仰るととおり玉鬘はちょっとその履歴を思えば異常なぐらい優秀すぎ・・・の感がありますよね。私も真木柱巻の「霜月になりぬ。神事などしげく、内侍所にもこと多かるころにて、女官ども、内侍ども参りつつ、今めかしう人騒がしきに」という件を読んで「え・・・バリバリキャリアウーマンの実務官の内侍や典侍が形だけの奥様尚侍(酷っ)に何か指示を仰ぎに来る事なんてあるのかなあ・・・知識も経験も比較にならないでしょう」と疑問を持ってしまいました。まあ、形だけとはいえ長官(かみ)ですので最終決定の調印をお願いします!というような状況だったのかもしれませんが。
・・・すみません、少し問題が反れてしまいましたね。女官としての優秀さではなく貴族女性として教養を田舎育ちの彼女が身に付けているのは何故か、ということですよね。
もちろん乳母達の教育の賜物だとも言えましょうが、やはり彼女自身の<持って生まれた最高の資質>がまことに上手い具合に開花したのだと言う事ではないか、と私は思います。
この君、ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。
このように作者も語っています。両親から受け継いだDNAが優れた部分だけが偶然にも混ざり合ったがために、九州のような田舎にあっては似つかわしくないほど奇跡のように素晴らしい女性に成長させてしまったのでしょう。
物語の第二部のヒロインとして、源氏や多くの男性たちをを虜にする(!)という宿命を背負った玉鬘ですから、それぐらいでないとキャラが立ちませんよね。細部のリアリティを大事にしていたはずの作者は「ちょっと設定に無理があるかなあ」と思いつつも「ま、いいや。これは架空のモノガタリなんだからね!魅力が有り過ぎるほうが、源氏の愛情を得る女性として説得力が出るでしょう!」と腹をくくって書いたのではないでしょうか?