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統治
昔読んだ何かの本に、白人が植民地を統括するテクニックとして、 「分割(分断)して統治(支配)」というものがある。」 と言う文章が書いてあったのですが、 これは 本当にそういう思想、テクニック?で支配していたのでしょうか。 それとも本能的に行っていただけなのか。 あるいは そういった事実はなかったのか。 そして、今も日本や他の国で、企業や組織において そういったテクニックで支配、管理しているといった事はあるのでしょうか。そして、それが組織や企業の維持発展、安泰につながるのでしょうか。 思想的、哲学的あるいは実際の体験に基づいた 解答をお願いします。
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No.7です。こんばんは。 >一企業における社員同士の横のつながり、所属する者同士のコミュニケーションを考える場合、経営者に対しての従業員、つまり「支配者に対しての被支配者の協力(団結)」と規定することが出来るでしょうか。 そのような内容だったのですね、私の方こそ、話の流れが読めていませんでした、すみません。 仰ることは、理念上では、そのように規定できると思います。 ただし、階層の流動化の生じやすい企業風土、つまり、誰もが比較的容易に経営陣へ出世可能な日本企業には、あまり現実的でないように映ります。 だって、時期取締役候補の辣腕部長が、中途退職を余儀なくされそうな平社員と、志を等しく経営陣と強行対峙するコンセンサスを得るなど、とても考えにくいことですから。 その点、階級間、職級間の流動性に乏しいヨーロッパの方が相対的に相応しいようにも思われます。 これも能力主義が横行しつつあり、企業のグローバル化が進む中で、一概には言及しにくいでしょうけれども。 「被支配者同士の協力(団結)」に関して、以前エアフラのストに遭遇した際に、ちょっと驚いた経験があるのです。 珍しく長距離便が相次いで欠便となり、私の便もギリギリまで乗務員の集合に苦労した模様で、冷たい簡易食しか結局出されない状況のもと、上級管理職らしき職員が、昔を懐かしむように愛想を振りまき配膳していたのが印象的です。 で、私の横のお爺ちゃんが、 「自分は(雇用労働者として)引退した身だけど、働く者同士が他業種のストを認め合うのは大切で、そのためにお互い犠牲になるのは仕方ないんだよ。」と笑いながら自国文化の言い訳をしてくれました。 恐らくかつては自分自身もストやデモに参加したのかも。 前日出発の予定がストで欠便、空港傍のホテルに缶詰にされ、すったもんだでギリギリ滑り込むように最後に乗り込んできた団体客の一人である彼は、事実上箱根での一泊が消滅してしまったのに、飛行機が飛んだことを喜んで皆で祝杯をあげていましたけどね。 だいたいが、フランスのニュースを見ていても、あまり正規雇用か非正規雇用かどうかといった区別には拘っていないようで、雇用労働者層同士が団結してストやデモに参加しているように映るのです。 失業率や官僚制に対する不満も恐らく含まれているでしょう。 一方日本では、派遣切りにあった労働者に対し「本人の努力が足りないだけ、文句言うな」という「自明」とも言える厳しい論調の割には、報道するマスコミや経営陣への厳しい意見をあまり見かけなかったように思えたのです。 つまり、「支配される側(正規雇用労働者)が、より境遇の劣悪な支配される側(非正規雇用労働者)を圧する構図=不寛容」にも映るのですね。 まあこれも、言うは易しで善悪をつける問題でもありませんし、一私見として流して下さいますよう。 自他に対する労働組合、争議に対する無関心や不寛容のまま、旧来の日本型雇用システムが崩壊していっているわけで、今後はどうなりますでしょうね。 >沖縄などの米軍基地、日米安保条約 たしか元旦のNHKの討論では「防衛は日米同盟堅持で経済は日中関係促進」という意見が大勢を占めていた憶えがあります。 米軍再編問題も含め、これから一体どうなるでしょうね。私の方がお聞きしたいくらいです。 >情報ネットワークの構築の仕方と、それを使う人間の問題とも言えるでしょうか。 >規模よりもシステムの質が問題となってくるのではないか 組織の規模は、ある程度の大きさに達する過程で、一連の機械化、専門化、規則化などが進むと考えられます。 あとは、情報ネットワークの構築の面で「バウンダリーレス(境界がない)」が有効と目されていると思われます。 これはGEのウェルチ元会長の発案による組織概念で、企業組織内の水平、垂直の垣根を取り払うことにより、≪統合≫とは正反対に、指揮系統といったものを排除する取り組みを指すものです。 それにより企業のグローバル化や他企業との提携をより円滑に促進すると同時に、雇用の多様化にも十分対応していけるわけです。 むろんこれも完璧にはいかないでしょうし、デメリットも当然あるはずで、組織外の要因に容易に左右されたり、業績への影響を以前にもまして受けやすくもなりましょう。 以上、だいたい書き尽くした気がします。 中身の無い至らぬ点につきましては、御容赦下さいますよう。 お読み下さってありがとうございました。
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- mashumaro2
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No.4,No.6です。こんばんは。 >ベア要求 >とは、物価の上昇に伴っての賃上げ要求ということですね。 ええ、ENERGEAR様の仰る通り、本来であれば、物価の上昇に伴って基本給の賃上げ要求が見込まれるはず。 しかし、昨今のような厳しい経済状況の下では、企業収益の圧迫によりベア要求どころか賞与のカットが行われ、更には基本給までもが削減されないケースもあるでしょう。 何がしかの外的補填によって、企業の人件費が勝手に膨らむはずもないわけで、結果的に奪い合いの形となるのも必定なのです。 >「労働者間競争」というのは、例えばどのような行為振る舞いのことを言うのでしょうか。 > その結果としての立場や賃金の格差の発生というのは過去のことに過ぎないのでしょうか。 はい、労働者間の競争としては、営業達成の競争から能力別の査定による給与分配、または雇用調整など、様々な具体例が挙げられます。 「その結果としての立場や賃金格差の発生」ですが、かつての典型的な日本型システムである年功序列と終身雇用については、今現在いったいどの程度機能していることやら。 この点につき、時代の趨勢である能力主義や成果主義と雇用形態の多様化のもと、今以上に行きすぎた過酷な労働条件や処遇に対する発言権の復権に対して、労働組合の存在理念が新たに見出されてもおかしくないのでは、と思ったに過ぎません。 ついでにちょっと付け加えますと、 正規雇用労働者に非正規雇用労働者(派遣、パートなど)を管理させることにより、双方において多少の反目や偏見が生じてしまっているという≪分断統治≫状態について、これもやむなしと、半ば放置している企業も少なくない気もするのです。 ちなみにチベット問題は、 フランスではタンタンという絵本の題材「Tintin au Tibet」にもなっているくらいわりあい馴染みがある民族ながら、 やはり日本では知名度が低く、近くて非常に遠い国のように映り残念に思います。 wikiによると中国政府による現在の分割統治ラインは、清朝雍正帝の頃にまで遡ることが出来るようですね。 清朝当時は諸部族による混成状態からの分断だったとすれば、純然たる分割統治とは言えないのかもしれませんが、 少なくとも今の中国政府のやり方を見るかぎりにおいては、確信犯的な分割統治以外の何物でもないように思えるのです。 これも、一私見なのですけどね。
お礼
No.3の補足欄の、 >一企業における社員同士の横のつながり、所属する者同士のコミュニケーションという意味においては、経営者と従業員となるわけで、それは支配者と被支配者と規定することが出来るでしょうか。 は、かなり行間の文章を抜きすぎたようで、失礼しました。正しく書くなら、 >一企業における社員同士の横のつながり、所属する者同士のコミュニケーションを考える場合、経営者に対しての従業員、つまり「支配者に対しての被支配者の協力(団結)」と規定することが出来るでしょうか。 でした。 チベット問題は良く知らないので、調べた上で 何か考え・思いついたら、補足欄にて観想を述べます。それより、沖縄などの米軍基地や、日米安保条約はこのままで良いのでしょうか。 どうも。
- tyr134
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>昔読んだ何かの本に、白人が植民地を統括するテクニックとして、 >「分割(分断)して統治(支配)」というものがある。」 「分割して統治する」というのは、昔からある政策ですが、ケースによって色々ばヴァリエーションがありますね。 NO1さんが挙げられているように、古代ローマの初期(拡張期)には攻略した都市国家(以下国と略)と国の間に、その国と国を分断する形で退役軍人を中心とした都市を配置することで分断し、侵略された国同士が手を結び反乱するのを防ぐという政策をとっていました。 また、ある程度の自治権を与えた上で、ローマと国1対1の同盟を結び、国と国同士の同盟を結ぶことは禁止しました。 こうしておくことで、例え反乱が起こったとしても一つの国が単発で起こるようにして鎮圧しやすくしていました。 しかし、古代ローマも後期になると、「分割統治」の意味合いが変わってきます。 帝政ローマも後期にさしかかり、その「パックス・ロマーナ」に陰りが見えてくると、周辺異民族が侵入を繰り返すなど衰退の兆候が現れてきます。 また、この頃には領土も広大な範囲に及ぶため、一人の皇帝がすべてをカヴァーすることも難しくなってきます。 そこで、皇帝ディオクレティアヌス(3C頃)はテトラルキア(四分割統治)を導入し何とか帝国を立て直そうとしました。 また、皇帝テオドシウス1世(4C頃)はローマを東西に分けて二人の息子に権力を譲渡しました。(この時、帝国を二つの国に分割したというよりは、それぞれの担当地域を決めたと言った方がいいかもしれません) しかし、東西に分かれた帝国は480年に西ローマが消滅したことで二度と復活することはありませんでした。 とはいえ、消滅したのが分割統治のせいか?と聞かれると、難しいところですね。 一方、19世紀の帝国主義の時代ですが、こちらはヨーロッパ列強による植民地獲得競争において、今ある国あるいは嘗てあった国を列強諸国が話し合いで分割して統治する国際政策を「分割統治」ということがあります。 植民地獲得競争といっても、武力でばかり決着をつけていては国力の疲弊が大きいので外交で決着をつけようとしたわけです。 また、植民地統治においても、その地に元々ある対立を利用し、あるいは新たに作り出し、その反目を焚きつけ一方を支援することで傀儡政権を作り統治しやすくしたりもしています。 ただ、戦後の植民地独立時代になると、その時の負の部分が本国にも及び、今なお尾を引いています。 (それを考えると、敗戦によって植民地をすべて放棄せざるを得なかった日本は不幸中の幸いだったのかもしれません) >アメリカは最初から州を分けていたのでしょうか。それとも途中で「維持できない」などの理由により分けたのでしょうか。 アメリカ合衆国史は、英国のピューリタン(清教徒)が国内の弾圧を避けてメイフラワー号で移民してきた事を基礎に置くのが一般的なようです。 その後、何年もかけて植民地が作られていくようになります。 そして、13の植民地が東岸に作られました。 あくまでも英国の植民地だったのですが、植民地にはある程度の自治権を持っていました。 しかし、英国がフランスなどとの度重なる戦争によって国庫が逼迫してくると、植民地にも課税を強化しようとしました。 この政策に植民地が猛反発したことから、独立戦争が始まります。 この独立戦争の時に、13植民地が「連邦規約」を作り団結し、独立戦争終結後は「アメリカ合衆国憲法」を採択しここに「アメリカ合衆国」が誕生することになります。 アメリカ合衆国は、それぞれ憲法を持つ独立した邦(州)が寄り集まってできている国です。 13の国(植民地)の連邦制としてスタートした国で、一つの憲法・一つの政府からなる他の共和国と分類して「立憲連邦共和国」と称されることもあります。 なので、「最初から州に分けていた」というよりも「独立した州が集まってできた国」といった方が適切かと思います。 ですので、「分割統治」というよりはそれぞれの州の上に連邦(合衆国)政府が乗っかっているというイメージですかね。 多様な移民からなる国において、各州に多くの自治権が与えられているため、「米国人」という大まかな意志共有を持った上で、その地域に住む民族の特色を反映・対応できているんだと思われます。 思想的というよりも大まかな歴史的な事実を(推測も交えつつ)回答してみました。 参考になれば幸いです。
お礼
参考になりました。どうも。
補足
アメリカの更なる進化発展の可能性として、どのような形態が考えられるでしょうか。
- mashumaro2
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No.4です。 せっかくお礼をいただいたのに、時間差により的を射ていない内容にいま気付きました。 すみません。 以下、ENERGEAR様のコメントに沿って回答させていただきますね。 先の拙文の回答は放置して下さってもちろん結構です。 >外部からの強力な支配者として搾り取るなら、他企業との競争力などは関係なく、やはり分割して統治 が、有効でしょうか。 う~ん、経済的に「搾り取る」ならば、「分割して統治」と言う概念に近い「集権化」よりも、 やはり昨今では、「分権化」の方がかなり有効とみなせると思います。 なぜなら、現場に近い下位層のマネージャー・クラスに、意思決定の権限を最大限に付与することで、 より一層素早く効率的に、他企業との営業競争にも打ち克つことが可能になるからです。 〉しかし、自分が所属する組織である、あるいは発展させる方向を目指すのであれば、分割して統治することで、長期的に観れば活性化せず、従って競争力や繁栄力が落ちる。という事になりそうですね。 はい、この点において重要視される一つとして、企業における組織文化が挙げられます。 社員に同一のアイデンティティと社員同士の信頼感を喚起させ、風通しを良くすること。 それはまさに、ENERGEAR様が仰るところの「一企業における社員同士の横のつながり、所属する者同士のコミュニケーション」と同義のはずです。 昨年のNHKのニュースだったでしょうか、ソフトバンクが勤務時間後を想定し、社員食堂内の娯楽施設の充実により、社員相互間の融和と親睦を図る試みが報道されておりました。 過去に吸収合併/分割統合を繰り返してきた企業ならではの切実さが伺えますし、ユニークな取り組みのようにも映りました。 http://japan.zdnet.com/sp/feature/ziddy/story/0,2000072837,20263308-5,00.htm > 経営者と従業員となるわけで、それは支配者と被支配者と規定することが出来るでしょうか。 ええ、本来であれば労働の諸条件において、経営者と従業員(労働者)が対峙する構図のはずですが、 またさらに従業員間においても、能力主義的な競争を課す労務管理者と被管理者として規定できると思います。 そこでは人事考課の査定の常として、≪人格的な支配≫や≪発言の拘束≫にまで至ることも往々にしてありえるでしょう。 だとすれば、それは大変由々しきことではないでしょうか。 オフ・シーズンのプロ野球選手の年俸契約交渉などとは異なり、サラリーマンを始めとする雇用者は、査定に文句をつける分だけ、更に次回の査定時に響きかねません。 つまりは自らの心象を悪くすることも十分考えられるため、「余計なことは一切口を慎まざるを得ない」ことになりかねません。 特に昨今のような不況時においてはなおのこと懸念されます。 なにぶん一般化して申し上げる事が困難な内容なだけに、他愛も無い雑感ですので、なにとぞ御容赦下さいますよう。
お礼
どうも。
補足
>この点において重要視される一つとして、企業における組織文化が挙げられます。 社員に同一のアイデンティティと社員同士の信頼感を喚起させ、風通しを良くすること。 個人の意識がそれぞれ高ければ、横のつながりを規制しなくても、放縦に流れるということはないかもしれないですね。あともう一歩というところでしょうか。自分の行為振る舞いの責任と、その効果を理解していれば、なにも規制する必要は無いかもしれないですね。
土佐山内家の上士、下士、農民の制度も分割統治ですね。間接統治でもありますが。 江戸幕府の制度で考えれば、土佐山内家24万石の隣に蜂須賀家25万7千石を配置し勢力を均衡させて地域を分断しています。
お礼
江戸時代の親藩、譜代、外様 などの差別化も支配統治の良い例ですよね。 力を用いて制覇すれば、同じように政治力学で統治するしかない。ということでしょうか。 どうも。
- mashumaro2
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No.3です。お礼をありがとうございました。 >いずれにせよ、労働組合は無いほうが良いし、あっても私は加入しないでしょう。 >理由は、なんとなく です。 へ~、ENERGEAR様でも「なんとなく」と仰ることもあるのね。 私が新卒だった当時は、総合職/一般職/男女の別なく、一様に組合に加盟するよう促され、素直に従ったものでした。 護衛船団の先頭に立つ都銀だったからでしょうか、「更なるベア要求のために皆戦え!」という過激な字面のチラシが静かに回覧され、捺印してさっさと隣の席に置くほどの何とも穏やかなものでしたし、サービス残業も当然、分煙化など夢のまた夢の時代でした。 それにしても、日本の労働組合/争議に対し、大まかに、負のイメージばかりがつきまとう気がするのは私だけでしょうか。 労働者間競争を規制するなど、一連の労働組合の思想理念は、ENERGEAR様の仰るそのままに、憲法で保障されているほどに本来なら得難く尊い権利のはず。それなのに…。 新自由主義の名の下に国際的な経済競争に勝つという政財界の思惑、ならびに、高度経済成長がもたらした消費生活の≪豊かさ≫、そしてそれを下支えする「一億総中流化」を目指す国民的な意識などが、労働組合や労働争議の存在意義を希薄なものにしていきました。 欧州の厳格な階級社会とは異なり、能力如何で競争に打ち克ち社会的なステイタスを得られるという日本の流動性は、その反面、下層に位置付く労働者としての確固たる意識や一致団結する力の形成を削ぐ要因として働いたと思われます。 ただし、かつての高度成長期にみられたであろう労働条件の平準化は、現代ではとうに瓦解されてしまっているのは周知の事実。 このような「労働者の選別と排除」の深刻さが増す中で、かつての組合や争議の負のイメージばかりを引き摺ったままなのが現状なのです。 つまり、個人の能力を頼りに競争主義的に働くということは、自ずと経済至上主義の価値観に率先して身を委ねていることに他なりません。 ですからなおのこと、労働者にとっては、自立と保障を求めて組織労働者同士が仲間となって経営者側と対抗する、という論理も成り立つわけですね。 かつて、フランスでド派手なストに辟易させられた経験がある身としましては、日本の風潮が些細な労働騒ぎに過剰反応するようにも映り、多少なりとも世知辛く思うこともあったりなんかして。 ああ、本題からそれてしまいましたね。すみません。 まあ、いろいろな意見があって当然なわけでして…一私見としてご一笑下さいますよう。 そうそう、ご質問の現代の分断統治としては、中国政府によるチベット介入(分割統治とも言える)もあてはまるかもしれません。 日本ではあまり取り沙汰されない問題なのですが、よろしければご参照下さい。 「ダライ・ラマ法王 日本代表部事務所」 http://www.tibethouse.jp/cta/greater_tibet.html#01
補足
労働組合に関する知識がないので、疑問に思ったことだけを挙げていきます。 >ベア要求 とは、物価の上昇に伴っての賃上げ要求ということですね。 しかし、会社の備品や会社で作っている製品の資材を購入するときも、物価の上昇に伴って経費もそのぶんかかると思いますが、それにたいしての会社組織のベア要求は、誰かにしているのでしょうか。あるいは国が補助しているのでしょうか。 やはり、会社の製品やサービス料金が上がっていれば、それで補えている と言えますでしょうか。 >日本の労働組合/争議に対し、大まかに、負のイメージばかりがつきまとう気がするのは私だけでしょうか。 確かに私も、テレビで流される映像などの「戦い」という構図に、負のイメージを今現在なんとなく持っています。 >労働者間競争を規制するなど、一連の労働組合の思想理念は 「労働者間競争」というのは、例えばどのような行為振る舞いのことを言うのでしょうか。あるいは、その結果としての立場や賃金の格差の発生というのは過去のことに過ぎないのでしょうか。
- mashumaro2
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ENERGEAR様、こんばんは。 >労働組合 は、日本国憲法で認められている組織だから、「分割して統治」する必要性がそもそもないでしょう。 >これを現代の日本で実践していては、企業の競争力を落としてしまうでしょう。 この好例を見つけました。 よろしければ、ご覧下さいますよう。 「複雑な労務問題を抱えたJAL、経営側の「労組分断策」が再建の足かせに」(東洋経済オンライン) http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/2f417c8f606bd57dc2f62d16b4a762d8/page/1/ 歴史的に見られる「分断統治」というものは、No.1様が仰る通りの「分割して支配に対する抵抗を削ぐ」ためのものですが、 その意味において、奪い合い型の交渉である労使間の賃金交渉のアプローチとしては、ゼロサム状況下でいかに相手を打ち負かすかが鍵なだけに、かつては経営側にとって有効だったのでしょうね。 ともあれ、規模やシステム、或いは個人のパーソナリティや交渉スタイルとの間には、 「国民文化的な背景」が多少なりとも絡んでいるようにも思います。
お礼
労働組合については色々な知識が必要のようで良く解らないのですが、リンク先のケースは、「個別に出来た労組の結束、統合を阻止する」といった感じでしょうか。これも「分断して統治」と言えなくもないですね。 いずれにせよ、労働組合は無いほうが良いし、あっても私は加入しないでしょう。 理由は、なんとなく です。 また何か 考え・思いついたら 補足にて感想を述べます。
補足
m:これを現代の日本で実践していては、企業の競争力を落としてしまうでしょう。 外部からの強力な支配者として搾り取るなら、他企業との競争力などは関係なく、やはり分割して統治 が、有効でしょうか。 しかし、自分が所属する組織である、あるいは発展させる方向を目指すのであれば、分割して統治することで、長期的に観れば活性化せず、従って競争力や繁栄力が落ちる。という事になりそうですね。 分断と分割、 植民地と組織 などの言葉を使い、質問の趣旨がはっきりとしないことで、思考範囲が広範なものにならざるを得ず、いまいち考えがまとまってませんが、様々な視点からの回答を得ることも出来ました。 一企業における社員同士の横のつながり、所属する者同士のコミュニケーションという意味においては、経営者と従業員となるわけで、それは支配者と被支配者と規定することが出来るでしょうか。 どうも。
. 会社でも、分割し、発展している結構ありますよ。 有名な例は、時計で有名なセイコーですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E5%B7%A5%E8%88%8E 分割した理由は、一つの会社で大きくすると、意志決定が遅れるとか、既成概念にとらわれた思考・判断をする、いわゆる「大企業病」を避けるためだったと記憶している。 その方針は、成功したのか、後に出来た会社ほど発展している。諏訪精工舎・・これがエプソンですね。 #1の人が、歴史の例で説明しているけど、現在では別の意味で分割・統治している例もあると思う。 例えば、アメリカ。アメリカって正式には、アメリカ合衆国って言うでしょう。 州が合わさって一つの国を構成している。 これは、大きい国を統治するのは大変なので、州単位に分割して、その州に大きい権利を委譲しているんじゃないかな? 日本だって、都・動・府・県・単位で構成されているし。 地方分権の裁量は小さいので、現在問題になっているけど・・・ .
お礼
どうも。 アメリカは最初から州を分けていたのでしょうか。それとも途中で「維持できない」などの理由により分けたのでしょうか。 それから、セイコーの例は、一つのものを分割して並列に存在させると言うよりも、「分離独立」した ということですね。 新たに創った という感じでしょうか. それから、小さい企業でも意思の疎通が上手く出来なければまとまらず、大企業でもスムースにできれば 規模はあまり関係ないかもしれません。情報ネットワークの構築の仕方と、それを使う人間の問題とも言えるでしょうか。 規模よりもシステムの質が問題となってくるのではないかというのが今のところの観想です。
- jun_azumi
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一応世界史受験だったので、その頃の知識で答えさせていただきます。 分割統治の歴史をさかのぼると、古代ローマにまでさかのぼります。 前272年にイタリア半島を制圧した後、ローマは、征服した都市を自治市、同盟市などにわけて、権利、義務に差を設けました。都市によって差ができることで、有利な条件をもつ都市はローマに逆らおうと思わなくなりますよね?不利なところは逆に反感をもつ、とも言えるわけですが、支配されてるので文句は言えません。こうして、これらの都市が相互に協力しないようにしたのです。 あるいはイギリスのヴィクトリア女王が行った分割統治もあります。人種やカースト、地域ごとに違いをつけて、またおんなじようにする、と。そうすると、集団間で連帯を組みにくくなり、統治しやすくした。 分割統治は、反乱を防いだりするのに、非常に有効な統治方法だったのですね。本能的にというよりは、誰かが考え出したのでしょう。 集団を分割して、団結力を殺ぐことが分割統治のポイントだと考えると、これを現代の日本で実践していては、企業の競争力を落としてしまうでしょう。労働組合が分割統治されて力を殺がれている、というのも聞いたことがありません。 よって、分割統治は「組織や企業の維持発展、安泰につなが」らないでしょう。
お礼
どうも。考えがまとまったら補足にて感想を述べさせてもらいます。
補足
労働組合 は、日本国憲法で認められている組織だから、「分割して統治」する必要性がそもそもないでしょう。 j:これを現代の日本で実践していては、企業の競争力を落としてしまうでしょう。 自分の組織を「分割して統治」すれば、活性化せずに競争力は落ちるかもしれませんが、維持、管理が目的であれば分割して支配するほうが都合が良いと言えますか。それ以上は発展、成長しないかもしれませんが。 諸刃の剣とも言えますね。維持管理して吸い上げるか、それとも利益を考えずに発展させるか。 といったところでしょうか。
お礼
優位な立場にあるものは、ほうっておけば好き勝手に権力を行使しやすいという点で、横暴をそのまま許すわけにもいかないですね。 参考になりました。 どうも。