• ベストアンサー

侮蔑している相手の思想や言動の影響

以前から目の当たりにしていたことですが、最近また疑問に思っていることをお尋ねします。 口を極めて、その言動を侮蔑、中傷しないではいられないほどの相手の、直接関係しない別の場面で述べていた思想的な発言について、そのように侮蔑すべき相手であれば、とりあう必要もないはずなのに自発的に真剣に取り上げ、考え込まずにいられないというのは、どういう心理からですか? また、尊敬心を持つ対象は勿論のこと、上述のような相手が発言した単語などをも、自分自身の発言時に、まるで移ってしまったかのように、まじめに真似をするという、ちょっと滑稽感ただよう言動は、どうも人格障害の傾向が強い人に見受けられるように以前から思っているのですが(そういう面もあるとすれば、多少は納得できるように思います)、本人としては自覚もなくやっていることなのでしょうか? 私には些かフシギに思えます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

 結論から申しますと、その行為は、自己が承認されることの欲望が強まった結果のものだと考えることで、理解できると思います。  自己たる存在は、自己が自己たることを保つために、自己が何らかの形で承認されることを欲望しています。特に、他者たる存在による承認を強く欲望しています。というのも、自己は自己承認の不完全さを知っているので、それより上位の承認であるように思われる他者承認を熱烈に欲するのです。あるいは、自己承認に信を置いていたとしても、他者がそれとは異なる評価を自己に与えるかもしれないので、やはり他者承認も貪欲に求めるのです。  その他者承認の欲望が、強い形で表出しているように思われるのが、VenusAureaさんの取りあげられた行為です。 「口を極めて、その言動を侮蔑、中傷しないではいられない」というのは、その相手がなかなか思うどおりの承認を与えてくれないので、相手を故意に貶めることによって、自己が相手より相対的に上位であろうと試みる行為です。つまり、間接的ではあるが、明示的な他者承認を自己が得ようとしているのです。  そうしてみると、「直接関係しない別の場面で述べていた思想的な発言について、そのように侮蔑すべき相手であれば、とりあう必要もないはずなのに自発的に真剣に取り上げ、考え込まずにいられない」というのは、相対的に自己が上位にあるとした相手の発言をもとにして、その相手の地位を自己の地位と再比較し、どちらが上位にあるのかを再検討する行為であると考えられましょう。さらに言えば、自己が相対的に相手より上位であることを再確認しようと尽力しているのです。  また、「尊敬心を持つ対象は勿論のこと、上述のような相手が発言した単語などをも、自分自身の発言時に、まるで移ってしまったかのように、まじめに真似をするという、ちょっと滑稽感ただよう言動」については、少し推測の範疇になりますが、自己が相対的に相手より上位であるとした相手の地位が、容易に否定できるようなものではなかったがゆえに、それを自己のうちに取り込んでしまうことによって、相手が自己より相対的に上であるという評価を打ち消そうとする行為だと思われます。仕方が無いので、一度、相手と自己をイーブンに据え置こうというわけです。    最後に、こうした行為が、自覚的になされているか、無自覚的になされているか、ということですが、恐らく両方だと思います。欲望というのは、深層心理にまで根を張っているものであるため、その全体像を表層心理が自覚することはできませんが、欲望の飛沫を自覚することならばできます。したがって、「相手を超えたい」「相手に負けたくない」という程度の欲望ならば自覚していると思いますが、先に記述したような程度の欲望までは自覚していないでしょう。  さて、これらの行為は、一見すると不思議な行為に思えるかもしれませんが、僕にはいたって普通の行いに見えます。というのも、誰しも、自己が何らかの形で承認されることを欲しているのであり、これは、単にその欲求がより強い形で表出しただけの行為であるからです。さらに言えば、誰しも、こうした形の欲求の噴出を経験する可能性があり、実際に経験しているかもしれないからです。少なくとも、これらの行為が、特異な人格によるものである、という説明は妥当ではないと考えます。

VenusAurea
質問者

お礼

‥‥‥ 御回答、ありがとうございます。全体に、妥当かと思われるところを理解しやすく述べていただきました。 >誰しも、自己が何らかの形で承認されることを欲しているのであり、これは、単にその欲求がより強い形で表出しただけの行為である >さらに言えば、誰しも、こうした形の欲求の噴出を経験する可能性があり、実際に経験しているかもしれないからです。少なくとも、これらの行為が、特異な人格によるものである、という説明は妥当ではない なるほどと思いました。 たしかに、「承認欲求」自体は自然な欲求でしょうし、実際、承認も欲求も、ないとなると困ることもあるでしょうね。 私自身、思わぬかたちで「承認」拒否されたとき、非常に心外で納得いかず、「噴出」したことがありましたかも^^いまは、あえて承認してもらわなくともスッカリ困らなくなりましたが(笑) 要は、他人事じゃなく、自分自身だって、やりかねないのだぞ、ということですね。 ただ、結局は程度の問題で、度を超すと、「人格障害」的になるんでしょうか、でも、これって「病気」には入らないとされているそうですが、それも一理あるように思いました。 急ぎの事情のため、一両日以内に閉めきる予定です。 皆さま、ありがとうございました。

VenusAurea
質問者

補足

>その行為は、自己が承認されることの欲望が強まった結果のもの >他者承認の欲望が、強い形で表出しているように思われるのが、VenusAureaさんの取りあげられた行為 >それより上位の承認であるように思われる他者承認を熱烈に欲するのです。あるいは、自己承認に信を置いていたとしても、他者がそれとは異なる評価を自己に与えるかもしれないので、やはり他者承認も貪欲に求める ああ、「承認欲求」ですね!それが「貪欲」レベルであると。 やはり、自己に安心感が不足しているのでしょうか。 >その相手がなかなか思うどおりの承認を与えてくれないので、相手を故意に貶めることによって、自己が相手より相対的に上位であろうと試みる行為です。つまり、間接的ではあるが、明示的な他者承認を自己が得ようとしている >自己が相対的に相手より上位であるとした相手の地位が、容易に否定できるようなものではなかったがゆえに 要するに、くやしいと。(笑)あっちを押し下げてやれば、そのぶん、自分側が上がると。 >相対的に自己が上位にあるとした相手の発言をもとにして、その相手の地位を自己の地位と再比較し、どちらが上位にあるのかを再検討する行為であると考えられましょう。さらに言えば、自己が相対的に相手より上位であることを再確認しようと尽力しているのです。 やはり「比較好き」、比較に拘るんですね。 >「相手を超えたい」「相手に負けたくない」という程度の欲望ならば自覚していると思いますが、先に記述したような程度の欲望までは自覚していないでしょう。 「貪欲」レベルにまで達しているという自覚を、ですか。。。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

noname#163132
noname#163132
回答No.2

>口を極めて、その言動を侮蔑、中傷しないではいられないほどの相手の、直接関係しない別の場面で述べていた思想的な発言について、そのように侮蔑すべき相手であれば、とりあう必要もないはずなのに自発的に真剣に取り上げ、考え込まずにいられないというのは、どういう心理からですか? 元々粘着質なところがあるからだと思います。 良く言えば生真面目で、研究熱心なタイプ(内部思考型)の人がその様になりがちだと思います。 物事の道理や辻褄合わせに拘るタイプだから、相手がとことん嫌いなタイプだと感じ取ってしまうと、反発心からムキになってしまうのでしょう。 また、反論しても相手が理解を示さない「水と油の関係」だと確信を持っている場合なら尚更、気が晴れずに頭から離れ難くなるのでしょう。 嫌いな人のことで頭が一杯になることほど馬鹿らしいことはないのだけれど、それを理性では分かっていたとしても認めるのが嫌なので、ことさら相手の欠点に注目し、その嫌いな人物よりも自分が上であることの証拠集めをしてプライドを保ちたくなるのだと思います。 結果としては中傷することが正義であり、自分の誇りを保つことなってしまうのだと思います。 実際に、相手にそこまで注目して労力を払い、躍起になっている自分を無様だと思えるのなら良いのだけれど、相手に対して多大な怒りを持っているので冷静にはなれないのだと思います。 無様だと感じたとしても、それはそれで、その様な感情を抱かせた相手にまたもや怒りを募らせてしまうのだと思います。 中傷してしまうのは、実際に相手とやり合って不当な扱いを受けたと怒りを感じての場合もあることでしょうし、その人物を自分の身近にいた人と重ね合わせて見ている場合もあるでしょう。 「やはり、こういうタイプのやつは嫌いだ。日和見主義だ。利己的だ」 というように、昔年の思い(恨み)が蓄積されてしまった結果だと、尚更、気になってしまうものなのでしょう。 また、元々が失敗を恐れたり恥だと感じる神経質な性格だと、益々、嫌いな人のことが気になるのだと思います。 実際にやり合ってしまった場合なら尚のこと、注意深く失敗を遠ざけてきた(または自分から相手に折れて見せた)のにと思い、自分にネガティブな感情を抱かせる対象が許せなくなってしまうのだと思います。 相手が嫌いな人であればあるほど、自分に非があるとは思いたくないのだと思います。 また、嫌いな人にそっくりになりたくないので、その人の一挙手一投足に注目しすぎてしまうことはあると思います。 結局、いろんなことを気にし過ぎることがネガティブな感情を生み出してしまうのだと思います。 内部思考型であろうと、粘着質であろうと、自分が心から取り組みたい課題(ライフワークのようなもの)があって、気力も充実していると、人の些細な欠点には目がいかなくなるものだと思うのです。 自分自身が空虚さを感じていると、嫌いな人のあら探しをして、余計に自分を見失ってしまうのでしょう。 >尊敬心を持つ対象は勿論のこと、上述のような相手が発言した単語などをも、自分自身の発言時に、まるで移ってしまったかのように、まじめに真似をするという、ちょっと滑稽感ただよう言動は、どうも人格障害の傾向が強い人に見受けられるように以前から思っているのですが(そういう面もあるとすれば、多少は納得できるように思います)、本人としては自覚もなくやっていることなのでしょうか? 自尊心は、精神のみならず肉体も病んでいるときには損ないやすいものですが、元々が優しい思いやりがある人であれば、病んでいるときであっても安易に人の言動は真似ないと思います。 その言葉に感動したり共感してでのことであれば、真似ることはあると思いますが、侮辱目的で使うことは滅多にないと思います。 私は、人格障害の傾向がある人も自尊心が損なわれている人が多いと思うのですが、質問者さんが例えているのは、その上で「プライドで埋め合わせ」をしている様な人のケースだと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B0%8A%E5%BF%83 自尊心とは“ありのままの自分を尊重し受け入れる”ということであり、それは他者との関係においても変わりのないものだと私は思います。 つまり、言い換えれば自尊心がある人は“ありのままの他者を尊重し受け入れる”ことも出来るのだと思います。 人は、他者や自分の感情や結果を思い通りにすることに対しての願望が強過ぎると、人格障害のようになってしまうのだと思います。 自尊心には執着はないけれど、プライドには、他者への勝利とか見栄とか、手段を選ばないような狡猾さも時に見え隠れするものだと思います。 質問者さんが仰るケースは、自尊心が損なわれプライドが肥大した人物の場合だと思います。 自尊心があると、お互いの立場を思いやることができるけれど、自尊心とプライドを履き違えているような場合は、ときに見苦しく滑稽な行動に人を走らせてしまうのだと思います。 ですから、ご質問にあるような例は、自分では自分のことを滑稽とは思っていないと思います。 侮辱目的で皮肉って貶める目的で相手の言葉を使っていたり、そうではなくて正論として使っているのであれば、人の言動を道具のように(例えば良く切れるナイフのように)思っているのでしょう。 何れにしろ、自尊心が大きく欠如していると、自分が尊敬する相手であろうと嫌っている相手であろうと、見境無く人の言葉を道具として使うのだと思います。 また、自分自身の人生の目的がはっきりしていない人が、変に人に感心を持ちすぎてしまうと、人格障害のようになってしまうのだと思います。 その様な心理状態にあるときは、自尊心が損なわれているので、人と他者の距離感が良く分からなくなるのだと思います。 そして、良く分からないから殊更人を遠ざけたり、境界を越えて乗り込むようなことをしてしまうのだと思います。 それが、言動(この場合は後者)にも表れてしまうのだと思います。

VenusAurea
質問者

お礼

>“ありのままの自分を尊重し受け入れる”ということであり、それは他者との関係においても変わりのないもの >自尊心がある人は“ありのままの他者を尊重し受け入れる”ことも出来る ここは、私には少し難しかった。。 「ありのまま」、「ありのままの自分を尊重し受け入れる」、「それは他者との関係においても変わりない」。。。 たとえば、ありのままの自分を、他者との関係のなかで、徹底的に否定されたとき。ごまかしてる、邪悪だとか言って、どーしても認めてくれない。どーいうこと?と、唖然としました。 「ありのままの他者を尊重し受け入れる」ことが出来ない疑り深い人は、つまり自尊心がないってことですね。そういう人は、さばけてるようでいて実は見栄っ張り、必要ないのに勝ち負けに拘る、汚い手を使って平気な狡猾さと閉鎖性が見え見えでした。 >自分自身の人生の目的がはっきりしていない人が、変に人に感心を持ちすぎてしまうと 一番の原因は暇だからなんでしょうか?暇でもないけど、他人に関心持ち過ぎるとしたら、強い好意ゆえか、強い嫌悪ゆえか、あと、何なんでしょう?何かの代償を求めて? そのうえ、自分の中心がアヤフヤだから、目についた他人に関心持った端から、ふらふら寄りついていってしまうんでしょうか。 どのみち支配できるチャンスをジッと窺ってただけなのか、と思わされます。 >良く分からないから殊更人を遠ざけたり、境界を越えて乗り込むようなことをしてしまう 距離感も掴めないくらい、よく分からないうちは、まだ遠ざけるほうがマシじゃないですか。 境界越えてドカドカ乗り込むようなことをするのは、精神的暴力そのものだと思いますので。まして、やめてほしいと言う声を無視するとは。 >自分が心から取り組みたい課題(ライフワークのようなもの)があって、気力も充実していると、人の些細な欠点には目がいかなくなる それと、なんだかんだ言って幸せであれば。 人のことを勝手に羨んで、ねたむ人は、人の本心とかに関しても、しつこく疑り深いです。 個人的なことですが、私は、せっかく「心から取り組みたい課題」を見つけた!と思ったとたん、勘違いオジサンらに寄ってたかって邪魔され台無しにされたうえ侮辱されたときに、生まれて初めてかというくらいブチ切れたことがあるんです^^オジサンたち、今後は、さすがに同じようなことを繰り返さないでと思います。

VenusAurea
質問者

補足

>結果としては中傷することが正義であり、自分の誇りを保つこと >自分では自分のことを滑稽とは思っていない ええ、そんな感じです。だけど、その侮蔑的に中傷しないではいられない相手の、自分と全く無接触の場での言動なんかを、妙に真剣に取り上げて考え込むみたいなのが、私には不思議で理解しにくいんです。だって、侮蔑対象でしかないのなら、とりあう価値も感じないはずなので。 私なら、こんなふうにはなりたくない!と思ってしまうような信用が置けない人の言動を、マジな対象として取り上げて考えたり真似るなんて、やっぱり抵抗感が湧いて、できない、したくないなと思うからです。 >相手にそこまで注目して労力を払い、躍起になっている >嫌いな人にそっくりになりたくないので、その人の一挙手一投足に注目しすぎてしまう はい、要するに、どっち転んでも関心大ありあり、なんですね。好意を持っている相手なら、ごく自然なことですけど、大が付くほど嫌いな相手というのも、ある意味、関心の対象になるのは理解できますよ。私も経験ありますから^^でも、しょせん、もともと嫌いな人には、じきに関心が続かなくなりますね、私の場合は。いっとき、カッとなることがあっても、しばらくのあいだ徹底的に怒ったら、あとは、スカッと本当にどうでもよくなるので。 >正論として使っているのであれば、人の言動を道具のように(例えば良く切れるナイフのように)思っているのでしょう。 ということは、相手の言動は、正論として、ずば抜けていると思ってる証拠になりますよね(笑) >安易に人の言動は真似ないと思います。 その言葉に感動したり共感してでのことであれば、真似ることはあると思いますが、侮辱目的で使うことは滅多にない 共感ゆえであるなら、これも、ごく自然なことですよね。 私自身は、言動だけでなく、身につけるものなども、基本的に人真似はしたくないほうです、尊敬してるとか好きな人ならちょっと別ですが。 ただしですけど、自分が巻き込まれて厭なとき、先方がやってることをやめてもらいたいのにやめてくれないときに、もしかして、本人らは、わからないでいるのかと思った場合、先方に、自分が何をやってるのか、鏡に映して見せるみたいに、わざとパターンを徹底的に真似て突きつけたことはあります^^でも、骨の髄までウヌボレ屋は、自分のやったことは棚に上げたままで被害意識を募らせるだけなんですね。自分自身を真似されたとも気づかずに怒ります。 >相手に対して多大な怒りを持っているので冷静にはなれない >無様だと感じたとしても、それはそれで、その様な感情を抱かせた相手にまたもや怒りを募らせてしまう 怒りの理由というのが、正当ではあり得ないことなのかどうか、勝手な、単なる被害妄想からの怒りでしかないか。 なんか、頼まれもしない相手に、自分から「救ってやる!」と親切の押し売りみたいなことをやったため、相手がハッキリ迷惑だという姿勢を示したことから怒りまくってる人もいるようなんですね。これは、間違いなく逆恨みですよ。自分は親切のつもりが、かえって、そのために相手は大迷惑したんですから。要するに、「救う力」なんか持ってやしないのに、うぬぼれてるナルシストですね。 >実際に相手とやり合って不当な扱いを受けたと怒りを感じての場合もあることでしょうし、その人物を自分の身近にいた人と重ね合わせて見ている場合もあるでしょう はい、「救い」どころか勘違いなので、ますます迷惑にしかならないからやめて、と意思表示したことが、何にも根拠になることを持ち合わせていないにもかかわらず「自分の考えや行為は正しいのに、不当に扱った相手が精神病だ!!」と怒っている人もいます。全く独りよがりの典型だと思います。 それが高じて、その人に似たような意見など言ってる人を見つけると、ささーっと近寄って行って、ストーカーみたいなことをやるんですよ。 相手の人に、なんで、こんなワケが分からないことを言ってくるんだ、と、ひどく迷惑がられてました。おっしゃるように、重ね合わせて見てたんでしょうね。 しかも、自分がやってることは、しゃあしゃあと棚に上げて、他人を感情だけで責めるのが激し過ぎるので、思わず、わが目を疑います。そんなだから、勝手に自分を重ね合わせて立腹してることも多いみたいで。まるで、鏡に映った自分を見て怒ってるみたいですよ。どこまでナルシストなのかと思っちゃいます。 とても丁寧な御回答、ありがとうございます。 &お礼の欄へ続けてください。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

ただ単純に 「自己の不在」です。自分の思想を自分で責任とらないという実にいい加減きわまりない姿勢です。

VenusAurea
質問者

お礼

早速のアドバイス、ありがとうございます。 お礼を述べるのが遅れまして、失礼しました。 「自己の不在」、ああ、そうかもしれません。 その傾向性が、他者のモノサシを気にしたり、他者との比較に汲々とさせるんでしょうか。 でも、そういう本人は、責任とらない、いい加減きわまりない姿勢とは、ちっとも思ってないかもですね。 だって、おのれを空しゅうしてまで他者の価値観に取り込まれてやってるじゃないか、だから、自分には責任とる筋合いなんかない!と、むしろ被害意識持ってるくらいなんじゃないでしょうか。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A