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小柴先生のコメントについて
ノーベル賞の小柴先生が科学と芸術を比較されて、 「アインシュタインの理論は他の人も作り得たが モーツァルトの音楽は他の人には作り得なかった」 という主旨のコメントをされております。 では、技術は科学、芸術のどちらに近いでしょうか? つまり、 ワットの蒸気機関は他の人も作り得たか? ライト兄弟の飛行機は他の人にも作り得たか? エジソンの電球は他の人も作り得たか? ショックレーのトランジスタは他の人も作り得たか? などなどとなります。 どなかか、お相手をお願いします。
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>つまり、 ワットの蒸気機関は他の人も作り得たか? ライト兄弟の飛行機は他の人にも作り得たか? エジソンの電球は他の人も作り得たか? ショックレーのトランジスタは他の人も作り得たか? などなどとなります。 その人たちがいなければ、その発明は無かったと 思います。 例えば100年、200年前に比べて 科学技術に関する研究をしている人の数は、 今増大しています。論文の数も山のようです。 しかし、数ある論文の大本の考え、理論を 確立した人を追っていくと、非常に限られた 少数の人たちに限定されていることが分かるのです。 今はかつて特別な人、知識階級の人たちしか 知りえなかったことを世間一般の多くの人が 知ることができます。しかし、偉業を成し遂げる 人が増大しているわけではない。 人類を飛躍的に進歩させるような発明、発見は 知識の積み重ねを超えたところにあります。 近いことをやっていたというのと、成功した ということの間には、雲泥の差があります。 宝くじと同じです。 数字が1つ違えば、ハズレなんです。 小柴さんら東大の人たちは、知識の積み重ね のうまさにおいては日本一、いや世界一かも しれない。しかし、最終的な研究の成果だけ見ていると ほんの少しのところで、外国の研究者に 先を越され、悔しい思いをしています。 そのほんのちょっとの差の意味を理解できない ところが、東大生の弱点なんです。 だから、アインシュタインがいなくても・・・ などという考えが浮かんでしまう。 小柴さんの本音が見えた瞬間だと思いますよ。 京大の人たちは皆1個人でノーベル物理学賞受賞 してるじゃないですか。江崎玲於奈博士 は東大生の例外のように見えますが、博士 自身は研究の最後の段階でつまずき、投げて しまった。実験は、ある女性研究員の独創的 アイディアだったことがいろいろ言われましたよね。 最後のほんの小さな垣根を超えるには、超人的 能力が必要で、それは誰でも持っているものでは ない。 さらにその超人的な力を持った人が、 特定の科学技術の大問題解決にうまく ぶつかる可能性は非常に低いのです。
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私は次のように考えます。 アインシュタインの相対性理論は他の人でも作れる というか他の人が作っても同じ物になる、寸分の狂いも無く。なぜなら真理だからです。○○の法則などはこの宇宙の根本原理ですから誰が発見しても中身は同じになるとおもいます。 対比してご質問のワット~ショックレーの件ですがこれは相対性理論よりも種類が多いですね、現に蒸気機関だって様々な種類がありますし。ショックレーのトランジスターにしても、トランジスターその物が様々な種類が存在します。将来も発展型が開発されるかも知れません。根本原理は神が創ったのかも知れませんが応用は人間の英知です。その人間は65億人も居ます。 ライト兄弟の飛行機に関しては12年も前に二宮忠八は模型ではあるが世界初の飛行機を完成させています。初めは多少形が違ったものかも知れませんが発展するに従って現在のものと同じになるでしょう。 ではモーツァルトはどうでしょう? 彼が存在しなくても同じような作品は出来たでしょうね。 まとめると 相対性理論などの法則は誰が作っても同じ物になる。神が用意した事実を人間が発見し、数式で表現しただけだからです。違えようがありません。 法則の応用である工学、その成果は、原理、目的は同じだが形、規模などでその種類は様々。模型飛行機のエンジンから巨大船舶のエンジンまで、その根本の原理は同じですが種類も見た目も非常に沢山の種類がありますね。 芸術は殆んど工学と同じだと思います。モーツァルトが居なくても数百年以内に同様な作品群は出来ると思います。
- tosi0000
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科学技術の中にコンピュータもある位置をしていると思います。(私もプログラマ!) コンピュータはプログラムを書くことによって動作します。 プログラムはある目的を持って個々人がコーディングを行っています。 コーディングの内容は違っても結果は同じです。 しかし、コーディングの内容には、その人その人の個性が必ず現れます。 プログラムを見ると、あの人が作ったんだと分かるんですよね~。 あ!この人は経験が浅いなとか分かるんです。 プログラム(システム)と言うのは美しくないと、良いシステムとはいえない部分があります。 プログラムと言う一見では科学的な世界は、芸術的センスがないと一流とは言えないと思っています。
- mmky
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参考程度の追伸まで やはり科学部門の物理や工学系を志すものやそれを糧にしているものであれば、ニュートン先生やアインシュタイン先生は尊敬すべきなんですね。代わりなんかいないんです。アメリカのコンピュータ分野ではショクレー先生は神様になっていますね。数学であればガウス先生やリーマン先生もそのように扱うべきなんですね。それが礼儀なんですね。これは科学分野ですが、例えば宗教の分野で、イエスでなくとも数十年後には別のイエスが現れたでしょうというのと同じことではないでしょうか。これは自らの品位を下げる以外のなにおもでもないですね。だからライト兄弟は飛行機の神様ですし、ワットは蒸気機関の生みの親なんですね。エジソンは比類なき技術者ですね。湯川先生は中間子の理論の親、小柴先生はニュートリノをカミオカンデで検証した方として語り継がないといけませんね。ということですね。つまり、其の方ではなくだれそれがやったでしょうという謙遜的表現はよろしくないということですね。振り返って、もっと日本の科学者や技術者の宣伝をしないといけないんです。田中さんだってアメリカの宣伝でノーベル賞でしょう。これは恥ずかしいことですね。そのような風潮が言動にかいま見えることはもっと好ましくないですね。直しましょうね。立派な仕事は立派なんです。代わりはいないんですね。ということでしょうか。
- tocoche
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テレビでのコメントでしたか。(見逃してしまいました) 小柴先生のお話の出所(いつ,講演/インタビュー)をしめされたほうが、みんなに見てもらって明確な意見をもらえると思います。 ワットの蒸気機関(高圧複動)が発明されるまえに、ニューコメンの蒸気機関(大気圧)というのがありました。 まえに発明されたのだから簡単なものかと思いきや、ニューコメンの機関はワットの機関より動作原理が複雑で制御が難しく、高い加工精度が必要でした。(ワットの機関は隙間から空気が入っても蒸気圧で追い出せるが、ニューコメンの機関は負圧が作れなくなって止まってしまう) それではワットの機関のほうが先に発明されるはずと思いきや、高圧蒸気を使う機関はボイラ爆発の危険があり実用化されませんでした。 そこでワットは鉄の質の改良から加工法の開発までおこない、高圧機関を実用化させました。 ひらめきというより執念というものでしょう。(私は爆発の恐怖に耐えて、開発を成し遂げるところが一番偉いと思います) ひらめきといえばエジソンの言葉「1%のひらめきと99%の努力」が思い出されますが、その話を聞くと「そんなの100%ひらめきだろう」という人がいます。 しかしエジソンの発明の経緯をみると、映画を発明したのに映写機を発明していない、蓄音機を発明したのにレコード盤を発明していない、熱電子(エジソン効果)を発見したのにそれを使った真空管,蛍光灯,ブラウン管を発明していないなど、その業績に比べ「本当に1%しかひらめいていなかったのではないか」とみるむきもあります。(エジソンの言葉は、対比と語路合せを使ったラップのようなものでもあります) 電球1つだけなら、他の人でもなんとかなると思います。 しかしここで大切なのは、技術は基礎となる知識と積み重ねがなければ発揮されないということです。(人間の脳は江戸時代の人から全く進化していないでしょうが、いかなる天才であっても江戸時代にパソコンを作ることはできませんから) 「自分がやらなくても誰かがやるだろう」というのは未来から振り返ったとき、歴史的には正しいことでしょうが、それは結果論であって科学や技術の世界では結果論だけを語るのは許されない。 だから「自分が研究する」ことになります。 インタビューで「すばらしい研究をされましたね」と聞かれてのご謙遜なら納得できます。 その後ろには「自分が研究する」ということの意義があると思います。
- ranx
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参考程度に 小柴さんのTVでのコメント、私も聞きましたが、もう少し元の表現に近づけると、 「アインシュタインは確かに天才だけど、仮に彼が一般相対性理論を作らなくても、 何十年かすれば誰かが似たような理論を作ったと思います。だけど、もしモーツァルトが この曲(ピアノ協奏曲を聞いた後でのコメントだった)を作ってくれなかったら、 誰も作ってはくれなかったでしょう?」 質問文のような表現であれば少々問題ですが、これならば、納得できると思うのですが。
- mmky
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参考程度に 科学(サイエンス)と芸術(アート)は互いに並ぶものです。その意味ではapple-manさんの多少厳しいご指摘のとおりです。サイエンス(理論物理部門)のアインシュタイン先生と芸術(音楽部門)のモーツアルト先生は同格であって比較するものではありませんね。では技術はとの質問ですが技術はこのあい並ぶ科学と芸術の下に位置づけられるものでしょう。その意味で双方に属します。例えば音楽でも技術は必要です。ピアノやバイオリンを引く技術や調音、製作は技術ですね。飛行製作、蒸気機関も技術ですね。科学部門の技術は、特別に工学(エンジニアリング)と呼びますね。工学分野の仕事はわかりやすいのでノーベル賞が取りやすいというのも事実ですね。アインシュタイン先生ももらってはいますが「光電効果」ででしたね。この皮肉はノーベル賞の価値を大いに下げていますね。ワット、ライト兄弟、エジソンやショクレー先生はこの工学分野の方々ですね。建築分野の方々は芸術系統と重なっていますね。日本の匠の技は、技術と芸術が混ざっているでしょうか。 と、話がそれましたが、工学系の発明や発見は、誰が栄誉を受けるにせよ、同時期に同じことをしている方が何人かいるのも確かですね。その意味で努力と幸運の賜物ですね。小柴先生のノーベル賞も工学系の努力と幸運に近いものだったのでしょうか?でも科学の巨頭を同輩にしてはだめだめですね。文学部門でいうと松尾芭蕉と小林一茶を同じ扱いにしてはいけないことですね。ということでしょうかね。
- apple-man
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>ノーベル賞の小柴先生が科学と芸術を比較されて、 「アインシュタインの理論は他の人も作り得たが モーツァルトの音楽は他の人には作り得なかった」 小柴さんそんなこと言ってたんですか? それが本当なら、金をくれれば私にも ノーベル賞取れるんですがね・・・ 浜松フォトニクスとかの外注に、 国家予算丸投げして、優秀な研究員に これやっとけ!って言ってればいいんですもんね どんな研究、思想、学問にも元ネタがあります よね。 アインシュタインの場合、あまりにも有名なんで、 相対性理論の元ネタがばればれなんです。 重力を空間のゆがみで表現するというのは、 19世紀に数学者リーマンが理論体系を 完成させており、4次元で考えるというのは スイス連邦工科大学のミンコフスキー教授のもの。 光の運動に関する電磁気学は1867年に マックスウェルが完成させていて、 アイザック・ニュートンの力学は何か可笑しい ということはニュートンが生きているときから 言われ続けていて、絶対空間という考え方が 可笑しいと言ったのはエルンスト・マッハ。 天体の運動というのはそれぞれの相対的位置 関係が大きな要因という相対論を19世紀に持ち出 したのは、フランスの物理数学者ジュール・アンリ・ ポンカレ。 確かにお膳立ては全て揃っていた。 でも最後にとどめをさしたのはアインシュタイン。 これ後から考えれば、確かにコロンブスの卵的 考えかもしれない。 ただお膳立てがそろっていれば誰にでもできるという 考えは、紙と鉛筆と絵を書く技能があれば、 だれでも後世に残るような名画が書けると 言っているのと同じ。可笑しいですよ そんな考え方。
- kuronuma
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ライト兄弟より先に飛行機を作ることができたかもしれない日本人がいるそうですよ。
- ikkyu3
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科学および技術は、その内容を正確に定義できるし、再現が可能と思います。 正確に同じかどうかが、吟味可能と思います。 芸術に関しても、評論家などにとっては、それらしく定義可能かもしれませんが、モーツアルトの音楽を「正確に」定義できるとは思えず、「似たようなもの」はできるかもしれませんが、コピーでない限り偶然にも同じ音楽といえる音楽ができる確率は、限りなくゼロに近いと思われます。 モーツアルトの音楽を作りうるチャンスは、モーツアルトにしかなかったものと思われます。 それが芸術であると思います。 >では、技術は科学、芸術のどちらに近いでしょうか? 技術は、科学であるか少なくとも科学的で科学に近いということになると思います。
おっしゃる「技術」をどうとらえるかですが、科学技術を用いた製品の「動作原理」については、誰が発明しても本質的には同じといえるでしょう。 ただ、製品というものは単純な方程式ではありませんから、動作原理は同じでも設計者が違えば違ったものになります。製品が洗練されるにつれ、「モーツァルトの音楽」に似た芸術的な要素が増えてくると思います。 お挙げになっている例は「動作原理の発明」という点で重要なのであって、芸術的な洗練はその後の発展を待つ類のものですから、他の誰かでも作りえた、といえると思います。
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お礼
ありがとうございます。 逆に 技術を洗練すればするほど、技術者の個性が薄まる ような場合も多い気がしますが、 いかがでしょうか?