幾らかの回答が出ていますが、あなたのご質問に対して、真っ向からお答えしますと、
イエス・キリストと神との関係ですが、神は、イエス・キリストの神です。
「イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」(マタイ27:46 新共同訳(以下も同じ))
神がキリストの神であるというのは、私たち人間が「私の神」という場合と同じ意味であり、人間と、神との関係と同じであると言うことをキリストご自身が繰り返して強調されています。
「イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」(ヨハネ20:17 )
これが、あなたのご質問である「イエス・キリストと神の関係について」実際に聖書そのものにそう書かれていますので、人がどう解釈しようが、どんな教理が存在しようが、これが、「解答」です。それ以外はありません。
さて次に「イエス・キリストと神の関係についてキリスト教はどのように捉えているのか」についてですが、もし、「キリスト教」を「キリストの教え」「キリストが実際に語られたことば」あるいは「新約聖書に実際に書いてあること」とするならば、当然答えは、上に上げたことに尽きるといって間違いありません。
しかし、「キリスト教」を別の意味で捉えるならば、また別です。
神学上の様々な解釈の幾つか、または、全てを含むとすると、「そのとらえ方はまちまちで混乱している」というのが「解答」になります。それが事実だからです。
「混乱」が「解」つまり解かれているというのは妙な話で、解いた結果がもつれているという状態です。
いかに実状と言え、この結末では、応えただけで「答え」にはなっていないように思えますので、ひとこと付け加えさせて頂きます。
分かりやすくするために、端的に表現しますと、ユダヤ教とキリスト教神学では、「神」の実体についてのとらえ方は異なっています。ユダヤ教の神は、上に示した、キリストが語られた通りの認識です。
(イエスはユダヤ人でした)そして、キリストはその教えの中で、ユダヤ人が落ちいっていた、様々な問題を暴露し、旧約聖書中の律法などの本来の神の意図などを教えられました。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(マタイ5:17 )
つまり、イエスは、ユダヤ教とは全然違う、別の宗教を広めたわけではありません。ユダヤ教の教え、習慣が本来の(神の教え、律法)から逸脱していたのを正そうとしただけですし、また、そこで、約束されていた事を成就されただけです。そのために、「あなた方は・・こう聞いていたでしょうが、本当はこうです」
という風に語っています。そのために実際、様々な内容のことを話されましたが、「神」についての実体そのものについては、ユダヤ人の認識を改めさせる新たな事は一言も語っておられません。
現在に至るまで、ユダヤ教は「父」である「神」しか「神」とは認識していませんし、「三位一体」も認めていません。
少なくとも、聖書中の「キリストが語られた」どのことばの中にも、三位一体を示すものは、何一つ見いだせません。
「神学上」の三位一体の教理が、ローマでの政治的な影響下で誕生した歴史、いきさつについては、ネット等でお調べになって見て下さい。