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欧米って自己主張しまくりなんですか?

 日本人の気質として和を重んじ、謙虚であることが美とされる傾向がありますが、知り合いが学生時代に留学から帰ってきたクラスメイトの変貌ぶりにびっくりした経験があるらしいです。  海外ってそれほど感覚が違うもんなんでしょうか?  友達でもけんかが日常茶飯事だったりするんでしょうか?    その知り合いはその留学した友達を見て感じたことは「北京五輪の星野監督ばりに、はったりを言わないと海外では損だなぁ」と思ったそうです  

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  • michael-m
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回答No.4

私は昔、彼女がアメリカ留学をして「毎日電話しないなんて愛してしない証拠」だと吹き込まれてきた経験があります。今とは違い、交換手を通して英語で繋げて貰う時代の話です。 帰ってきた彼女の思考の変貌ぶりに私は戸惑い、嫌悪した経験があります。 日本人が和を重んじる? そんなウソをドコで習ったんですか? 裏を返せば、村社会、島国根性ということです。 自分の意見があっても述べない。坂を転がると判っていても多数が否と言えば従って坂を落ちる。またそれを潔しとする。 それが現代日本流の「和」です。そんなものがいい物だと思いますか? イギリスの国会では発言者が責任を持ち、徹底的に意見をぶつけ合う。日本の国会のように私的なゴシップでガタガタ言ってる閑などありません。 米国では主義や宗教の違う人たちが住む地域に他の人が住む事は許されません。自由だなんて幻想を抱いているのは日本人くらいだし、そんな地域は大都会の一部だけ。 大都会でも殆ど地域ごとに、同じ地位レベル、同じ宗教、同じ出身国の人しか住めません。 私はハッタリでも、自分の力を誇大に言うのは許しますが、相手を罵倒するのは大っ嫌いです。だからプロレスもボクシングも見ません。(本来ボクシングは英国の紳士的スポーツだったのに) 貴方が言う所の「友達の喧嘩」は論争ではないでしょうか? 坂の上の雲でどこまで表現するかは判りませんが、明治~昭和初期の日本人も普通に議論を戦わし、行動を起こしていました。時に文豪などの論争はそのイキサツさえも楽しい物語です。坂本竜馬なども自己主張や論議を盛んに行い、結果的に身をもって証明しようとした人たちです。 それによって名作が出来たり、新たな潮流が生まれたりしています。 ただ、それが単なる喧嘩になるのなら、つまり腕力勝負になるのなら、それは外国人気質でもなんでもないでしょう。せいぜいアメリカと、アメリカを手本として、発展しようとしている国だけでしょうね。 また、論争も表面だけを見れば、自己主張を押し付けているだけに見えます。ディベーティングの習慣のない現代日本人が表面だけ影響されれば、自己主張の押し付けから全体主義になってしまいます。 この良い例が学生運動から赤軍派への変貌です。論議が行動を伴う場合、日本の村社会では統一意見にならなければなりません。反対派が多くても結局迎合してしまう自民党政治と同じです。 しかしコレが過ぎれば全体主義となります。小泉政権の反対は追い出しはまさにコレです。党を排除されるだけならいいですが、結局刺客を送り、実績より人気で相手の生命を奪う。アメリカのイスラム敵対視の世界戦略と同じ。 現代のマナーだとか常識の多くは根拠のないジコチュウの主張。似非マナー講師の捏造です。また、マナーは「してはならない事」とはイコールではないのですが、関係ない人間まで攻撃に参加する風潮はもはや「日本の和の精神」ではなく「全体主義」でしかありません。 つまり、自己主張や論争は日本でも行なわれていたが、明治から昭和にいたる軍国主義で失われて来ただけ。和から全体へ挿げ替えられてしまっただけです。現代社会はその成れの果てです。 相手の罵倒や暴力など、米国的自己の押し付けも結局は独善的、全体主義であって、本来の自己主張とは違います。 この辺のコントロールが出来れば、私はもっと自己主張することは善い事だと思います。 江戸末期から明治大正の人たちの自己主張の方法を、もう一度見直してみたら如何でしょう。 長文になってしまいました、すいません

その他の回答 (4)

  • toka
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回答No.5

 どこかのメルマガからの受け売りですが、  アメリカは褒めて育てるので、「○○をやってみろ方式」個性は育つがわがままになる。  日本は叱って育てるので、「○○してはいけない方式」協調性はあるが自発性がない。  なるほど、と思いました。

  • 2009ken
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回答No.3

たとえば、アメリカで裁判って、些細なことでもすぐ起こしますよね。でも、それって、自分の主張を世に問うと言う側面があって、日本のように、判決出てもお互い恨みあって・・・というものではない。むしろ、決まったらノーサイド、でも決まるまでは徹底的に話し合うのが民主主義だ・・・という感覚です。 日本は、恨み骨髄になり、代々まで縁切るから、そもそも争わないように八方美人で・・・という文化。だから、ちがうっちゃ、違うですね。 また、自己主張というと、日本では「わがまま、協調性ない」と思われがちですが、あちらでは「自分の意見を言わない(持たない)人間は信用できない」と思われます。まあ、テクニックとしてハッタリまかすと言うのであれば、まだ向うの文化の表面しか見てないのかな・・・って感じですね。

  • qualheart
  • ベストアンサー率41% (1451/3486)
回答No.2

アメリカで数年間暮らしてましたが、感覚はかなり違うと思いますよ。 ただ、友達でもけんかが日常茶飯事ってことはないですね。 確かに自己主張は強いですが、お互いの自己主張を認め合う心のゆとりも持っています。 自己主張しされたところで、それが普通なのですから腹を立てたりはしないって事です。 自己主張も強いのがありきではなく、むしろお互いに認めあえているからこそ、お互いに自己主張しあえる関係が築けていると思った方が良いと思います。

  • myakey
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回答No.1

海外旅行すればよくわかりますが、そのへんの人が普通に話しかけてきます。他人同士が飛行機でたまたま隣に座り、道中普通に会話します。そしてメールアドレスまで教えたりします(笑)発音が悪くて通じないときに、コーヒーショップのオバハンが舌打ちしましたよ。 気安いんでしょうね。自分をアピールしないと存在すら気づいてもらえない国なんでしょう。