• ベストアンサー

小柴先生のコメントについて

ノーベル賞の小柴先生が科学と芸術を比較されて、 「アインシュタインの理論は他の人も作り得たが モーツァルトの音楽は他の人には作り得なかった」 という主旨のコメントをされております。 では、技術は科学、芸術のどちらに近いでしょうか? つまり、 ワットの蒸気機関は他の人も作り得たか? ライト兄弟の飛行機は他の人にも作り得たか? エジソンの電球は他の人も作り得たか? ショックレーのトランジスタは他の人も作り得たか? などなどとなります。 どなかか、お相手をお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.10

>つまり、 ワットの蒸気機関は他の人も作り得たか? ライト兄弟の飛行機は他の人にも作り得たか? エジソンの電球は他の人も作り得たか? ショックレーのトランジスタは他の人も作り得たか? などなどとなります。 その人たちがいなければ、その発明は無かったと 思います。  例えば100年、200年前に比べて 科学技術に関する研究をしている人の数は、 今増大しています。論文の数も山のようです。 しかし、数ある論文の大本の考え、理論を 確立した人を追っていくと、非常に限られた 少数の人たちに限定されていることが分かるのです。  今はかつて特別な人、知識階級の人たちしか 知りえなかったことを世間一般の多くの人が 知ることができます。しかし、偉業を成し遂げる 人が増大しているわけではない。  人類を飛躍的に進歩させるような発明、発見は 知識の積み重ねを超えたところにあります。  近いことをやっていたというのと、成功した ということの間には、雲泥の差があります。  宝くじと同じです。 数字が1つ違えば、ハズレなんです。  小柴さんら東大の人たちは、知識の積み重ね のうまさにおいては日本一、いや世界一かも しれない。しかし、最終的な研究の成果だけ見ていると ほんの少しのところで、外国の研究者に 先を越され、悔しい思いをしています。  そのほんのちょっとの差の意味を理解できない ところが、東大生の弱点なんです。 だから、アインシュタインがいなくても・・・ などという考えが浮かんでしまう。 小柴さんの本音が見えた瞬間だと思いますよ。  京大の人たちは皆1個人でノーベル物理学賞受賞 してるじゃないですか。江崎玲於奈博士 は東大生の例外のように見えますが、博士 自身は研究の最後の段階でつまずき、投げて しまった。実験は、ある女性研究員の独創的 アイディアだったことがいろいろ言われましたよね。  最後のほんの小さな垣根を超えるには、超人的 能力が必要で、それは誰でも持っているものでは ない。  さらにその超人的な力を持った人が、 特定の科学技術の大問題解決にうまく ぶつかる可能性は非常に低いのです。

その他の回答 (12)

  • mrumesuke
  • ベストアンサー率45% (254/557)
回答No.2

ずぶの素人の私見です。 モーツァルトに代わる作曲家はいずれ生まれたでしょうが、モーツァルトの音楽に関しては他の人が作り得たとは思えません。(私見ですよ) これは、アインシュタインの理論はいずれだれかが作り得るが、アインシュタインの科学論文は他の人に作りえなかった、と言ってるのと同等なのではないでしょうか。 この伝で行くと、技術は科学、芸術どちらの側面を持ち合わせている、ということでうまく締めくくれそうなのですが・・・。(笑) 回答としては面白くないかもしれませんね。

  • nubou
  • ベストアンサー率22% (116/506)
回答No.1

多少遅れてもどの科学や技術も誰かが作り得ます モータルトの曲も同じです 小柴さんの失敗はもう少し考えてものをいわなかったことですね 科学者としてちょっと迂闊でしたね

norioP
質問者

お礼

ありがとうございます。 モーツァルトの曲も同じという根拠や状況証拠を教えていただけると 幸です。

関連するQ&A