書いていますが、あなたの中にそれらに対する未練を感じます。また自分が家庭を設けたら、子供たちを悲しませることなど絶対にしないという自信も感じられます。 26歳ならまだいろいろ決めてしまうには早すぎます。 あなたの持病がどの程度なのかはわかりませんが、「病は気から」という言葉があります。 この言葉は単なる気休めではありません。 何の病気かは忘れましたが、余命三ヶ月と診断された人が、どうせ死ぬのだったら毎日楽しく過ごそうと、面白い映画など見ながら笑って過ごしたところ、病気が完治してしまったという症例があります。 諦めないでください。 そして輝かしい未来をつかんでください。

noname#155710
質問者

お礼

自信なんて、ありません。。 一生懸命がんばっても、今の時代、人を守ることなんて、難しいです。 人の人生を背負うほど、私には力はありません。。 私の中に、まだ、未練が残っているのですね。。 悔しいですね。。

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