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京から江戸まで三日間?!

いつもお世話になっています。 「徳川実紀」を読んでいたら、寛永11年の徳川家光の上洛中、 7月23日に江戸城西の丸で火事が発生。 7月27日に大坂にいた家光の耳に一報が入り、淀城主永井尚政を大阪城に呼び、江戸に火事の状況調査に向かうよう指示。 7月28日尚政、淀で将軍を饗応し、江戸に向かう。 そして三日あまりで江戸に到着。 8月3日尚政江戸を発する。 8月6日尚政、江戸に戻る途中の家光と水口で対面。 とあります。 京都から江戸の距離を当時どうやったら三日で移動できるのか非常に不思議でなりません。実際三日と言っても24時間移動できるわけでもありませんし、復路の江戸~水口の三日というのもよく考えれば凄まじいものがあります。どのように移動した可能性があるのか御存じの方、教えて頂けると幸いです。

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  • ultraCS
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回答No.1

明るい時間(夏なので13-14時間あります)を馬で移動すれば可能です。 早馬であれば正味で平均15Km/h(日本在来馬は瞬間最高で40Km/h)くらいは出ますから、それを4里ごとに乗り換えて日中走り通せばなんとか可能でしょう。公儀御用ですから、馬も優秀な馬が最優先で提供されたはずです(それでもすさまじいですが)。 というか、伝書鳩もない時代ですが、江戸~上方は継飛脚(公儀御用の飛脚)で丸三日程度ですから、7月27に第一報が入ったのです。

guwappa
質問者

補足

早速の回答ありがとうございます。 確かに火事の情報が継飛脚で4日で伝えられたこと自体当時からすれば非常に速かったでしょうから、いくら御用とは言え、一人の人間があの距離を移動して3日間って本当衝撃的です。 ところでこの7月末って旧暦の時代ですから、現在だと9月に差し掛かりますよね。と、なると昼間の時間帯はもっと短くなってしまいます。まだ朝明けきらない頃やら、日没後など暗くなっての時間帯の移動は考えにくいですよね?

その他の回答 (1)

  • hukuponlog
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回答No.2

>三日と言っても24時間移動できるわけでもありませ いや、24時間移動します。どうするかというと、駕籠に乗るのです。早駕籠と言って、4人で担ぎ、交代要員が4人付き添います。これが交替で走り、宿場で別の8人と交替します。江戸-京都間はおよそ500km。一日あたり、170kmですから、170km÷24h=7km/h つまり、駕籠の担ぎ手は平均でいうと、早足程度の速度です。 実際、元禄の赤穂事件の時も江戸-赤穂間が4日半で到着しているようです。もちろん乗り手は、駕籠に揺られながら食事・睡眠を取るわけですからほとんど半死半生で到着するらしいです。

guwappa
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 駕籠の可能性ということを全く考えていませんでした。 しかし、担ぎ手も大変でしょうが、乗っている方は24時間で数日間乗りっぱなしですとある意味それ以上過酷ですね。 永井尚政の場合、江戸に到着したら肝心の御用が待っており、そして水口まで折り返していますから往復駕籠に揺られていたらと思うと最早生きているのが不思議とすら思えます。 早駕籠の実際の速さなど初耳で参考になりました。

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