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独我論
ひとり回転し続けるモノローグ。 どこまでも自己を主張し続けるという意味では無際限だが、 一面的であるという意味では有限である。 身近にそんな方いらっしゃいませんか?
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質問者が選んだベストアンサー
思い当たる人はいますが、まあ良いのではないでしょうか。 モノローグ=独白という意味ですね、 「自己主張」の内容が 真実ではなく、あくまで独自の独白であると認識できるならその都度指摘していくしかないでしょう。それが自分のためでもあると思います。しかし、「真実なんて個人には解らない、認識できない」と言うなら、独白であるかどうかもわからないと云う事にもなりますか。
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- ENERGEAR
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No.5の回答は、No.4と矛盾する可能性も考慮に入れて 尚、あえてしたのですが、 一であり、全てである者同士の関係が成り立つ世界を想定した思想哲学はもう既に誰かが提唱しているのでしょうか。 そして、そのような世界における人間関係、社会はどのようなものであると考えますか。
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つまらない質問にお答えいただきまことにありがとうございました。
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ご回答ありがとうございます。 もとより独我論は矛盾していますので(笑)。 そうですね、スティルネル「唯一者とその所有」が手掛かりになると思います。「創造的虚無」とかなかなか難解なんですが。 「個人主義的アナーキズム」で検索すると何か出てくるかもしれません。
- ENERGEAR
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一であり、全てである者が同時に存在しあい、関係しあう ということも可能ではないでしょうか。
お礼
暇をもてあましたらまた書き込んでみてください。
補足
ENERGEARさんありがとうございます。 おかげさまで回答数が5まで増えました(笑)。 >一であり、全てである者が同時に存在しあい、関係しあう ということも可能ではないでしょうか。 私もそう思います。 ただ独我論はそれを否定するようです。 喩えてみると、 「神でさえもその存立のためには他を必要とする」とか「相対者を内に含んだ絶対者」などと表現できるかもしれません。
- ENERGEAR
- ベストアンサー率18% (7/37)
過去に 全てである者 を観たことがありますが、その存在は他者に働きかけず、話しかけず というような存在だという、印象を受けました。 それが本当に一であり、全てである者 なのだとすれば、他者に働きかけ・話しかける者は、一であり 全てである者ではない。という結論がでます。 どんな形であれ他者に働きかけるものは多少に関わらず、欺瞞や偽善を含んでいる、と考えます。 他者に関わらなければ、そのぶんだけ完全度が高いと言えるのではないでしょうか。 完全に他者に関わらない者(関わる必要の無い者)が、全てである者 と規定します。 これが 唯一ではない(他者との比較ではない)、一である完全者ではないでしょうか。
お礼
お忙しいところご回答いただきありがとうございます。 暇をもてあましたらまた書き込んでみてください。
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そうですね。 私は唯一の私の利益のために質問する。 ENERGEARさんは唯一のENERGEARさんの利益のために回答する。 それでお互い等価な関係がたもてる様な気がします。
- ENERGEAR
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唯一だと、他者との比較という印象を受けますね。 一 だと、それで全てである ということで、一と全ては同じであると考えて良いですね。 しかし、「彼」は どうなんでしょう、一であり、全てであり、「正しい」のでしょうか? それは個人には判断できないのか、それとも判断、判定する基準があるとすれば、それは何でしょうか。
お礼
お忙しいところご回答いただきありがとうございます。 暇をもてあましたらまた書き込んでみてください。
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>唯一だと、他者との比較という印象を受けますね。 そうですね。 確実に実在するのは自我だけで他者や世界は現象にすぎないという主張のようです。 >しかし、「彼」は どうなんでしょう、一であり、全てであり、「正しい」のでしょうか? 純粋のエゴイズムととらえたらどうでしょう。 私は己の事柄のみにかかわり、それは神のものでも、人間のものでも、善なるもの、悪なるもの・・でもなく、ただ、唯一の私のものであり、私自身、この身一つにおいて創造者であり被造者である
- ENERGEAR
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「唯一」と「全て」が並列で論じられるかどうかは 解りませんが、まあ人は皆ある程度は学びの人生だという事なんでしょうね。 暇だったので回答しました。 お礼をありがとうございます。
お礼
暇つぶしにご回答いただき誠にありがとうございました。
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>「唯一」と「全て」が並列で論じられるかどうかは 解りませんが そうですね。 「一にして全」 全体的な一者としてあるものは自己完結的なものであり完全なものである。
お礼
お忙しいところご回答いただきまことにありがとうございました。
補足
>思い当たる人はいますが、まあ良いのではないでしょうか。 ほんとにそうですね。 そのようなことはことは独我論にはかかわりの無いことである。 自我が唯一であり全てであってみれば、他人や自分の周囲は自己規定の結果にすぎないのだから。