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誰かに認められたい

僕は、ナルシストなところがちょくちょくあります。 その上、周りに真面目だとか、勉強できるとか、あるいは逆に不良だと、第一印象でそういわれたりすると、見栄を張ってしまいます。 見栄を張るのは、僕にとっては嘘をつくことにつながっていて、自分を余計に追い詰めてしまうことがとても多くあります。 僕は、自分を大きく見せたいと思っているのかもしれないし、現にそうなのだと思います。 僕はとてもさびしいです。誰かに認められたいです。 その上、皆から頼られたい、慕われたいと思っています。 僕は、どうしたら見栄を張らず、嘘をつかず、誰かに認められるようになりますか?

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noname#163132
noname#163132
回答No.9

作らない自分でいたいということなのでしょうか。 そのままの自分が認められるなら、それが良いと望んでらっしゃるのですよね? でも、実際、そのままの自分って難しいですよね。 こういう人間でありたいとイメージして、近づこうと努力して…。 それだって、自分を作ることには変わらないのではないかと思います。 そのままの自分が認められている、または、そのままで許されているのは乳幼児や幼児など何も責任を追う立場にはなく、保護され守って貰う立場の人ぐらいじゃないでしょうか。 見栄も少しぐらいは必要だと思います。 見栄がからきし無くなると、山奥の仙人?みたいに着の身着のままで世の中に無関心になっていまうだろうし、達成意欲もなくなってしまうと思いますので。 若いうちは、自分にもの凄く関心が行きやすいと思います。 他人が持つ自分へのイメージと自分が持つ自分自身のイメージとのギャップにも悩むところでしょうが、自分で自分のことは全て理解できないし、人から見た自分というものも、必ずしも自分には当てはまらないということはないと思います。 内と外と併せて自分。…それが真実の姿に近いと思います。 人から何か厳しいことを言われて、その言葉が刺さるのであれば何か思い当たることがあるからだろうし、逆に、見当違いの事を並べ立てられて溜息を吐きたくなるようなこともあるだろうし。 人と関わって、自分が分かるような場面は沢山ありますよね。 ご質問を読ませていただきましたが、文面からは見栄っ張りな印象は感じられません。繊細な人のように思えます。 自分も他人も傷つけたくないと思っていらっしゃるから、期待に応えたいとか、内と外にギャップを作りたくないと思い詰めてしまうのではありませんか。 ご本人が思い悩む程、罪深い人には思えません。 >見栄を張るのは、僕にとっては嘘をつくことにつながっていて、自分を余計に追い詰めてしまうことがとても多くあります。 >誰かに認められたいです。 これは、分かる気がします。 普段、自分の居場所がないような疎外感があるのですよね? 自分を良く見せるということは、人を欺いているような気がすると。 でも、人を傷つけているのでなければ、「嘘」という罪悪感に囚われなくても良いと思うのですが。 自分で自分を傷つけているのだから、嘘というよりも「悲しみ」に思えます。 そのままの自分を認めて欲しいのは、実はごく身近な人達、ご家族であったりしませんか。 出発点は、親に認めて欲しかったということではありませんか? 家庭での居心地が良ければ、あまり寂しいと思う人はいないような気がします。 見当違いだったら、申し訳ないです。 短いご質問から感じたことを書いていますから、的外れかもしれませんが「寂しい」というのは、実はコミュニケーション不足なのだと思います。 親に遠慮して、言えないことが沢山あるのではないですか? 本当の気持ちを隠さず、小さな事からでも話してみてはどうですか。 無理して良い人にならなくても、誰かに成長を見守って貰える安心感があると、見栄を張ったり、自分を作って人を欺いているような罪悪感を持つことも無くなると思います。 スクールカウンセラーや保健の先生など、親ではなくても誰か保護者的な信頼感を持てる人がいると、気持ちが楽になりますよ。 なるべく、そういった立場の人に相談して、交流を持つようにすると安心感から自分らしさを出していけるようになると思います。 自分で自分を認めることができると、見栄を張りすぎることも、人を欺いているような罪悪感に囚われることも無くなっていくと思います。 サークル活動など自分で打ち込める、それも人との交流に繋がるような趣味があると、自分はここに所属しているとの意識が持てるので、寂しさに囚われることも無くなっていくと思います。 コミュニケーションが取れていると、自分で自分を認めることが出来、人からも認められているとの意識が持てます。

noname#159448
質問者

お礼

とても参考になります。 親身にご回答いただき非常にうれしく思います。 ありがとうございます。

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noname#163132
noname#163132
回答No.11

No.9です。お礼をありがとうございます。^^ 皆さんの回答を読ませていただいて、自分との付き合い方も大切なことだと思いましたので、直接の回答にはなっていないようにも思えましたが、再度投稿させていただきました。 道に迷ったときは、どなたか関心のある人の伝記や手記を読むのも良いと思います。いきなり答えを出すのは難しいけれど、そうすることによって、一人の人間として進みたい道が見えることがあると思いますから。   *  *  *  *  *  *  *  *  *  * ずっと昔、冒険家の植村直己さんの特集番組で得た知識ですが、植村さん自身は劣等感が強く、シャイで、とても人に気を使う性格だったそうです。そして、人混みや街が苦手でもあったそうです。 街中にいると閉塞感から無性に探検に行きたくなり、エベレストや北極を冒険していると今度は酷く人恋しくなり、家に帰りたくなったそうです。 植村さんの場合は孤独を愛しつつ、完全に人との繋がりを絶つことによって、新たに人との繋がりや暖かさを実感していたのかな、などと私は思っています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9D%91%E7%9B%B4%E5%B7%B1 人に囲まれていると人から逃れたくなり、孤独の中にあっては人を思う。 植村さんは、独りになることで心のバランスを取っていたのでしょうね。 恐らく、植村さんは冒険の中にあるときは劣等感と闘って、それに打ち勝って自分を認めることが出来たのではないかと思うんです。 パーティーを組んでいるときは皆の足手まといにならないよう、裏方としても力を発揮して、単独での冒険であれば自らを鼓舞して自分と闘っていたのでしょう。 写真家の星野道夫さんも遠くアラスカを旅した人ですが、小学生の頃は授業中、地元の千葉から遠く離れた北海道の山奥でヒグマが鮭を取る姿を夢想して、とても不思議に思ったそうです。 自分は現代を生きているのに、遠く離れた地に太古から変わらぬ景色があることに神秘を感じ、強く惹かれていたそうです。 そして、いつしか夢は北海道の原野を飛び越えて、アラスカの雪原に降り立つことに変わっていったのだそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E9%87%8E%E9%81%93%E5%A4%AB 荒涼とした景色の中では、ゆっくりと時間が流れ、真っ直ぐ自分と向き合うことが出来、自分自身も人のことも大きく包み込んで、あるがままに見ることが出来たのでしょうね。 植村さんも星野さんも、そんな独りの時間を大切にしていたのでしょう。 辛いときは意地を張らず人を頼って良いと思います。 でも、独りでいるときの自分も愛せたら、独りは苦しいことではなくなると思います。 独りでいるときに心が澄んでいくような、自分も地球の一部でこの世界の一部だと感じられるような一瞬一瞬を重ねて行けたら、自分もみんなも認めていけると思います。 本当の自分を分かりたかったら、独りの時間も必要なのですね。 本当にしたいことは何なのか。本当の夢は何なのか。 夢を叶えるために、自分に出来ることは何なのか。 頭の中の霧が晴れていくように独りを楽しめるのなら、独りは孤独ではないですよね。 普通に生活していると、本当に独りっていうことはあまり無いと思うんですよね。 期待していたわけではないのに、見知らぬ人が挨拶してくれたり、子供とはぐれて困っていると偶然通りかかった人が見つけてくれたり、落とし物を拾ってくれたり…そんなことがあると思いがけず嬉しくなることがよくあります。 話を戻しますが、植村さんは(番組を見たのが昔なので、記憶が定かではないのですが、北極点単独行のときだったと思います)雪原を探検中に大切な荷物を載せた犬ぞりをクレバスに落としてしまい、死を覚悟したそうです。 ところが命運尽きたと悲嘆にくれる中、再びそりが同じクレバスから浮かび上がって来たので自分の目を疑い、 「奇跡が起きた!!」と思ったのだそうです。 私は、植村さんや星野さんのような波瀾万丈の人生は送っていませんが、小さな奇跡は何回も経験していると思います(親子共々病気がちだったので、余計にそう思えるのかもしれませんが)。 そして、それらはいつも感謝の気持ちと共にあります。 小さな出会いや偶然の中から、目に見えない恩恵を受けているんだと感じ取れると、人生は捨てたものじゃないなと思います。 見えない力で生かされている、そして生きている。 少ない食事でもお腹が一杯になる人がいるように、小さな幸せが大きな幸福に感じられるなら、素晴らしいことだと思います。 真面目にコツコツ、期待し過ぎないで小さなご褒美に大いに感謝する。 そんな心情でいられると、見栄を張ったり嘘をつくことは自分には必要のないものになっていくのではないでしょうか。

noname#159448
質問者

お礼

再度回答ありがとうございます。 孤独と独りが違うものだと感じました。

回答No.10

たぶん一番自分のことを信じていないのかもしれません。 ちょっと頼りなく,一人で何かをすることも苦手なのでしょうか。 それを埋め合わせるために誰かに頼りなくなっても不思議ではないでしょう。 誰かがいてくれれば自分の問題に一時的に向き合わなくても済むでしょうから。 そして,誰かが自分から離れていこうとすれば引き止めなければならなく なるでしょう。 ひとりぼっちにはなりたくないから。 問題は自分が成長できていないことです。 一人でいることを楽しめるということはとても大切なことです。 寂しいからといって誰かに頼っていれば,一人でいることをより恐ろしく 感じるようになってしまうのです。 明日からすぐに楽しめるようになることも無理なことです。 少しずつ自分を育てていく以外には方法はありません。 地道な作業を失敗や間違いをしながら自分でヒントを見つけだして 成長につなげられるようにしていくことです。 そして自分が成長していけばいま問題だと思っていたことは懐かしい 思い出に変わっていると思います。

noname#159448
質問者

お礼

自分は成長できていないです。 成長できるよう努力していきたいです。 ありがとうございます。

回答No.8

こんにちは。 本当にそれが出来るように自分でがんばっているなら、それはナルシストでもなんでもなく、自分自身への鼓舞です。何の問題もないです。 もっともっと自信を付けられるように素直にがんばればよいです。 ダメでも、ダメだったと自分を認められるでしょう。 もしそうでないのなら、ただの嘘吐きです。 見栄は所詮虚ろなものです。あなた自身が虚ろになっていきます。 一度その見栄を張ることをやめたいのなら、本気で戦って本気で負ける何かを経験すると、少し考えが変わるかもしれません。 「自分を認められない」 これが見栄の一番の理由です。 直視出来ないものを認めたくないから見栄を張る。 貴方の目が曇らないうちに一度挫折する事です。

noname#159448
質問者

お礼

確かに自分を認められないことのほうが大きな気がしました。 とても、参考になりました。ありがとうございます。

noname#194289
noname#194289
回答No.7

まず自分が本当にやってみたいことをやってみる。その結果ほかの人がそれをどう評価するかは貴方の支配できることではありません。貴方ができるのは何かをやってみることだけです。

noname#159448
質問者

お礼

まずは、何かを探すことからはじめてみます。 短文でも参考になりました。ありがとうございます。

  • 4371743
  • ベストアンサー率26% (174/663)
回答No.6

本件回答させていただきます。 以下が対応策として考えられます。 嘘から出た真実。 そのときは嘘でも後で形になっているケース。 これは形にする努力が必要です。 あなたはこのタイプなのではないですか? 実際に形にしてしまえば突っ込まれることもなくなります。 でも実行不可能なことは言わない方が良いですね。

noname#159448
質問者

お礼

有言実行ですね。 小さいところからやってみます。

  • tepamin
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回答No.5

こんにちは、私も同様のことで苦労したことがあり共感したので回答させていただきます。 人は、少なからず他人からどう見られているかで自分の価値を計ろうとします。それは外見だったり立派な家だったりテストの点数だったり、いろいろです。自分以外誰もいない世界でおしゃれをがんばる人なんておそらくいないでしょう。 では、(私もそうでしたが)なぜ嘘をついてまで自分を良く見せようとするのでしょうか。おそらくそれは、ありのままの自分を他人に見せて否定されることが怖いからじゃないでしょうか? おそらくあなたは人から見たあなたの第一印象を尊重しすぎていると思います。いちいちその度に自分のキャラを変えていては疲れませんか?他人から突きつけられたキャラなんてぶち壊せばいいのです。人なんて十人十色。あなたにとって重大なことでも他人からすれば「ああ、こんな人もいるんだ」程度です。むしろ見栄のために嘘をつくリスクの方がずっと高いんじゃないでしょうか。 といっても、急に今までのキャラから素直な自分に戻すのは難しいと思います。これは経験談ですが、自分の失敗談から話を始めると相手は壁をなくしてくれやすいので話しやすくなりますよ。 まずはなんでも話せる信頼関係を築いてみてはいかがでしょうか?

noname#159448
質問者

お礼

ありがとうございます。 嘘と見栄のリスク、参考になりました。

noname#209756
noname#209756
回答No.4

自分を守っているのでは。きずづつかないように防衛といって心の機能だとおもいます。しかし、それが悪いとは限らず、たとえば、いいことにそれをついやしてみるというのはけっして悪いことではありません。 他人の目があるというのは、それで自分をよい方向へもっていけていらっしゃるのですから。さみしいのであれば、見えの張り方がすこしおかしいところを発見することかもしれません。他人の評価でなく、本当の友人がほしい、普通だとおもいます。しかし、相手がそう思えばで、そういう機会を検討することではないでしょうか。

noname#159448
質問者

お礼

自分を守っているのだと思います。 人に触れるのが怖いからでしょうか。どちらにしても、守るっているのに、気付かせていただきました。ありがとうございます。

  • 532i235
  • ベストアンサー率7% (8/101)
回答No.3

_こんにちは_わたくしは心理学の素人です。経験的に語りますが、まず質問者ご自身の中にある感性の揺らぎをキチンと落ち着かせることがまず重要かとおもいます。これは自分の場合ですが○○せず、というカタチの努力をなんとかしましょう。○○しない、のではなく○○スル、という形にチカラを入れたほうが無理がないでしょう。さらに付け加えると、努力するという名のリキミのチカラよりも、努力しないという努力が実を結ぶこともあります。この回答は心理学の専門家の方の意見があってはじめて成り立つ回答です。参考情報として応えました。文末。了。

noname#159448
質問者

お礼

感性の揺らぎですか・・・。 僕には幾分難しく聞こえます。それでも、自分なりに見つけてみます。

  • mazukokyu
  • ベストアンサー率15% (56/368)
回答No.2

自己顕示欲というのは誰しも持っているものですが、あなたから見て、極端なそういう人は好きですか? 自己中心的で、近寄りがたいし、まずおもしろくない。 人との関係は、ユーモア抜きでは築けないと思います。見栄を張って嘘をつかざるを得ない精神状態では、ユーモアを言える余裕はないでしょう。 認めてもらう事を考えるより、逆に人を認めてあげたり、人を笑わせたいと思えれば、楽しい友人関係が築けることでしょう。

noname#159448
質問者

お礼

人を認めたら、自分も認められるように・・・、ということですね。 身近な人を認めることからはじめます。

  • jelly-g
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回答No.1

見栄を張らず、そのままの自分でも、上を目指して頑張ろうという姿の方が逆に魅力的にうつるということに気づくといいよ。 質問自体に回答すると、 見栄を張ってウソをついた内容をがんばって真実にすれば認められるよ。

noname#159448
質問者

お礼

少しずつでも頑張ろうと思いました。 ありがとうございます。

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