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女性の哲学者が少ないのはなぜ?
女性の哲学者は居るのでしょうけれども、有名な人を知りません。 女性の哲学者は男性にくらべ少ないように思います。 なぜですか。
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- arayata333
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私は男性ですが《女性の脳自体はまったく男性に劣ってなどいない》という考えを持っています。 仕事の面でキャリアにおいてその能力が劣ってきた歴史については、役割意識自体の問題と、そこからの、また男性のプライド(エゴ面があるのはいなめないはず)が悪く作用したところが大きいと思う。 体力的には 相対的に劣るわけですので、 それも微妙にそのへんに絡んでいたりもするでしょう。 ですが、本来は、哲学する脳に関しては 何一つ劣ってはいないとうのが私の感想です。 詳しくはやがて脳科学が明らかにしてゆくところかと思うのですが、 こうした差別の歴史からは 大きなこのことを謎を解く鍵となるような推理が可能かと思うのです。 ラットの実験として知られている“ねずみ(ラット)さへ、まわりの人が思いこんでいたら催眠にはかかってしまうという生物心理?”の確かさについては、 私自身はそれが実際の実験結果であるにもかかわらず、疑問も持っているのですが、 人間の場合は、たしかに、思い込みの影響というのは大きいことを 私自身が何度もさまざまな角度から体験させられています。 例えば、私はある暴力居酒屋の3年勤めたことがありますが、 「お前は馬鹿だ どうしようもない人間だ。人間の屑だ。店にくる精心薄弱者の子の方がまだましだ。 獣だ、いや獣以下だ。」と言葉でも言われ続けていました。 私は 頭からそんなの気にしなければいいだけだと思いこんでいたのですけど、 3年後、ほんとうに身の危険を感じてそこを逃げ出してみると、なんと次の職場(蕎麦屋)で、 得意だった包丁がしろうとのようになっていました。 歌舞伎町の珈琲館で、超忙しいピーク時間を、たった一人で、フライパンから食材の仕込みから、盛り付けから サイフォンからドリップから 珈琲ゼリーから、もちろん洗い場も含めカウンター内のすべてをこなしながら、 ホールやレジまで きちっとゆとりを持ってこなしてしまうまでになったことのある私が なんと、 ホールに出るのが怖くなっていました。 まったくお客さんとも対応できなくなってもいたのです。 それに、こんなこともありました。 それはほんとうは その人こそ文を書く力がまったくなかったから起こってしまったことなのですが、 私の文を見てめちゃくちゃ批判をしてきたのですが、それはなんとも自信にみちていました。 知らないからこそ、本気だったようなのです。 で、それまでに私はじつは20年ぐらいも 文章の追求をしてきた人間でもあったのですが、 すっかりそれからの3年間というものまったく文を書けなくなってしまったのです。 しかも、 それまでの自分が書いた文や追求してきたことを まったく忘れてしまったのです。 それでも 好きだったのでしょう。 3年たったらまた書き始めていましたが、 すべて最初からのスタートとなってました^^。(笑い事じゃないですけど^^) これが極端な例であったとしても、 こういうことが実際にあるのなら(他の人のことでも いろいろ知ってます) そういう社会的な心理が 女性との間に生まれてきてしまった歴史をここに想像してもおかしくありません。 でも、 この問題(事実)の裏には、もう1つの問題もあるかと思います。また、これこそ重要なところかと思います。 NO:12とNO:14に、女性の方から回答を寄せられている回答者の方(かた)の示唆されていることと重なるかと思うのですが、 また 重ねて考えることがより有効だと思うのですが、 女性の右脳(直感的言語力)の世界の《大きさ》が、逆作用してきた歴史もあるということです。 女性の左脳(論理脳)自体は男性に(本来)劣っていなくても、 例えば言葉は 映像を中心にすべての五感がなんらか比較的に捕らえられる《みつめる》という人間特有の脳によって生まれてきたとも言えると思うのですが、 近代言語学の祖とも言われるソシュールも この言語では捕らえられない直接の感性の深さは、それを言語で表そうとすれば むしろ稚拙な文のほうが時にはその深さのなにがしかを物語っていたりして、 最後はその問題に行き詰って晩年はその明晰性や論理性に関して失速していると聞きます。 ここに、ある女性の最後の時間を写した写真群があります。 桜里さんという方(かた)が 死を宣告されてたお母様の写真をとり続けた写真の中から選ばれた写真が見れます。 URL: http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/lachrimae-7864.html 表 http://www.freeml.com/swansong/file/79020 また、そのその方は写真展を開かれたのですが その様子とともに写っている写真が、こちらで見ることができます。 URL:http://www.freeml.com/swansong/3855 その写真自体は こちらです。 http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/122735 この写真展の様子は 最後の方に やはりお母様とご家族の衝撃的とも言える美しくもある写真が出ています。 この中で「表」となっている ダウンロードできる写真は、特に最晩年のおそらく意識も薄れてゆく孤独の中に まさに女性の眼差しとも言いえる眼差しが無言に語るものがあります。 言葉で言えば それは あらゆる人格の人をわけへだてなく見つめる母性のようなもの、としかいいようのない《平凡な中のおおきさ》です。 私は こう思います。 もし女性が この力にもっと目覚め、そして、その愛情によって人の苦悩や絶望や 生物的な苦しみにも一点に集中するように思考しだしたら、 おそらく男性と女性の哲学者の割合は やがて逆転してしまうだろうというふうにです。 キャリアがある程度さへあれば、 資本主義を変えるのも女性達かもしれません。 自信さへ取り戻せばです。 私は そう「思いこんでいます」 OkWabejoomさんが、女性の方なら朗報かもしれません。 そう思いこんでいる男性が一人すでにここにいますから^^。 いえ、これこそ笑い事じゃないですよね。 でも、わたしが文章の道を諦めなかったように、 戦い続けること、山や坂をそれでの登り続けること、 これからの女性はその使命を持っていると思ってもいいのではないでしょうか。
- hon235
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自分が目、耳等によって得た具体的な諸情報からある概念を導き出すような思考があります。例えば、ある人の言動を見て、「狡猾」とか「嘘つき」とか「かわいい」と評する場合です。そこには勘の働きによるものも含まれます。これに対し、具体的な諸情報から切り離されて、概念が勝手に展開していく思考があります。「カモノハシは哺乳類である。哺乳類は子供を産む。ゆえにカモノハシは子供を産む。」のようにです。こういう思考は感覚データなしでできます。前者の思考は具体的、後者は抽象的です。前者は得意だが後者が得意でない人は、哲学にあまり向きません。 このことは日本に割と当てはまります。実際、「謙虚とは……」のように抽象名詞が主語になる思考はあまりなされません。その点では女性も似ていると思います。経験から切り離されて論理が展開していくことがあまりないのです。ただ、西洋の女性には(特に本人の職業的思考に関しては)知的にかなり男性化されている人がよくいますが、努力によってかなり変わるのだと思います。
- mrmiki
- ベストアンサー率16% (27/164)
>なぜ女性学者が少ないのでしょうか。 @ 女性の研究職に対する評価が、あまり高くないためではないでしょうか
#12です。 とてもとても乱暴で乱雑な回答をお詫び致します。 もう少し考えてから書けば良かったです。。。反省。 哲学、と言う物の定義等、思考の土台があやふやで。。。 これだから女性に哲学者は居ないんだ、って証明になりかねないかなあ。。。 でも、妊娠出産育児の体験の有無や強弱って、一つの要素になると思うのです。 勿論、それによってキャリアが断絶される、と言う社会的な面も含めて。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
インド哲学ではやはり目立たないけど、えらいスワミや聖女さまはおられますね。 中国やその他のアジア諸国では、言葉化したり、外的活動されたという事で伝えられてきている女性の方は存じ上げません。 でも宗教者ではやはりおられるのではないですか? いわゆる婆子焼庵の公案と故事に伝えられる、極く普通の女性はやはり哲人だと存じますが。 ご質問者は言語化したり何か伝えられる活動をしないと哲学者ではないのですか? 日本でもあの枕の清少納言って、皮肉やですが哲学者でしょうね。 紫式部は違いますか。 良寛さんのガールフレンドの貞心尼はどうですか? 師の良寛さんが、二人揃って出歩くのは控えたいみたいな事をいったら、墨染めの鴉が二羽、どこにどういこうとかまわないではないか。 というようなことを喝破してますね。 男の理屈っぽい哲学者より哲学者ですね。 僧侶では結構、すごい思想の方いますね。 西洋哲学って、概念の遊び、遊戯が目立ちますね。 言葉の作業ですね。言語知での作業。 東洋のことにちょいと入ると、空しいものですよ。 まぁ私はカントとラートブルッフをやったくらいですが。 この二人は言語あそびではないですがね。 言語で弄繰り回すだけのことは男性も女性も空しくないですか? どうも西洋の方式の哲学にごちゃごちゃやっているのは男性でも、そんなに本来の人とは思えませんが。 そうでない哲学なら、名前が哲学でなくても、そして個人名が有名にならなくても、女性って、女性の哲学者は多いですよ。 身の回りに。言語での思考なんて人間や宇宙の機能の瑣末ですからね。 言語そのものは素晴らしいけど、遊んじゃいけませんね。
お邪魔します、女性です。 哲学って「何故自分は生きているんだ?」「何の為に生きているんだ?」 と言う疑問を突き詰める事から始まりますよね。 そう思いながらも生き続けて、悩みながら自分なりの論理を構築して行く。 「解決」は、、、無い。 只、、、何て言うか、、、 男性は、強烈に「自分の存在意義」を言うものを、実感して実感して実感しまくるって体験が人生の中で得難い。 おそらく必死に生きて、求めて、人生の終盤で「自分が築き上げたもの」を眺めた時に得られるのかも。 で、女性は妊娠、出産、育児の過程でそれを強烈に実感しまくります。 妊娠は「絶対的に自分の領域」の筈の自分の身体への他者の侵略でもあり、 出産は、ふつーーーーに「死にかける」事であり、 育児は、「自分が居なければこの子は死ぬ=自分の存在理由の確認」です。 更に、子どもはこれ迄に自分(親)が築き上げてきた常識や規定概念をぶち壊し、親に「己の体力/気力/思考力の限界」を遥かに越える事を要求し続けます。 自分の思考を論理立てて言語化し、文章化し、発表して(他者の評価を得)、其処に「哲学者」は誕生する訳ですが、 逆言えば、言語化/文章化/発表と言う行為をしなければ、それを「実感出来ない」って事でもあるかと。 女性は「体感」しちゃうし、実際に妊娠出産育児は、人生の天地がひっくり返る事でもあるので、言語化や文章化、発表と言う行為の必要性が無くなっちゃう。 歴史学は男性の為の学問だ、と大学で受けた史学の教授がポソッと話しておりました。 男は自分の命の繋がる様子を、実感として得る事が出来ない。 歴史と言う大きな時間の流れを追い掛ける事でやっとその「足場の無い不安感」を和らげて来た。。。と。 ボーヴォワール、なんて言う方は哲学者には入らないのかしら。 フランスの方でしたっけ。。いらっしゃいましたよね。
- 18barbican
- ベストアンサー率48% (302/625)
なるほど・・・確かに女性の哲学者って聞きませんね。 なぜか?・・・少し、考えてみました。 日本の女性で「哲学者」に近い、イメージを持つ方を探してみると・・・有吉 佐和子、瀬戸内 寂聴などの作家が思い浮かびました。 まず社会的な立場の問題が思いつきます。日本でも女性の社会進出は、まだまだ近年の出来事です。「男女雇用均等法」の名称は出来たものの果たして内容が、どれ程ともなっているか・・・まだまだ疑問視される声も根強く残っているのが現状かと思うのですが。 さらに世界には女性がひどく「蔑視」されて、人権もろくにみとめられない国があると聞きます。もしかしたらば、とても「優れた思考能力」を持つ女性がいたとしても「読み書き」を学ぶことも許されず、人に話して発表したりする「表現者」としての「権利」を持たされぬまま、人生を終えてしまうのでは、世に知られるチャンスも無く、埋もれてしまうのではないでしょうか。 また女性の脳のしくみから生じる生理的な問題も、哲学者を生み出しにくい原因となる可能性がありそうです。女性は右脳と左脳をつなぐラインが男性に比べて太いので、右脳と左脳の情報のゆききが頻度多くおこるのだそうです。2つの脳を同時進行させる能力が、ひとつの「理」をつきつめて撤する思考につながりにくいのかもしれません。女性に「方向音痴」が多いのは、この2つの脳を往ったり来たりするうちに、歩いている環境の認識がひとつのラインに整列した思考にならなくなってしまうからだとか・・・しかしながら、交通事故などで脳を損傷して「失語症」を起こした場合に、リハビリで回復率が高いのは女性だと聞いたことがあります。男性にくらべて言語を産み出すときに使う脳の範囲が広いからだそうです。 やはり、日本の女性の優れた能力を持つ方は「劇作家」「歌人」「小説家」などになって、多くが花開くようですね。 女性は現実的だから・・・とは、よく言われるコトです。似た理由で「女に廃れる者ナシ」などと言われ、女性の浮浪者少なかったのですが。最近は、そうでも無くなってきました。先日も東京の新宿のゴミ捨て場で、女性がゴミを漁って食べているのを見かけてショックでした。なぜか・・「マイ箸」を使って、ゴミバケツの中の残飯を食べていました。世界では豊かなほうの国の日本で、時代が女性の社会進出を許すと同時に女性の浮浪者が見られるようになったのは、偶然でしょうか? これからは、浮浪者のなかから女性の哲学者が出てくるかも・・・ナンテネ。
そんな無茶な。。。 `
女の哲学者が少ないのは、女の「ロマンティシズム」が邪魔する故に。 されど、「ロマン主義」だけなら、可能性は有りにも思う。 論理的に考えると、「恋する乙女」に、哲学が通じるか、どうかのことなり。 「恋は、盲目になる」の言葉が表すように、周りが見えなくなることなり。(自己中心) 男は、仕事・友人という社会に重点を置くから、現実思考の生き者なり。 だから、男は、哲学者に向いていると思う。 己自身を通して、周りを見ているし、見られているを意識することなり。 性別による脳の違いだと思うべし。
ありゃりゃ そそそ 観音するときには 言葉による思考は何の足しにもならない というか 邪魔になる `