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あそこまで頑張れば…

私は元来、完璧主義です。 そこで、つい“義務化”して、 本当は自分がやりたくないことも、 つい完璧に、やり終えようとしてしまいます。 その時に、思うのは、「あそこまで頑張れば…」 と、頑張ってしまうんです。 ですが、実際は、 頑張ったところで、 またそこで新たな問題、困難が生じる。 なかには、“自分の責任ではないのに”、 困難を抱える場合もある。 さらに、ひどい時には、 “頑張ったおかげで”新たな問題を抱えてしまう。 「そんなんだったら、頑張らなきゃよかった。」と、 いうやつです。 例えて言うなら、 きつい山道を登っていて、 「あそこまで行けば、良い眺めが見られる…」と 思って頑張って登っていたのに、 いざ山頂についたら、全く眺めがひどかった。 もしくは山頂に落とし穴が作ってあって、奈落の底に落っこちてしまった。 というやつです…。 そこで、もう、完璧主義をやめたくなったのですが、 何も頑張りたくなくなったのですが、 みなさんに質問です。 私は、頑張らなくてもいいのでしょうか。 これから、怠惰、ぐ~たらな人生に転落していってもいいんでしょうか。構わないでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20256/40157)
回答No.3

完璧に近いベストを望む姿勢は別にあっても良いんじゃない? ただ極端に自分を追い込む完璧さは貴方に何ももたらしてくれないんだよ。現実に貴方はそれだけ追い込んで安らげるどころか、また新たな課題の中で自分をさらに追い込んでる。 その極端さが逆に頑張らないとかね、ぐーたらとかね、一気に逆方向になってしまう。 そのバランスなんだよ、大事なのは。 時には自分に厳しく追い込む時もあって良い。 でも頑張ったら頑張った自分をしっかり労わってあげないと。 そして結果だけに捉われない。 頑張る気持ちで進んだプロセスをキチンと自分で受け止めてあげる事。 そうしないと結果が出ない限りいつまでも息苦しいんだよ。 これをやったら終わりという人生の課題なんて無いんだから。 その時その時自分にとって必要な事に対して自分なりにベストを尽くす。頑張る過程の中にしっかりやりがいを感じて、結果はどうあれ悔いを残さないように日々を丁寧に積み上げていく。 その自分の進み方、頑張り方の中には追い込む形もあれば、無理なく楽しく進んでいく形もある。自分自身と常に向き合って、対話していく中で一歩一歩を確認していく事も大切だからね。 自分に厳しいだけじゃない、そうやって今まで厳しくしてきて、それなりに磨耗して疲弊してしまった自分に対して労わってあげる部分もこれからは両立させていく。貴方なりに笑顔で頑張れる事。 それが大切なんだよ。貴方なりの新しい頑張り方を見つけてください☆

iyaa
質問者

お礼

ありがとうございます。 私は、極端なんですかね…。 問題は、 >その時その時自分にとって必要な事に対して なんだと思います。 たぶん、本当に自分がやりたい事、本当に自分に必要なことだったら、 こんなに疲れたりしないと思います。 “やりがいを感じて”も、できると思います。 ですが、世の中、 “自分がやりたいこと”だけを、 やってるわけにもいかない…。 自分自身が“ええかっこしい”なところも、ありますし、 あと、なるべく周りを円滑に保つために、 ある程度自分がやりたくないことも、やらなきゃいけないことがある。 そんな時、もちろん自分はやりたくないんだけど、 周りの人はそれはわからないから、 やはりこちらが“できる限り”やってあげると、喜ぶし、 そうすると、つい自分も頑張ってしまう…。 周りの人が悪いわけではないんですけど。 >貴方なりの新しい頑張り方を見つけてください☆ これを、模索してみたいです。

その他の回答 (4)

回答No.5

「完璧主義」と、「自分の想像通りの結末を見るために頑張る」こととは似て非なるものなんですよ。 ほんとうの意味で完璧主義の人は、その場その場の状況を客観的に判断して次の一手を考えて進むので、「頑張った結果思うようじゃなかった!」ということでスネたりはしないものです。「あれれ?失敗?」と思いながらも(そして若干凹みながらも)頭は既に次の手を考え始めているものです。 質問者さまは、文面を見る限り、努力家でいらっしゃることと推測します。努力家というのは才能のひとつです。その才を持ちながらひとつだけもったいないと思うのは、「あそこまで頑張れば」という「あそこ」に自分なりの完成イメージを強く持ちすぎることです。 努力は大事。目標や青写真を具体的に定めることも大事。 しかし、目標や青写真は「推測」の域を出ません。そのことを気持ちのどこかに加味しておくと、推測が外れたときのダメージが少なくて済みます。 これも想像にすぎませんが、質問者さまは多分、ぐ~たらになったらなったで、そんな自分にイラっとするような気もします。 そんな人は、いっそのこと頑張るほうがラクだと思います。 頑張りの義務化はゲームのように軽い気持ちでいけばいいのです。ラスボス倒したとおもってぬか喜びしてたら、続いて大ボスがでてきたなんてこと、ザラじゃないですか(笑)

iyaa
質問者

お礼

ありがとうございます。 私は努力家でもないですが、 >「あれれ?失敗?」と思いながらも(そして若干凹みながらも)頭は既に次の手を考え始めているものです。 これは、でも、疲れる人生ではないですか…。 私の問題は、 「好きなこと」をしてないからだ、ということが 皆様のご回答でわかりました。 こんなに早く、適切な回答が見つかるなんて…。 でも、まぁそんなにすぐ「好きなこと」だけをやる 人生にもなれませんが、 「適当に」「ぼちぼち」やっていきたいと思います。みなさま、 ありがとうございました。

  • tacm
  • ベストアンサー率6% (14/217)
回答No.4

「完璧主義をやめたくなった」ことに気付いたことが重要です。もう一歩で、人生を楽しむことができるようになります。試しに、「自分の好きなことを自分の為に」してあげてみてください。あなたは、何もしなくても、あなたご自身から愛されてよいのです。

iyaa
質問者

お礼

ありがとうございます。 >試しに、「自分の好きなことを自分の為に」してあげてみてください。 大変、貴重なご意見です。 >あなたは、何もしなくても、あなたご自身から愛されてよいのです。 しっかりと、 胸に刻ませていただこうと、思います。 ありがとうございました。 <(_ _)>

  • tacm
  • ベストアンサー率6% (14/217)
回答No.2

完璧主義を「完璧に」やめるのでなく、試しに止めてみてはいかがでしょうか。時に怠惰に、時に頑張ってみたりして、人生のバリエーションを多く楽しむという態度です。

iyaa
質問者

お礼

完璧主義を「完璧に」やめる、というのも、 完璧主義の発想でした。^^; >時に怠惰に、時に頑張ってみたりして、人生のバリエーションを多く楽しむという態度です。 とてもいいご意見です。

回答No.1

適当・・・ほどよく過ごしてみたらどうでしょうか。 頑張らない=ぐーたら ではないと思いますよ。

iyaa
質問者

お礼

他の人の意見を聞くのはいいものですね。 私一人だったら、こうした考えを 思いつきませんでした。 私は、極端なんです。

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