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宇喜多秀家が秀吉に気に入られた理由
宇喜多秀家が秀吉に気に入られた理由とはなんなのでしょうか。 秀家について調べてみるもあまり見当たりませんでした。 元服時に秀吉から"秀"の名をもらい秀家と名乗ったそうですが、そんな小さい頃から気に入られていたのですか?
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秀の字 偏諱の風習であり、上位者から下位者に与えるのは普通のことなので、特段、気に入ったからでないでしょう。 有力者の娘を貰うのは生き残りのために必要 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E8%BC%9D%E6%94%BF ここで見たら、池田家の姫は秀次事件で助命されていますね。秀吉としても敵に回したくないと考えての判断でしょう。 豊臣も名乗っているようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E6%B0%8F 大バーゲン状態です。 五大老に関しては、石高=兵力と考えれば、小早川は個人能力の評価でしょうが、宇喜多は、家臣になった長さ+兵力じゃないかな http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A4%A7%E8%80%81 宇喜多同等、それ以上で五大老じゃなかったのは 伊達、島津、佐竹で、家臣になってからの時間が短い。 逆に言えば、信長の後継者として秀吉が中央で権力を握ったあとで家臣になったのに家康は五大老というのが、特例だと思われます。 ※ 信雄が臣従した段階が、中央部での権力掌握とします。1583年末。
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- Pinhole-09
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宇喜多八郎(のちの秀家)が人質として、秀吉の元に来たのは八歳の時である。 なかなかの美少年でおとなしく秀吉は気に入った。 信長に目通りした時も、信長の気に入られ「備前から来たあの子、涼しげである。格別大事にしてやれ。」と言ったという。 二年後父の直家が病死の前に、秀吉に八郎の後事を託し、元服させた。 宇喜多家代々の「家」と秀吉の一字をもらい「秀家」と名乗り宇喜多家を継いだ。 のち秀吉は秀家を「猶子」とした。 準養子である。 先賢の答え通り、秀吉は直家の奥方の「於ふく」とはすでに関係があり、義理の父みたいなもの。 八郎ー直家が可愛くてたまらなかったようである。 直家は美麗を好み、黄金色まぶしく飾った刀を差していた。 秀吉の好みと同じだ。 直家の才覚は格別ではなかったが、宇喜多家は代々武勇に優れ、これを秀吉は期待していた事も確かである。
お礼
ご回答ありがとうございます。 途中から直家になってますが秀家の間違いですよね? 直家だと秀家のお父さんですね…
- teccrt
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>母親である「お福」に毛利攻めの折に寄陣した秀吉が横恋慕した。 これは知りませんでしたが、No.3さんご指摘の通り、秀吉は”秀”の字と豊臣の姓は、大盤振る舞いしています。 歴史小説の中では、このバーゲンセールの理由は「秀吉が子飼の武将の少なさを常に気にしていた」からだそうです。 古くから伝わる名家・郷里の大勢力なら当主の力量が並でも「家の格」で家臣をある程度統率できますが、農民の出自のなりあがり者であることを自覚している秀吉にとっては、盟友の前田利家に対しても卑しい出自に対するコンプレックスがあり、徳川家や島津家における主従関係の絆の深さが豊臣家にはないことにある種の焦りも感じていたようです。(家臣団のモロさに対する不安は、関ヶ原で的中してしまいます。) そういう意味では「身分が低い時の自分を知らず、むしろ最初から主従の関係にある子飼大名」を1人でも多く欲しがったはずで、宇喜田秀家はその条件に当てはまります。 幼くして家督を継いだので秀吉が後見人となり、秀家にとっては秀吉の存在は「第二の父」だったでしょうし、宇喜多家が秀吉とコンタクトを取ったのは秀吉が織田家でかなりの地位を築いてからですから、宇喜田家中のなかに秀吉が若い頃を実際に見ていた者はいなかったでしょう。 まして、宇喜田家は備前を押さえて毛利家を牽制するだけの充分な国力と家臣団を擁しており、秀吉が取り込むには理想的な大名の一人だったと思われます。 秀家については僕も多くはしりませんが、関ヶ原であれだけ健闘したので、それなりの能力はあったのではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 "秀"と豊臣姓については大盤振る舞いだったようですね。 私はここで質問するまで数人だけに、と思っていました。 >秀家については僕も多くはしりませんが、関ヶ原であれだけ健闘したので、それなりの能力はあったのではないでしょうか? 私も秀家について詳しいわけではないのですが、お家騒動起こしているのと 私が知る限りではあまり戦功のようなものが見られない(私が知らないだけかもしれませんが)ので 私の中の評価はイマイチな武将になっています…
- onoemaru
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宇喜田秀家については、過去の実績や功績から厚遇したのではなく、 将来豊臣家の藩屏とするために厚遇したのだと思います。 秀長、秀次を失った後、その役割を期待できる立場の人間が他にいなくなったという政治的背景が、結果的に実績・人物以上の厚遇になったのだと思います。 個人的には、前田利家も「家康への対抗上」という理由で同様だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私としては他の方へのお礼にも書かせて頂きましたが、そこまでする程の…と思っていたので 何か特別な理由があるのかと思っていました。 が、そうでもないようですね。ありがとうございます。
- jkpawapuro
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多分個人的な事情じゃないと思いますよ。 当時大大名でわずか10歳で跡を継いだこれだけ若い当主は他に見当たらないかと思います。 だから友好的に穏便に乗っ取りを測ったのではないでしょうか? 利害を見れば非常にわかりやすい話ですよ。 これだけ乗っ取りのやりやすい相手は無いかと思います。
お礼
>当時大大名でわずか10歳で跡を継いだこれだけ若い当主は他に見当たらないかと思います。 そう言われてみると、秀吉が天下統一を果たした辺りはあまりいないような気がしますね。 >これだけ乗っ取りのやりやすい相手は無いかと思います。 私の中で「そこまでする程の武将じゃない」というのが強くあるようでして… でもそこまでする程の武将じゃなくても、自分の意のままになる大名が増えるのはいい事ですからね。 ご回答ありがとうございます。
これだっという有力な根拠はないと思います。 したがいまして、NO.1さまの御説(俗説だという学者もいますが)に賛成します。 こんなことについては,チャンとした史料にはなくとも、巷間に伝わっている面白い話が本当である場合があります。 時代、歴史小説はこの線のものが多いです。 だからといって排除することはありません。 中年以降の秀吉の天真爛漫ぶりやお福さんの経歴を見ると、私はこの線が有力であると思っています。 「お福さま」or「お鮮さま」 http://homepage3.nifty.com/tokuyoji/sub9.html
お礼
私はNo.1の方の回答で初めて知ったのですが、秀吉の女好きは有名ですしあり得ない説ではないですよね。 自分なりに宇喜多秀家について検索してみたのですが、この説はひっかからなかったです。 皆さん本当によくご存知で、とても参考になります。 ご回答ありがとうございます。
- tanuki4u
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宇喜多家の当主で、宇喜多家臣団を従えていたから。 で、可もなく不可もなくであれば、敵に回さないのが順当です。何も個人的に気に入るとか、気に入らないなんて関係ない。 すくなくとも、外面的には「気に入っている」とするのがベターです。 豪姫との縁組みにしても、豪姫ひとりが嫁に行ったわけでなく、おつきの家臣団をつれており、この家臣団がやがて宇喜多家の主導権を握ります。ソフトな乗っ取りです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%AC%A1%E9%83%8E%E5%85%B5%E8%A1%9B
お礼
ご回答ありがとうございます。 >すくなくとも、外面的には「気に入っている」とするのがベターです。 仰る通り、無駄に敵を作る必要はないですからね。 でも特に気に入ってるわけでもなければ"秀"の名を与えたり豊臣姓を名乗るのを許したり 豪姫を嫁にやったり五大老の一人にしたりする必要がないと思うのですが… 適当に頼りにしてるんです。みたいな感じにするだけでいいのでは、と。 私から見ると秀家はかなり特別なように見えてしまうんです。 気のせいなんですかね。気のせいというか色々なところで秀吉お気に入りと 書いてあるのですがそれを鵜呑みにしすぎなんでしょうか… 秀吉・秀家の事は詳しくないのですが秀家のように特別武将としての能力(武力でも政治でも)飛びぬけているわけでもない人で 秀吉の養女として嫁がせたりした人っていたんでしょうか? 家康は秀吉の妹旭姫を正室に迎えていますが、後々天下をとった程の武将だし 上洛しなかった家康の為に嫁がせたものですから理解できるのですが…
- lions-123
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>宇喜多秀家が秀吉に気に入られた理由 ↓ 母親である「お福」に毛利攻めの折に寄陣した秀吉が横恋慕した。 その後、秀吉の後押しで藩主となり、さらに秀吉の養女「お豪:前田利家・まつ、の実娘」を嫁に迎えて義父・娘婿となっている。 http://www.city.okayama.jp/museum/rekidai/ukita/hideie.htm
お礼
ご回答ありがとうございます。 >母親である「お福」に毛利攻めの折に寄陣した秀吉が横恋慕した。 これは初めて知りました。 >義父・娘婿となっている。 「男だったら関白」とまで溺愛していた豪姫を嫁にあげるまでの間に なぜそこまで気に入られたのか、が知りたいのです。 豪姫が嫁ぎ養父・娘婿の関係になっているのは知っています。質問文に書けば良かったですね、すいません。 >数々の戦功を挙げ リンク先を見たのですがこの、数々の戦功というのは具体的なものはありますでしょうか? 自分で調べた時にもこのような記述があったのですが、他の武将とかだと 具体的にどこの戦で、どのような手柄を立てた等のエピソードがあると思うのですが 秀家については自分で調べた限りは見つからなかったもので。
お礼
>偏諱の風習であり、上位者から下位者に与えるのは普通のことなので、特段、気に入ったからでないでしょう。 私があまり"秀"の字のつく人を知らなかったので、数少ない一人だと思っていました。 豊臣姓も上に同じく…豊臣姓一覧見るとほんと大バーゲン状態ですね。笑 >宇喜多は、家臣になった長さ+兵力じゃないかな 家臣になった長さで言えば、確かに信長がまだ生きている頃だったので長いですね。 伊達・佐竹は小田原攻め、島津は九州征伐の後ですもんね。 >家康は五大老というのが、特例だと思われます。 家康は確かに特例ですよね。妹を嫁がせ母親を人質に出すぐらいですし。 色々と資料をありがとうございました。 大変分かりやすかったです。 ご回答ありがとうございます。